“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

歴史に学ぶ

日本の歴史では過去三回ほど革命的な変化があったといわれています。
最初が天平、飛鳥のころ、二回目が安土、桃山時代、そして江戸末期から現代に至る時期が三回目で第二次大戦後の50年がこの三回目の大きな変化の仕上げの段階ということになるのではないかと思います。 これらの変化に特徴的なのは海外からの人材、文化の大規模な流入と、それらの咀嚼と同化になります。 いわゆる “外圧!” ということになるのでしょうか。 外圧がきっかけになることで、大きな文化の落差を吸収する過程が必要となり、結果的に革命的な変化になるということなのかもしれません。

労働人口の減少がもたらすもの

さて、最近の大きな状況変化に決定的な影響を与えているのが景気や、マネジメント理論ではなく根本的には労働人口の変化にあると思います。 他の要素と異なり、一度始まった潮流は短期間で人為的に修正することはできないものの、その影響度は比較的簡単に予測できるというところに特徴があります。 そのため、ネガティブな傾向が予測される場合、あきらめムードが広がる可能性が高くなります。 労働人口の変化は潜在成長力に大きな影響があり、生産性の伸びがよほど高くならない限り、経済成長率が鈍化し安定背長に入ることが予測されます。 70年代までの高度成長からの明確なシフトであり、当然経済のあり方も変化せざるを得ません。 企業を取り巻く社会、経済環境から見ると “成長に頼るねずみ講経済” は終了したということで、これからは全体としての低成長と個別企業間の大きな格差ということになります。 この辺の分析は別の機会にお話しするとして、今回はこのような環境下における組織内での仕事の進め方に注目してみたいと思います。

コスト管理が重要

低成長、安定成長社会の中で成功するための条件の一つは、当然コストです。 成長がそれほど望めない中で競争に勝つのはコスト競争力ということになり、製品、サービスの差別化による利益の捻出と、効率的経営によるコスト削減からの利益の捻出です。 多くの日本企業では仕事があって人が選任されるというより、人が先にいてそこに仕事を振り分けるというやり方が一般的でした。 人材があり、その成長に合わせて仕事も増えるということで、企業、組織が成長することを暗黙の了解にしていました。 しかし、成長が鈍化すると逆にやらなければならない仕事を限定し、無駄を徹底的に排除するという考え方で最小限の人数で課題を達成する体制が求められますので、仕事のアウトソーシングや専門家を必要な時だけスポット的に利用するということも含めて体制構築を考える必要があります。 ここで求められる能力は、仕事の流れを構築したり、外部の力を使いこなしたりする具体的な力で、一人で業務を遂行できることも求められますので、これまでの潜在的管理能力のような抽象的な概念ではなくなります。 したがって、業務に関する特有の知識、経験が重要な要素であり、年令や組織内での経験年数は大きな決定要素となりません。 これが職務給の概念であり、若いこと自体は必ずしもメリットとはならないのですが、一般的に新しい概念を実践するのは先入観の少ない若い人となりますので大きな変化の時代には若手の登用が求められることになります。  いずれにしても、このような変化を実現させるためには、心構えのみでなく、考え方や体制そのものを
大きく変化させる必要があり、これが革命的という所以です。

年功序列から実力主義へ

日本的経営の是非、実力主義への移行といった議論が活発に行なわれたのはいつごろだったのでしょうか。 そして実際はどうなったのでしょうか。 日本では過去にも似たような議論が沢山ありましたが、いつも結論はあいまいなまま、そしてどんな方針を採ったにせよ結果の評価をきちっと行なったという話もあまり聞きません。 これこそ日本的経営なのかもしれませんが、やはり戦略には

1.採用した理由とその背景となる事実
2.期待される結果
3.実際に実現された結果
4.目標と現実の結果との乖離分析と次のステップのための提言


といった評価を行い、費用対効果を測定する必要があると思います。 上記のように安定成長時代の経営には革命的な変革が求められますので、このような視点から年功序列の問題を検討してみましょう。
90年代後半に盛んに議論された日本的経営の見直しですが実態はどうなのでしょうか。 それには議論の発端を考える必要があります。 バブル経済とは正常な経済的判断がなされなかったという意味で異常な経済現象ですが、バブルそのものに目を奪われ本質的な変化を十分に見ない議論が多くあったように思います。 終身雇用、年功序列という日本的経営の是非というのは、人口が減少し人口構成がピラミッド型からビヤ樽型に変質する安定成長期における人材戦略はどうあるべきか、というのが本質的な議論であるべきと思います。
どのような組織でもリーダーの下に複数のメンバーを置くという形式をとると組織全体はピラミッド型となります。 もし、日本の人口構成がやはりピラミッド型であれば何の問題もありません。 しかし、80年代初頭から日本の人口構成は出生数の低下に伴う平均年齢の上昇とともに徐々にビヤ樽型に移行しており、ここに企業組織の形態とのズレが生じ始めた、というのが本質的な問題ではないかと思います。  力のある企業は特定の層を独占的に確保することで大きなビヤ樽の中においても個別のピラミッドを維持することは可能ですが、普遍的な解決策とはなりません。 逆に企業組織をビヤ樽型にすることもできますが、効率性の問題や職位と職務の分離ということがおきますので歪が生じてしまいます。 高度成長期には全体が成長することにより吸収できた中間層の肥大化も効率を求められる安定成長期には支えきれなくなった現実が、バブル崩壊によって突然表面化したということではないでしょうか。

既得権の再配分が必要

アメリカやシンガポールのように国策として移民や特定の外国人労働者を受け入れることにより労働市場でのピラミッドを維持するというのも一つの解決策ですが、異文化との融合というコストを社会全体として払う必要があります。 冒頭で述べた過去三回の大きな変化はこれらのコスト負担がありました。 貧富の格差増大とそれを調整する時期に起きた急激な社会構造の変化というのがコストであり、歴史の勉強では貴族社会の出現や、武家階級の台頭、そして近年では市民階級の出現ということで旧来の勢力に対しては既得権の喪失という影響がありました。
安定成長期を生き延びるためには、各企業ともビヤ樽をピラミッドの形にそぎ落とすというプロセスが必要となり、これが “リストラ” という呼び方をされています。 問題はどのような基準でそぎ落とすのかということになります。 過去の例でも明らかなように既得権の再分配ということですからその過程で大きな軋轢が生じますが、これらをどのようにして和らげることができるかが各企業の知恵になるのではないでしょうか。