柔らかい個人主義の誕生を読む その2
この本の中で60年代から70年代に変化は明確な目的を持ち生産性を高める
活動、ある意味で時間の節約が大切な時代から自ら目標を求める活動
つまり時間の制約から解放されて自分の意思で各自の目標を求めることが
要求され、それは消費を通して情報を発信することで他人の目標を知るよう
になるとあります
情報化時代と呼ばれるのはこのような意味を持つものです
しかし、自らの消費が情報発信だという意識を持つことが困難であるが故
目標喪失の中で不安定な状態に投げ出されることで次第に活力を失って
しまったとも指摘しています
ものを造る過程では消費者の求めるものが多岐多様になり多品種少量生産を
余儀なくされるか、あるいは生産者は多くの消費者が求めているものを自ら
創作しなければならないようになりました
翻って私が在籍したソニーでは80年代途中までまさにこのようなことが
行われ、開発者は自分が面白いものを造り、その意図を消費者に伝えるのが
営業の役割であり大量生産よりも開発者の意図を理解してくれた消費者のみに
商品を提供するため金額は高くても、デザインや品質にこだわり決して
マーケットシェアを狙うものではないというある種の哲学がありました
時代を先取りした組織運営とその結果としての新しい発想の商品開発、その
結果をマーケットに問うということが新鮮に受け取られたのでしょう
しかしウォークマンの大成功によって様々な客層に対するモデルを開発した
ことで無意識にこのような哲学が薄れ次第に他商品でも他社とのシェー争い
に巻き込まれた結果、価格競争力で後塵を拝し折角時代の先頭を走っていた
にも関わらず時代の変化に遅れ、その後の業績低迷に繋がりました
70年代が終了してから40年、このような変化に対する社会の対応とそのなかで
暮らす個人の意識はいまだに対応できていないことが最近のスローガンや現象
に見られます
『情報化社会=DX促進』『目的の喪失=無気力な若者』『哲学のない政治=
短期的な戦術に明け暮れる与野党』
もう一度考え直すときではないでしょうか
(次回に続く)