“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

大阪の維新は何故強い

関西の知人から聞いた話です

団塊の世代が現役を引退し暇になったので市議会の傍聴に出かける人が増えた

ことがあったそうです

丁度『失われた10年』と言われた時代でリーマンショックから抜け出せずに

徐々に世の中が沈滞ムードになってきた2000年頃です

ところが傍聴してみると質問内容は町内会の会合などで議員から何か議会で

聞いて欲しいことはないかと聞かれ答えたことがほとんどだっただけでなく

議会での回答が『調査して後ほど回答します』という実態に接し、改革が必要

と感じ始めたところに維新が改革を唱え、実際に実行力があることで人気と

なったとのことです

今の、大阪での維新は『野党ではなく与党』で実績を積み重ねています

もし、このような動きが全国に広まれば維新のような地方政党がたくさん出て

きて自民党の牙城を崩し、その流れが日本の政治を大きく動かす可能性が

あります

市場でも大量生産品ではなく、多少金額が高くても特徴のある商品が求められ

ているように政治の世界でも全国ブランドで特徴がなく結局何がやりたいのか

主張が不鮮明な政党ではなく、小さくても主義主張が鮮明で実行力が高い政党

の出現が求められている時代なのでしょう

制度疲労の極限が近づいた自民、公明、立憲民主に変わる新しい芽の出現が

求められます

もう一つ、文通費で見られるように議員に直接関わる制度変更は議席の区割り

も含めて最高裁の特別委員会で立案し、国民投票を経て、形式的には国会で

議決するようにしないと改革は実現しません

天皇の国事行為を定めた憲法7条にある首相の助言とは形式論であり、首相が

主体的に判断して良いのではないという文言を明確に規定し逆に憲法54条

解散権は不信任案可決に加え、条約締結を含む重要法案の否決を含める

日本の政治制度は三権分立が基本なのですから立法府によって選任された

首相が自由に立法府を解散することは基本から外れます

従って立法府に関わる制度改善は最高裁で発議するのが良いでしょう

恥ずかしい日本

最近の出来事を見ていると日本人であることが恥ずかしくなります

名古屋入管でのスリランカ人死亡事件

奴隷制度のような技能実習生制度、実際国連人権委員会からは人身売買との

  指摘も受けている

極端に少ない亡命受け入れ、しかしミャンマーのサッカー選手のように

  有名人になるといともあっさりと亡命申請を受け入れてしまう無原則さ

オリンピック開会式に絡む人種差別発言

ニューヨークの日本領事館でのコピー機を貸す貸さないのやりとり

これは以前アメリカで暮らしていた頃の実話ですが、所用があって領事館に

いたところ日本への商用ビザ申請に来ていたアメリカ人が申請書2枚必要

なところ1枚しかなく、再提出を求められていました

このアメリカ人はボストンからニューヨークまで来ていたので困惑していた

ところ、押し問答の末コピーでも良いということがわかりました

そこでこのアメリカ人は窓口から見えるところにあるコピー機を使わせて

欲しい、料金が必要なら払うと言ったところなんと『これは公務に使用する

コピー機なので私用には使えません』とニベもない答え

結局この人は外でコピー機を探して戻ってきたようですが、日本のように

コンビニにコピー機があるわけでもなく。かなり苦労してコピーを取って

きたことと思われます

何が問題か?

このような杓子定規で紋切り型の対応によってこの人の日本に対するイメージ

はどうなったのでしょうか

決して好ましいものではなく、日本での商用の困難さを考えたかもしれません

資源のない日本が生きて行くために必要なことは『おもてなし』であり

『好ましいイメージ』でありここにある事例のようなことを改めなければ

ますます世界地図から没落してしまうでしょう

危険なほど内向きな日本

外国特派員から見た日本という記事が連載されていて、なるほどという見方が

新鮮に感じられると共に、極端に内向きな日本の姿が表せられているようで

不安になります

特派員ですからその多くが複数の国での生活体験があり、またジャーナリスト

としての見識としてコメントしていますので一定程度の客観性があると感じ

ます

テーマも関心事も様々ですが、共通しているのは日本にしか見られない現象

についての指摘で「街中での犯罪を想定していない行動」だったり「過剰で

理解不能な皇室バッシング」だったりします

これらを読んでいると日本が「いまだに鎖国状態のようなメンタリティー」

であることが理解でき、経済的には世界とのりが無ければ生きてゆけない

実態との乖離の大きさに愕然としてしまいます

因みに江戸時代の鎖国はほぼ完全自立経済の下で成し遂げられました

世界標準という言葉は必ずしも真実を表している、あるいは無批判に受容する

基準ではありませんが少なくとも世界で何が起きているのか、多くの国では

ある事象についてどのように考えているのかを知ることは大切です

一例を挙げると最近のオミクロン株の水際対策です

WHOからも「ウィルスはパスポートを見ない」と指摘されているように

対策は何を目的として何を達成しようとしているのかが全く不明で説明も

ありません

いきなり特定の地域からの入国を『外国人に限って』認めないが、日本人は

入国を認めるというのはどういうことなのでしょうか

これはテロ対策でもなく、特定の国で起きた災害や政情不安からの引揚でも

なく、感染予防策なのです

オミクロン株に限れば最初に指摘した南アフリカだけでなく他の国も拡散して

いる蓋然性が高いことを踏まえると「一定期間」「すべての入国者」に対して

有効な対策をとることが必要で、テニスの全豪オープンで実施した完全な

バブル方式が一つの実例です

これは諸外国の対策とも整合性がとれる方法で誰からも理解されるやり方です

メディアもこのような指摘はしませんので、何かおかしいという事実が伝わり

ません

驚きとは

歴史学者エドワード・T・オドーネルは「歴史とはサプライズの研究である」

と言いましたがサプライズとは何を意味しているのでしょうか

それまでの常識を超えたことが起こる、あるいは起こした時に人々はサプラ

イズ、つまり驚くので記録に残りその蓄積は歴史となるのかもしれないと

考えます

それではそもそも驚くとはどんな時なのでしようか、そしてそれはいつ、誰が

どのようにして認識するのでしょうか

翻って今情報過多の時代に一昔前と同じような驚きがあるのでしょうか

もし無くなってしまったと感じた瞬間に歴史は止まり、人々は人生に対しての

興味を失ってしまうかもしれません

オミクロン株が突然出現した時には一定程度の驚きがあったのでしょうが

たちまちのうちに感染状況、変異の内容、これからの生活に対する影響が

情報として提供され、収まりかけたコロナ感染に対する不安が増したのですが

驚きという感覚ではなく、「やはり」とか「簡単にコロナは収束しない」と

いう常識的な現実に引き戻されただけとも言えます

驚きとは異常現象や超人的なパフォーマンスではなく、もっと日常の中に

あったのではないでしょうか

毎年春になると桜が咲く、雪が溶けるとその下から緑の芝生が見える、白鳥が

毎年同じ場所に飛来するなどが本当の意味での驚きであり、その驚きが

何故だろうかにつながり探究心が芽生えてきます

日常の中の不思議を感じる力がないと驚きませんし、今のように外部からの

情報が「驚きの押し売り」のように氾濫すると人間が本来持っていた感覚が

薄れてしまい、ついには全ての判断基準が受動的になり、即ち情報量の過多が

人の価値を決めてしまうような世の中になってしまったのではないでしょうか

どんなに精緻な気象予測コンピューターがあってもそれにアクセスできない

場所ではやはり指を濡らせて風にかざし天気を読む力が必要になります

経済でも社会現象でもこのように指を濡らせて『風を読む力』が却って必要

になる時代なのかもしれません

眞鍋さんのコメント

『日本は調和を重んじる社会、そういう社会では暮らしにくいのでアメリカに

います』

インタビューを見ていると、とても慎重に言葉を選びながら外国人にも真意が

伝わりしかも変な誤解を与えないように、そしてユーモアを交えたコメントで

関心しましたし自分自身と重ね合わせ心に残りました

30歳代の大半をアメリカで過ごし私自身も似たような感覚を持っていましたが

やはり転職のリスクよりも現状維持の環境を選択し、日本に帰ってきました

しかし、やはりこの国は暮らしにくいことに変わりはなく、変な期待をする

よりもこの環境の中でできるだけ自分に正直に生きてきたつもりですから

他人から見ると昇進を望むわけではなく、かといっていい加減な仕事をする

訳でもなく、時には権威に盾突き仲間と完全に同化することもなくというのは

不思議に見えたことでしょう

典型が大人数で食事に行ったときによく現れます

誰かが何を食べるか決めると大概は『私も同じもの』となり結局何人いても

一つしか選ばないという現象です

実はアメリカでも似たような経験がありセールスマネジャーの集まりで

四人1テーブル、フランス料理の店でしたがウェイターはフランス語訛りの

英語を話しメニューはフランス語風

誰かが肉料理を頼んだら残りの二人も同じ物、最後の私が『魚もあったよね』

と聞いたら『XXX』がありますという答え、それではそれをと頼んだら

先程の二人ももう一度メニューを聞きなおし結局3つのメニューに落ち着き

ました

アメリカでも同じだなと感じた時でした

こんなこともあって日本での私への評価は常に肯定5割、否定5割で

出世はしませんでしたが、楽しく思い通りの仕事ができたと思います

やはり、日本の社会がもう少し変わらないとこれから世界に伍して行くのは

難しいでしょう

『藍は藍より出て藍より青し』という言葉がありますが今のままでは実現は

難しくなり、それは同時に停滞を意味します

中国のGDPはアメリカを抜くのか?

結論から言うと少なくとも今後30年程度は追いつかないでしょうし、追いつき

追い抜いても大きな問題にはなりません

ご存じのようにGDPの伸びは人口成長率と生産性成長率を足したものです

これまでの中国は高い人口成長率と社会インフラの整備による生産性の向上で

急激な成長を遂げてきましたが、足元では人口増加率は減少し、特に生産年齢

人口はこれから低下が始まります

1950年代からの約30年の急速な日本の経済成長と比較するとその類似性が

明確です

戦後の混乱の沈静化と海外からの日本人の帰国による人口増加、地方からの

集団就職という労働力の国内移動と朝鮮戦争特需に対し中国でも地方からの

東海岸工業地帯への労働力移動、低価格での国外企業からの代替生産受注

というある意味での特需という類似性があります

しかし地方での産業育成、一人っ子政策の影響もあり労働力が不足し始めて

いますし、同時に社会インフラもある程度整備され、これまでのような高成長

は望めません

加えて、習近平体制が今後さらに5年あるいは10年継続する可能性が非常に

高く長期独裁体制が確立するので、後継者の育成はできにくい状況になります

もし、習近平体制がさらに10年継続すると中堅世代は習近平体制の経験しか

なく、しかも体制維持派で異論を挟まない人しか指導部にはいないと言うこと

で、後継者の育成はできません

次世代は第二の習近平か改革派になりますが、擬似習近平体制では高い成長率

を維持することは困難でしょうし高齢化や人口減少も始まります

一方、鄧小平のような改革派が実権を握った場合は対外協調路線となります

のでGDPがアメリカより大きくなっても世界的なインパクトは小さいでしょう

しかし、現政権末期に様々な混乱が生じ、対外強硬姿勢が取られるリスクは

考えておくべきで、そのための準備を今からしておく必要がありますし、日本

としては政策を確立しておくことは重要です

世の中では中国が世界一の大国になることになんとなく不安を感じたり

対抗策としての封じ込め議論がありますが、長期的な観点を視野にじっくりと

永続的な政策を立案して国民全体の理解を得ることが大切です

再び:政治にマーケッティングを(2)

世の中の常識では日本の人口は将来1億人を切り高齢化がますます進行する

というものですが、この常識を見直し人口増加を目指すこともできます

60年代のフランスは人口が減少し学生闘争で緊張していましたがド・ゴールが

再登場して大改革をしました

その中身は『Participation(参画)』をキャッチフレーズにした大胆な若手の

登用と様々な改革でした

そして産業界は日本を見本に『フランス版所得倍増計画』を唱えました

それから半世紀、今のフランスは人口も増加し、経済も立ち直りドイツと

並んでEU内で主導的な地位を保っています

ド・ゴールの大改革と若手の登用が見事に実った結果です

第二次世界大戦でイギリスからレジスタンスを指揮しアルジェリア戦争を

収束させ圧倒的人気がありましたが、この改革では学生をはじめとした若手の

主張を正しく理解して改革を指導しました

『自由・平等・博愛』というフランス革命の精神が今も生きていて家庭の半数

は夫婦ではなくパートナーですが子供は全く問題なく学校にも入れますし

家族手当や教育費補助も支給されます

自由な選択をして生きていても社会的な差別がない環境ができているから

比較的高い出生率を維持し、経済も成長しています

これを習えば、日本の野党は以下のような政策を提示し賛同を得たらどうで

しょうか

もっと明確に夫婦別姓や女性の社会的地位向上のための諸制度

パート労働者の正規化

退職金制度に代わる確定拠出年金の拡充で転職が不利にならないようにする

転職者に対する2年程度の所得保障付き再教育プログラムで雇用の流動化を

促す

大学等への研究費補助を大幅に増額、地方税の拡充で国からの紐付きなしで

自治体が使える予算を大幅拡充し予算編成では財務省主導ではなく各省庁

ごとに予算総額を割り当て、内容は各省庁で決定する

これらによって国の役割を縮小、減量化し地方自治体での人材確保を促す

国民がなんとなく持っている不満感あるいは満たされない感覚を政策として

提示することで理解が得られれば浮動票の大部分を吸収し結果的に高い投票率

を実現できるのだはないでしょうか

再び:政治にマーケッティングを(1)

衆議院選挙が終わりましたが、日経新聞によると投票行動に年齢や性別で

大きな落差があるとのこと

若年層の保守化というより現状維持が顕著で中高年齢者層と女性票のみでは

自民党は過半数割れ、それを防いだのが若年層の保守票だったとのこと

原因は様々あるでしょうが与野党ともマーケッティング戦略がなかったのでは

ないだろうか

衆議院議員は代議士とも呼ばれるように国民の代弁者ですが、日本では主に

利害団体の代表者の集まりのようになっていて現状を変えようとする改革の

声が通りにくい状況があります

ここでマーケッティング手法が必要になります

経済が低迷した過去30年の最大勢力は『無党派層』ですから、いかにして

無党派層の支持を得られるか、または投票をしてもらえるかが重要です

支持団体の基礎票が各党の主張によって動くことはありませんが、全体の

40%近い無党派層の支持は各党の主張によって大きな変動があります

無党派層が何を望み、何を無意識に期待しているのかを捉えそのような主張を

することで投票率をアップさせ、結果的に現状からの大きな変化が期待でき

ます

立憲民主党が党首を30代か40代の若手にし、幹部の半数を女性にして

立候補者も比例代表は順位をつけて上位に45歳以下の若手と女性を並べる

日米安保体制は維持することを明言して国民の安心感を得る

憲法改正は是か否かという議論ではなく、加憲を含め何を変え何を変えないか

を明確に主張する

原発については使用済み核燃料の処理をどうするかが唯一の課題です、解答が

あれば小型原発開発への積極投資もありますがそうでなければ原発は早急に

廃止するしかありません。すでに大量の使用済み核燃料があるからです

地球温暖化に対しては他国に金を出すだけではなくバイオマス、地熱発電開発

への大規模な投資と石炭火力発電の中止といった道筋の明確化と開発投資で

技術革新を促す

所得税の税率見直しで中所得者層までの実質的な減税とその原資は経済成長

による税収増加を明示する

(その2に続く)

コミュニケーションとは

やや旧聞になりますがみずほ銀行や三菱重工などで検査やシステムでの

問題について管理体制の甘さが指摘され、一方でそれら企業のトップからは

コミュニケーションをとっていたが十分な情報把握ができていなかったと

いうコメントが伝えられています

ずいぶん昔のことですが筆者がとある超大企業の常務さんと話をしたことが

思い出されます

この方は誰もが知る鉄鋼メーカーの常務さんですがある会合で人事の話になり

『最近は現場で社員の話を聞くようにしていて様々な情報が聞けてとても

良い体験です』と言われました

なるほど、このような重厚長大企業でも役員が現場に出かけ社員とビールを

飲みながら情報交換するようになったのだと感心したのですが、もう少し

話を聞いてみると少し様子が違ったようです

ご存知のように製鉄所は広大な敷地があり入り口から溶鉱炉のある場所まで

自転車で走らなければ行かれないような配置なので『どこで会合を持った

のですか』と聞いたところ『管理棟内の会議室に来てもらって話を聞いた』

とのことでした

つまり現場の責任者が『適任者を選別し、セレモニー的な会合を持った』

ということになりますので、筆者自身が勤務していた会社の同様な会合とは

異質なもので、とても現場従業員の本音が聞けたという状況ではないことは

明らかです

上記のコミュニケーションをとっていたというのもここに挙げた例と同じ様な

ものだったのでしょう

文化人類学者のエドワード・ホールが指摘したように日本はメッセージの

受け手にその真意を推察させる「ハイコンテクスト」な国だと論じたように

トップが求めることを斟酌し忖度することは日本の良さでもあり、また真実

が表面化しない悪い点でもあります

鎖国時代ならいざしれず複雑な現代の国際社会で存在感を示すためには

自国内だけで通じる知恵のみでは存在感のない国になってしまいます

選挙の争点は?

今回の選挙の争点はなんでしょうか

今の日本が置かれた状況を考えると、成長の必要性や再配分政策など

どこが政権を取っても必要なことですから争点にはなりにくいのです

また30年間の低迷した経済を考えると、急激な経済政策の変更は百害

あって一理なしです

今の急務は30年間停滞していた経済活動を上向きにすることですが

そこに至る道にはいくつかの選択肢があり、選択肢の提示が政党に求め

られており、どの選択肢が将来に希望を照らしているのかが重要です

世界的にみて一人当たりGDPと比較して圧倒的に低位に甘んじている

のはジェンダーギャップであり、生産性の低さであり、少子化であり

多様性の無さといった点です

 ジェンダーギャップを解消するための方策をどのように提示しているのか 

 生産性向上のためにどのような産業政策を取るのか

 少子化対策としては将来の希望をどのように提示するのか

 多様性には移民政策や外国人労働者の受け入れが含まれますが、どの

   ようにして達成するのか、それに伴う混乱に対してどう対処するのか

 また、人口構成の変化によって従来の年功序列型賃金処遇制度は破綻

   しており、雇用再調整のための既存労働者に対する公的な教育訓練の充実

   その間の賃金補償など欧米ですでに行われている施策を参考に日本型の

   制度設計をどう作るのか

特に野党はこのような政策提示と争点提示を行うことが重要ですが

今のところ相変わらずのイデオロギーと組織率が2割程度しかない

支援団体の利害による主張しかできていません

これでは希望は見えず、社会の中で存在感が小さくなってしまった若年層

の政治への関心は高まりません

国会議員のなかでもこのような問題意識を持ったごく少数の人はいます

政党にとらわれず、『良識の府』に相応しい人を応援したいですし、

少しでも可能性のある人を選択することが必要なのでしょう

貧乏な国、日本を救う道

日本では何が起こったのか? ほとんど成長はせず、1990年には名目GDP

(国内総生産)で米国のおよそ54%、中国の約8倍であったものが30

たった2020年には米国の24%、中国の34%と急激に低下し相対的な

国力は大きく変化してしまいました。まさに『失われた時代』でした

日本が停滞している間米国は年平均3%、中国は11%の成長を遂げました

労働生産性の低下、少子高齢化、公的債務のGDP比の悪化など主要な

経済指標を捉えても主要先進国の優等生的地位から劣等生に転落しました

21年のジェンダーギャップ指数では世界120位(世界経済フォーラム

156カ国)、報道の自由度では世界67位(国境なき記者団、180の国と

地域)にランキングされており、社会的指標においても劣っています

「アベノミクス」は象徴的です、株価を上げ、円安で輸出産業を潤し

ましたが大企業の内部留保が大きく拡大しただけで、労働賃金は増えず

需要は拡大されず、デフレは続き、国民経済に進展をもたらすことは

ありませんでした

輸出産業の多くがすでに生産拠点を海外に移し、為替フリーの経営に

転換しているので円安=輸出数量増には繋がらず、ドルベースの収益が

円換算値で増加しただけなので国内の社員への還元は限定的です

商売としての政治屋を排し国家観のある政治家による政治が必要な時

ですし革命的な改革が必要です

参議院改革、党議拘束見直し、解散権限定、参考人招致ルールなどなど

マックス・ウェーバーは、資本主義による近代化が市場と行政に人を

囲い込むことを『鉄のおり』、それによる人の振る舞いの劣化を

『没人格化』と言いました。だから彼は、政治家だけは命を賭して社会

の運命を切り開く覚悟が必要だと考え、学問を修めた国民たちがこう

した政治家を生み出す土壌になると言いました

政治家も共同体で育ちますが、日本では共同体がぼろぼろになってしまい

このような土壌が干からびてしまっています

日本は貧乏な国という自覚を持とう

残念なことですが今の日本は金銭的にも、精神的にも貧困国になってしまった

という自覚を持つことが必要です

GDPは過去30年間で殆ど増加していませんし、若年層の総人口に占める割合

が急減し、活力が無くなる主因となっています

しかし、世の中のスローガンは政治でも経済でもいまだに昔の夢を追うような

成長期の繁栄を『取り戻そう』という発想です

一人当たり国民所得が一定の水準に達すると出生率が下がり人口の伸びが

止まったり場合によっては減少することは世界各国に共通した現象です

その対策は多岐にわたる政策の組み合わせでようやく人口を維持したり多少の

増加によって経済活動を維持することができます

対策としては教育を含む子供たちへの様々な援助

家庭の形を伝統的な夫婦にとらわれず、一緒に暮らすパートナーも家族として

      認め、夫婦と同様の扱いをする

扶養手当や子供に対する付加金の支給のような賃金、税制面での優遇

広く移民を受け入れて人口を維持する

これらの組み合わせでようやく人口維持が可能になりますが、今の日本での

議論は子供手当的な発想のみで幅広い家族の形態や移民については議論にも

なっていません

前にも書いたように人口増加の主たる原因は『将来に対する希望』です

ここにあげた諸施策も結局希望を与える政策になりますので、本質はやはり

『将来』をどのように造るのかということに帰結します

移民は自国よりも期待値が高いから他国に移住するわけで、人口増加に対する

寄与は移住者本人に限らず、子供の数が増えることで二重に人口増加に寄与

しているのです

今の日本は貧乏な国になってしまったのだという自覚がない限り、有効な

対策は出ませんし、的外れな議論に終始してしまいます

他国の情報を遮断した日本はまさに『茹でガエル』になってしまっています

柔らかい個人主義の誕生を読む その4

日本のスタイルについて考える

一つの鍵が最近の急激なコロナ感染者数の減少にあると考えます

様々な人が急激な減少の原因を推測していますが『中等症以下は自宅待機』

『自宅待機中に容体急変し死亡』ということが人々の行動に大きな変化を

もたらし、これまで以上に感染リスクに注意し結果的に感染者が減少したと

考えます

つまり緊急事態宣言など上からの指示でなく自ら判断し、生命の危険を回避

した結果ではないでしょうか

日本の長い歴史の中で『お上には面と向かって逆らわないが、顔色を見な

がら自分の道を行く』という態度が身についていて、そのための情報を集め

たり情報交換を行なっているというところがあります

自由や都市の自治を自ら戦って得た経験がないものの与えられた範囲では

工夫や柔軟な行動が継続していたということです

今回のオリンピックは散々でしたが個々のレベルでは参加選手たちへの

サポートや応援はきちっとできていて参加者からの評価は高かったのも

このような個人レベルでの意識や経験の高い蓄積が現れたのでしょう

前にも書きましたがいわゆる『ソフトパワー』そのものです

客観的に見ると平安時代に女性の作家がいたり、1,500年も言葉がほとんど

変化せず古典が少し勉強するだけで読めるという継続性、江戸時代でも

文盲率が世界的にみても圧倒的に低いという教育水準の高さ、サンプルから

鉄砲を作ってしまえるほどの技術水準の高さがあったのですから最近の凋落

ぶりが不思議に思えるほどです

ポルトガル人は東南アジアでも中国でも鉄砲の模倣が無かったので安心して

種子島で鉄砲を土産としたのに50年後には数千丁の鉄砲が日本中に広まるとは

夢にも思わなかったことでしょう

このような現場の力=基礎的な教養の高さを自信を持って生かし、創造性に

富んだ活動が活発になるように願ってやみません

(4回の連載を今回で終了推します)

柔らかい個人主義の誕生を読む その3

『何か面白いことないか』

というのは自己目的を探している証拠ですが、残念ながら簡単には見つかり

ません

70年代までのように人生の目標が明白であったときは生産性を高めることが

最優先されましたが、効率的な生き方から解放されると同時に如何にして

時間を消費するかが目標となってきます

目標に向かって進むのではなく,目標を見つける過程が大切になります

茶の湯,クルージングなどに一つの回答があります

消費は情報発信でもあります,だから消費をすることで個人の生きる目的が

明瞭になって来るのですが多くの人は消費が情報発信だとは考えていません

一方で70年代までと異なり国や組織に共通の目標は失われ各自で異なる目標を

持つようになりますので、国や会社といった組織は構成員を繋ぎ止める手段が

これまで以上に必要になってきます

最近のリモートワークやギグワークといったこともコロナ禍によるものでは

なく必然なのかもしれません

組織が共通の目標を共有していた時代と異なり現代の自由の前提は自分が

何を欲しているかを完全に知っていることなので,教育もそれに沿って行われ

るべきですが、相変わらず知識偏重すなわち共通の目標を覚えることから

進歩していません

ものを消耗する欲望には限界がありますがものを蓄積する欲望には限界がない

のでプロテスタンテイズムの禁欲的な生産至上主義によって金銭を含むものの

蓄積は進みましたが、このような前提が崩れると消費した結果としての他人の

目標を情報として得ることが必要になってきます

しかし消費には限界がありますので個人が目標設定するための情報の発信も

限界があり一層目標の設定が難しくなります

このように自我の確立は他人があって可能になるのですがその自我は他人に

対して誇示したり主張したりするときには力を失ってしまいます

自分でも気づいていないように見えるとき,強い説得力を持つようになります

ソフトパワーとはこのようなもので『スタイル』と称しても良いでしょう

それでは日本のスタイルとは何でしょうか

(次回に続く)

柔らかい個人主義の誕生を読む その2

この本の中で60年代から70年代に変化は明確な目的を持ち生産性を高める

活動、ある意味で時間の節約が大切な時代から自ら目標を求める活動

つまり時間の制約から解放されて自分の意思で各自の目標を求めることが

要求され、それは消費を通して情報を発信することで他人の目標を知るよう

になるとあります

情報化時代と呼ばれるのはこのような意味を持つものです

しかし、自らの消費が情報発信だという意識を持つことが困難であるが故

目標喪失の中で不安定な状態に投げ出されることで次第に活力を失って

しまったとも指摘しています

ものを造る過程では消費者の求めるものが多岐多様になり多品種少量生産を

余儀なくされるか、あるいは生産者は多くの消費者が求めているものを自ら

創作しなければならないようになりました

翻って私が在籍したソニーでは80年代途中までまさにこのようなことが

行われ、開発者は自分が面白いものを造り、その意図を消費者に伝えるのが

営業の役割であり大量生産よりも開発者の意図を理解してくれた消費者のみに

商品を提供するため金額は高くても、デザインや品質にこだわり決して

マーケットシェアを狙うものではないというある種の哲学がありました

時代を先取りした組織運営とその結果としての新しい発想の商品開発、その

結果をマーケットに問うということが新鮮に受け取られたのでしょう

しかしウォークマンの大成功によって様々な客層に対するモデルを開発した

ことで無意識にこのような哲学が薄れ次第に他商品でも他社とのシェー争い

に巻き込まれた結果、価格競争力で後塵を拝し折角時代の先頭を走っていた

にも関わらず時代の変化に遅れ、その後の業績低迷に繋がりました

70年代が終了してから40年、このような変化に対する社会の対応とそのなかで

暮らす個人の意識はいまだに対応できていないことが最近のスローガンや現象

に見られます

『情報化社会=DX促進』『目的の喪失=無気力な若者』『哲学のない政治=

短期的な戦術に明け暮れる与野党』

もう一度考え直すときではないでしょうか

(次回に続く)

柔らかい個人主義の誕生を読む その1

1980年に山崎正和が著した『柔らかい個人主義の誕生』40年後の今、本棚

から取り出して読み始めました

1960年代と1970年代では社会的な価値観が大きく変化したことを大胆にも

80年代初頭に分析した本ですが、まさに正鵠を得ていて今の時代にもあて

はまることに驚きましたので何回かに分けて記したいと考えました

60年代までは『追いつき、追い越せ』という目的が明確で産業革命以来の

生産性至上主義に誰もが疑問を持たずにこれからは良い時代が来るという

共通認識がありました

『三種の神器』冷蔵庫、洗濯機、テレビを揃えることが実現した時代でした

その後は『3C』カラーテレビ、クーラー、車(カー)が続きます

そして70年代になるとGDP世界二位(当時の指標はGNP)となりまだ大きな差

のあったアメリカを除き西欧主要国を抜いて目標達成し、そこで目標喪失と

なってしまいました

実は世界的にも国家や組織の目標達成のための活動から各個人がそれぞれの

目標を見つけなければならない時代になっており、多くの人が喪失感に襲われ

彷徨い始めた時期になります

新しい目標を見つける前にバブルが崩壊し、さらに彷徨うことになります

しかしその後も『失われた10年』とか『失われ20年』という言葉に代表される

ように60年代への回帰を目指してしまい、新しい発想が生まれなかったことは

既に経験したことですが、国も企業も教育機関もそして各個人もそのような

変質が起き各自がそれぞれ目的を見つけそれを追求する社会になったという

ことに気づいていません

最近のオリンピックや万博開催は正にその表れですから多数の共感を得られ

ないことは明白です

さらに効率を追求することが是、効率的な生産で物質的な豊かさを求める

ことから情報の発信によって各個人が自ら考えるような社会への変質が重要

とも述べています

今の時代にも通用するというより40年間も我々はそのような探究をサボって

いたということになります

(次回に続く)

ソフトパワーが日本の生きる道

ジョセフ・ナイ教授の提唱するソフトパワーがこれからの日本が目指す道では

ないだろうか

既に大きな土台ができていることに注目してみよう

多くのサッカー有名選手がサッカーを始めたきっかけはマンガ『キャプテン

翼』だったとの報道があり、勿論日本選手も同じようなことがあります

また、オリンピックでは組織トップの不祥事や不手際がありましたが、実際の

会場その他ではしっかりと対応がなされていて、多くの参加選手から感謝や

称賛の言葉が得られています

わゆる『現場力』は健在だったと言うことで、長年に亘って築かれてきた

本当の実力で他国が簡単に真似できない力です

東日本大地震での秩序ある被災者の行動は世界中の耳目を集めました

良い意味で個人が前面に出ないことが結果的に秩序を保ったのだと思いまが

同時に自衛隊の前線指揮官はTV放送等で状況を把握し、出動命令が出る前に

必要な指揮命令系統の整理や部隊編成に着手していて、結果的に素早い出動に

なりました

一方で女子バレーの予選リーグ敗退や、サッカーW杯最終予選での初戦敗戦

に見られた戦略の失敗にみられる長期的な戦略策定とその実践といった面で

立ち後れが見られます

蓄積された経験に基づくパワーが現場の個人レベルでは発揮されているのに

指導者レベルではそのようなパワーが発揮されなていないと言うことです

個人の問題ではなく、組織全体としてソフトパワーを尊重し育てていこうと

する長期安定的な戦略がなく、指導者を育てる環境ができていないことに

よります

昔からアイデアや表現力は個人レベルで発揮される場面では充分独創的な

ものが生まれているのに、組織全体でその良さが認識されていない、或いは

軽んじていてお神輿スタイル前例主義、責任不明確なことなかれ主義が蔓延

して個人の良さが消されています

ソフトパワーを認識したトップの意識改革と同時に『精神的な』若返りを

急速に達成する必要があります

ソフトパワーで身を固めれば、他国から軍事的な脅威を受けることはあり

ません、何故ならば他国も日本のソフトパワーの影響を受けているからです

明るい話題

コロナ感染の広がりや一向に庶民を顧みない政治が蔓延する世の中で少しでも

明るい話題を見つけようとしました

これが結構難題でベランダに椅子を持ち出し、ゆっくりとしながら考えたの

ですが一筋縄ではゆきません

23日前に新聞に藤井二冠が初防衛に成功したと言う記事がありました

これまで苦手としていた豊島竜王に初戦の敗北以降四連勝で防衛とのこと

テレビの画面でもコロナも世の中の閉塞感にも無関係に淡々として将棋に

打ち込む姿が爽やかで、これが一つの回答かと思った次第です

つまり、外部の雑音に囚われず自分のできることに集中することが大切だと

言うことを示しているのではないでしょうか

最近の情報過多の時代、とかくあちこちに話題が散ってしまい自分の本分は

何なのであろうかと言うことを忘れてしまうところにも厭世観が醸成される

原因があるのかもしれません

翻って自分自身を考えてみれば、所詮犬の遠吠えのように世の中のことを

憂えても自分のできることはほとんどない中で厭世観に浸ってしまうのは

結局自ら隘路にはまっているようなもので、こんなバカなことはありません

自分にできること、政治の世界で言えばしっかりと候補者を見極めて

『より悪くない人に』投票する、そしてよく監視し次回の選挙では再びその

候補に投票するのか、或いは別の候補者を探すのかと言うことの繰り返しで

長い間には徐々に世の中の雰囲気が変わってくるという希望を持つこと

ケネディー以降のアメリカ大統領選挙では『より良い候補者』を見つけるより

『より悪くない候補者』に投票しようと言うのがポスト(Washington Post)

タイムズ(New York Times)の社説です

大統領選挙も理想を掲げるよりも相手の欠点を徹底的に攻撃し、TV CMでも

自分の主張よりも相手の欠点を攻撃するようになり『より良い候補者』が

見つけにくくなった時に大手メディアが掲げた主張です

このように考えると、明るい話題とは自分に自信を持ちより悪くない選択肢を

積極的に採用することだと思う次第ですが如何でしょう

驚、喜/怒、伝/諦、無関心

人間の感情はまず何かを発見して驚くことから始まる

草から食用になる野生の米を見つけて歓喜するか、食用になる獣を見つけても

逃げられてしまい憤怒の感情を持つようになる

そして野生の米が食べられることを伝達することで多くの人が知るようになり

品種改良と栽培が始まるか、足の速い獣は狩が出来ないという諦めを持つ

そして最後に皆が栽培したり、誰も狩をしなくなれば無関心となる

これを現代に置き換えてみましょう

情報過多の時代にあっては自ら経験しないことも簡単に頭から知識として

入ってくるので驚くことが少なくなってきました

更にコロナ感染で言えば感染者数が増加すれば数週間後には重症者が増加

することは過去の経験から誰にでもわかることなので、無対策のまま様子を

みた結果入院すらできない状況になっても人々は驚きません

感情の最初の段階がなければ、それに引き続く喜/怒も伝/諦も起きず最後には

無関心となります

多くの若者が社会現象にも政治にも無関心で、また無党派層が最大の支持層

という現状はまさに最初の驚きがないことからくる無関心になってしまった

のでしょう

それでは無関心の次には何がくるのでしょうか

残念ながら考えられるのは悲しみしかありません

日本という国が長い没落の過程に入ったのは1989年ですがそれから30年経って

悲しみが支配する時代になってしまいました

もう一度勇気を持って驚きを見つけ行動の原点である基礎哀楽の感情を

取り戻しましょう

此処にも『まるドメ』

それなりに盛り上がったオリンピックが終了し静けさが戻るとともに

感染爆発が表面化してきました

さて、ほとんど興味がないのでオリンピックの開会式は見ていませんが

ニュースその他で見る限り日本人にしかわからないテーマと登場人物そして

表現だったようです

しかも無観客になったにも関わらず、観客を意識した演出で、ここでは

拍手と歓声が期待されていたはずという満席の開会式の演出のままで

無観客に対する変更は全くなかったようです

確かに無観客が決まったのは直前ですが、いつもいうように『田植え理論』

からすると春頃から中止、延期、無観客というオプションに従った演出を

用意しておくのは当然で、演出責任者が交代したとか、最終決定が遅かった

からというのは何の言い訳にもなりません

その上で内容を見てみると全くドメスティックな感覚で、外国人観客が

多数を占めている、あるいはNBCによる全世界配信という前提条件は殆ど

無視されているのではないかという印象です

入場行進曲がドラクエ,プラカードがマンガに使われる吹き出し

長嶋,王,松井の名前がどれほど世界で知られているのか、そもそも野球は

世界的に見ればマイナースポーツであり本当にオリンピックに相応しいのか?

ここにも日本の、または日本人のメンタリーがそのまま表れ、あたかも

日本人の、日本人による、日本人のためのオリンピックといった主張に

見えてしまいます

国際化とは何かを示す絶好の機会だったのですが残念な結果に終わりました