その188         2018/12/31に掲載

平成最後の天皇陛下誕生日会見


新聞には全文が掲載されていますが、テレビのニュースでは一部しか放送されて

いませんが、放送されなかった部分に重要なメッセージを感じました

次の3点について、本来ならばニュースで流すべきだと感じましたのでここに紹介

します


1.『沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも

変わることはありません』

第二次世界大戦で国内で唯一地上戦が戦わされた沖縄ということに限らず、薩摩に

よる支配、明治政府による琉球併合を含めて、長い苦難の歴史、耐え続けた犠牲、と

いう言葉になっているようです


2.『我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力

によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく

伝えていくことが大切であると思ってきました』

歴史教育を含め、近代史をないがしろにする風潮、そこからくる無知、誤解に対し

心配するとともに、事実に基づかない議論に警鐘を鳴らしていると感じます

生物学の学者としての矜持が土台にあると感じます


3.『我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍している

ことに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として

私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています』

最近話題になっている外国人労働者あるいは移民についてもっと寛容になり,多様な

文化を許容できるようにしなければ、様々な軋轢が生まれてしまうという心配が

感じられます


象徴天皇として政治的な発言をしないようにという配慮から表現には相当な工夫が

見られますが、底辺にあるのは最近の世相に対する不安感にあると思います


報道機関が意図的に除外したのか、単に時間の都合でカットしたのかは不明ですが

長いメッセージを短くまとめる時には細心の注意を持って全体の意図が損なわれない

ようにすべきと感じます 

その187         2018/12/24に掲載

民主主義は議論だ

国会でも会社内でも、さらに学校でも侃侃諤諤議論が聞かれなくなりました

『青い書生論』や『国家を論ずる』と言う言葉も聞かれなくなりました


不思議なことにNHKの大河ドラマでは国家天下を論ずる台詞が出てきますが現実

世界では聞かれなくなっています


世界中で『民主主義』という名前ついた国が沢山あり、選挙も実施されて

いますが、かなり独裁国家ような国でもこような呼称が付いていて違和感がある

も事実です


それでは民主主義とは何なでしょうか


選挙有無や議会有無ではなく実質的に自由な議論があり、意見主張ができる

ことに本質がありますが、日本現状は議論機会があるに行わないように

なっています


議論が自由にできない国から見ると羨ましい、もったいない、権利放棄だと

思われても仕方がない状態です


一方で、多数決ということも言われますが、これは議論しても妥協点が見つからず

時間切れになる状況で結論を出さざるを得ない時ある種便法です


つまり多数意見が全体意見という決定仕方ではなく、折り合いつかない部分は

多数意見を土台にしてまとめるというが趣旨です

ですから多数決に至るまで過程で十分に課題が明確になり、議論され、妥協点を

探るプロセスがあって始めて多数決という手段が採択されるです


ような観点から見ると、昨今我が国状況は民主主義ではないと言えます


市場主義とか自由競争についても同様ことがあり、最近金融市場や株式市場は

市場原理が働かなくなっていますでやはり市場民主主義も崩壊してしまっている

でしょう


5年後を考えると恐ろしい状況です

その186         2018/12/17に掲載

品質保証と身分制組織


今時、身分制組織とは?と訝る方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら

実質的な身分制組織は残っています


少し前ことになりますが、某大手基幹産業トップ方と対話で次ような

ことがありました


某トップ:『先日、現場人たちと話す機会があってとても良かった』

私:『どような話をされたですか?』

某トップ:『現場に行って従業員代表者たちとビールを飲みながら話ができた』

私:『それは良かったでしたね』

某トップ:『事業所に依頼して20名ぐらい人たちと事務所内会議室で

      いろいろ話が聞けました』


詳細会話は省きますが、要するに3交代1,000人以上事業所で代表者20名と

工場入り口近く事務所で会合を持ったものの、本当現場には行っていないし、

ランダムな人選ではなく会社側でお膳立てした人と話をしたということでした


それでも、これまでは経営トップが現場事業所に行ったり直接話をすることは

なかったで画期的な出来事と言えるです


さて、こような組織では都合悪い品質上課題が報告されることはないでしょう

報告がなかったというは釈明会見等でよく聞かれる言葉ですが、情報は待って

いても上がってきません。取りに行かなくてはならないです


品質管理は地味で根気いる仕事ですが、異常値発見は比較的容易にできます

問題はそ対処にあります


直接上司が適正な判断をしていれば情報は伝達されるですが、時として報告ルート

上位者が顧客要望と使用状況を把握しないまま適否判断をして組織内

波風を消してしまうことがあります


例に挙げたような風通し組織では課題は膨大な情報中に埋没し、表面化

しない可能性が高くなりますが、上司が情報を取りに来るような組織では課題を

埋没させるは困難で、必然的に早めに上位責任者に情報が伝わり適切に処理

されるです


残念ながらこような体質会社がまだ多いと言わざるを得ません

その185         2018/12/10に掲載

東大卒が日本をダメにする?


東大に合格するためにはそつなく点を稼ぐことが重要です

結果として満遍なく平均点以上は取るが、この分野は絶対という人材が少なく

学内でも新鮮な発想で新しい分野を切り拓くというよりは知識が多く、どんな

課題にもそれなりの対応ができることが良い評価になり勝ちです


最高学府でありながら意外にノーベル賞受賞者が少ないのもこのような背景が

あり、自由な発想と上下の分け隔てない議論が学風としてある京大からのノーベル賞

受賞者が多いのも納得できます


もう一つ不思議なのは財務省のキャリア官僚のほとんどが法学部出身だということ

です。経済官庁である経産省と同じく日本全体の政策を財政的に担う財務省は

経済学の知識と経験が必要だと考えられます


国会議員に目を転ずると、司法試験合格者が少ないのも日本の特徴です

国会はいうまでもなく立法府ですから法律の知識は必須で、欧米の議員は司法関連の

資格保持者が多く、あるいはほとんどが有資格者です

もちろん、司法資格取得の背景が異なり、日本のように極端に合格率が低い国ではの

特徴とも言えます


中国の科挙試験制度のように少数のエリートを選別するということで登用を狭き門

にすることには一定の意味がありますが、日本の現状を見るとうまく運用されている

とは考えられません


三権分立とはいうものの、現実には行政の力が圧倒的に強く立法府は行政のもとで

下働きになってしまったような感があります


科挙試験制度のような厳しい選別を通過した人は活躍が司法に限定され、十分に

能力の可能性を発揮できる場が少なくなっています


会社内のジョブローテーションで人材育成をしてしまい、結果的に社内事情しか

わからない人材を育成してしまっているように、国レベルでも各分野の人材交流が

少ないことで多面的な考え方が育まれていません


平均点を取る人がどれだけ集まっても、新しい発想は生まれません

ある分野に抜きん出た人たちが相互に刺激しあう社会を作らないと組織全体が壊死

してしまいます


時代の要求が変われば、評価も変わらなければならないので、新ためて皆で考え

直す時期が来ています 

その184         2018/12/3に掲載

三題噺 英米法とお上と忖度

新入管法を始めとした最近法律を見ると、法律として体裁が整っている

不安になることがあります


もともと、日本法律は定義が曖昧で『xxx等』という表現が多く、『等』

詳細については『省令』や『通達』で決めているで、実質的な抜け穴あるいは

拡大解釈温床になっています


日本法体系が所謂『英米法』であれば、ゆるい法律と判例で解釈を定着化する

ですが、日本ではこような裁判はほとんどありません。判例を求める裁判では

勝ち負けもさることながら法律解釈を確認して定着させることがもう一つ大きな

目的ですが、日本では裁判は勝たなければならないという意識が強く、曖昧な案件は

裁判よりも示談、裁判官も判例を示すよりは示談を勧告し、自ら立場を強く主張

しないことを望みます


大陸法であれば法律に詳細な記述と定義があり、こ段階で明確な定義をしています

現状では英米法的なゆるい法律と判例が無い世界になり、ここに忖度が入り込む

余地があるです


更に、いにしえから『お上』意識が加わると、議論より丸く収めることが重要で

またまた忖度が入ってくることになり責任も不明確です


それでもつい最近までは行政がそれなりに機能していて、極端なブレはなかった

ですが、『官邸主導』となってから各省庁力が削がれ、どこで何が決まっている

かわからなくなり『忖度満開』状態になってしまいました


民主主義も法体系も社会在り方中で存在するもで外形的に移入してもうまく

運用できないどころか、思いもよらないところに弊害が生じてしまいます


社会体制や意識を変えることは至難技ですからせめて法律や行政仕組みだけでも

我々社会に適したもを作り上げてゆく努力が必要です


会社運営も同様で、海外『社外取締役』や『委員会制度』を導入しても『魂』が

なければうまく運用できませんし、会社規模に関わらず会社組織在り方や会計基準

が会社都合で選択可能な状態ではまともな比較もできず健全ではありません

その183         2018/11/26に掲載

徴用工の亡霊か?


入管法改正案が国会で審議されています


急速な人手不足に対応するため技能労働者入国を増やそうという趣旨ですが、内容

を精査すると来日する労働者基本的人権をどように考えている非常に曖昧

です。 労働力が足りないから海外から『労働力』を移入しようとして来日する

『労働者』立場を全く考慮していないように見えます


現行制度課題は

そもそも賃金が最低賃金以下:技能実習生だから労基法を適用しなくて良い

低い賃金から宿泊費や食費を差引き手元に現金が残らない:何ために働く

パスポートを保管してしまう:自由な行動ができない


全員がこような状況ではないでしょうが残念ながら『タダ同然安い労働力』

しか認識しない雇用主が多いは事実です


ここまで書いてやはり『徴用工』と相似を考えざるを得ません


徴用工をおさらいしてみます

国家総動員法に基づき19397月に国民徴用令が施行され、19449月から朝鮮でも

適用が始まった制度で、日本政府労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定

され、日本国内および朝鮮で地域が割り当てられ計画人員達成が目標とされた制度


人手不足だから何が何でも労働力を確保したいということみで、徴用される

労働者立場はほとんど無視されていました


今回入管法改正趣旨でも人手不足が待ったなし状況だから早急な解決策が

必要としていて、根っこところで発想が全く同じです


労働力不足は日本問題、外国から日本に働きに来るは本来的に自由意志

つまり、どれだけ魅力的な制度を作り、そ趣旨を各企業でも遵守することで

成立しなければなりません


また、多く国で実施しているように国が運営する文化・語学教育施設充実も

必要です


現在課題を正確に捉え、対策を立て、必要に応じて企業に対する罰則も強化する

ことが先決で、経団連等が率先して動くべきです

その182         2018/11/19に掲載

積極性の楽しさ


新生森保ジャパンの試合を4試合見ましたが、メンバーが変わるとこんなにも試合

運びが変わるのかというサプライズを感じました


何よりも、観ていて楽しい、点を取る、そして勝つという要素が揃っているのです

これまでのチームもそれなりのうまさはありましたが、点を取るのが遅い、完全に

崩すまでシュートを打たないのが欠点でどうしてもテンポの遅い試合展開になります

から観ていて楽しいということにはならないことがあります

今のチームは無理な体勢からもシュートを打しますし、何よりも2点目、3点目という

貪欲さが感じられます


ヨーロッパのリーグで戦っている選手が多いし、日本で一定の評価を得てからの移籍

ではなく、かなり若い時にヨーロッパに渡り競争の中で育ってきた世代なので

ヨーロッパや南米そしてアフリカの選手たちと同じような積極性がないとレギュラー

になれないことも貪欲さの原因の一つかもしれません


さて、今朝の日経に『小粒になった日本企業』という記事がありました


上場企業の平均寿命が89年とNYやロンドンの市場での平均寿命より4倍以上

長いとありました


また、一社当たりの時価総額もアメリカはもとよりドイツや中国企業の後塵を拝して

います、伸び率で見ても2000年からわすかに1.7倍、これに対しアメリカは2.6

中国は5.4倍と格差がついています


日本では銀行の力が強く、リスクのある成長戦略より存続を第一に考えた経営が

多いからと指摘しています


前にも書きましたが日本の多くの経営者の任期が短く2期4年とか3期6年で交代

しますので、どうしても安全な経営で『大過なく過ごして次にバトンタッチ』という

発想になることも一因と考えられます


先のサッカーの例ではありませんが、企業も海外で活躍できる人材の育成や海外

からの人材の移入を本格的にしないと人口減少、年齢構成の高齢化とあいまって

本当に『縮みゆく日本』になってしまいます


若者の奮起を期待するとともに、年寄りは若者の邪魔をしないように、そして

若者を盛り立てるようにしなければなりません 

その181         2018/11/12に掲載

JRの計画運休

JRが前回の対応を考慮して計画運休を前日に発表するとしていますが、公共交通

機関という観点から見るとJR独自に実施するのではなく他の交通ネットワーク

(私鉄や地下鉄)との関連で決めるべきではないでしょうか


どこの都市でもJRと私鉄や地下鉄との相互乗り入れは当たり前になっているのに

JRの部分のみを独自に運休してはかえって混乱が広がりかねなません


先日のJR東日本の会見では伝達方法や決定時期に焦点があり、計画運休そのもの

が社会に与える影響全体についての言及はありませんでした

相互乗り入れや、多くの区間で代替経路があるという事実に全く言及せず、あたかも

JRが公共交通機関のすべてであるような内容で大変違和感を覚えました


民営化されたと言ってもいまだに意識では私鉄より『偉い』というように見えます

外国語での通知やSNSの利用という伝達手段にのみ力点が置かれ、伝達さえできれば

それで良しとして本質的な課題には言及していません


例えば24時間前の情報では進路がずれたり、勢力が衰退した場合どうするのか

相互乗り入れについてはどうするのかというような点の言及が全くありません


前にも書いたように知事やFEMA(連邦危機対応庁)のような行政機関が主導して

行うべきではないだろうかと考えます


一部の交通機関が運休と言うのは基本的に事故などで特定路線が止まった時と同様の

反応が考えられます、つまり交通機関に危険が迫っているとは考えずに代替手段が

あれば多くの人が普段通り行動しようとするのです


したがってある地域全体としての整合性のある計画運休をしないと、代替路線を

使った通勤通学はなくならない可能性が大きく、かえって混乱してしまいます


それともJRは自分たちが止まれば他の交通機関も『右へ倣え』するとでも思って

いるのでしょうか 

その180         2018/11/5に掲載

試合中の事故で賠償?


先日新聞で次ような裁判記事がありました

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趣味バドミントン教室仲間ら4人がプレーしている最中にペア女性が

相手コートから飛んできたシャトルを打ち返そうとバックハンドでラケットを

振ったところ、ネット際にいた原告左目に当たり、生活に支障ある怪我をした


高裁判決は「被告は原告動きに注意し、ラケットが当たらないように配慮すべき

だった」と判断。「バドミントンは身体接触ある競技ではなく、原告は、ほか

競技者によって危険が生じるとは認識していなかった」とした


また、判決は「スポーツであることを理由に加害者責任が否定されるであれば

国民が安心してスポーツに親しむことができなくなる」とも指摘した


弁護士は「趣味スポーツをプレーしている時に起きた事故でも、過失があれば

加害者が相応責任を負うは当然だ。高裁判決は被害者救済を広げ、事故

抑制につながる」と話した

====================================

本当でしょうか?


ボクシングような格闘技でなくてもスポーツでは偶発的な事故可能性は普段

生活より高いで、ある程度危険はプレーをしている選手も自覚すべきです

判決ように加害者が責任を負うであれば『安心してスポーツに親しめる

でしょうか』また『事故抑制につながるでしょうか』


私は逆だと考えます。全力でプレーをすればするほど事故可能性は高く、また

プレー中に事故を避けるような行動はとれません


きっと、こ判事も弁護士もスポーツをしない人なでしょう


それではどうすれば良いでしょうか?


ここに保険という考え方があります


ボトミントン教室主催者は参加者に対して保険をかけるべきでしょう、保険代は

教室参加費に含めれば良いではないでしょうか


ようにして初めて『安心してスポーツに親しめる』ようになります


ような判例が定着することに危惧を覚えます

その179         2018/10/29に掲載

私の憲法改正


もちろん憲法第9条を変更しようという意図はさらさらありません

しかし、憲法が100年も200年も修正されないということではありません

まず、憲法第7条と第69条を改正して、衆議院解散を制限したらどうでしょうか


アメリカは基本的に大統領に議会解散権はありませんで、上院6年、下院2年

任期は保障されています


ヨーロッパでも近年ではイギリス、フランス、ドイツでも議会解散権は制限され

議員は基本的に任期を全うするようになっていますで、解散を気にせず政策に

打ち込めるわけです


さて、憲法第7条では内閣助言と承認による天皇国事行為中に衆議院を解散

するという条項があります


吉田内閣で69条によらない解散を実施して以来、定着していますが内閣助言と

承認根拠は不明確です


一方憲法第69条では「内閣は、衆議院で不信任決議案を可決し、又は信任決議

案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければ

ならない」としています


条文を不信任決議に加え、「年度予算案が否決された時と他国と平和条約

締結が否決された時」とし、憲法第7条も「憲法第69条に基づき衆議院を解散

する」と明確化する


改正によって内閣、実質的には総理大臣持つ多く権限を制限し、かつ

衆議院議員に対する絶対的な支配力を弱めて、議会と内閣緊張感を保とうという

アイデアです

その178         2018/10/22に掲載

虫眼鏡社会

遠い昔となったバブル崩壊から30年近くになり、株価は上がりマクロ数字で

見る限りか景気も悪くありませんが、新しいもにチャレンジするような活力には

欠けそれが世停滞感となっています


景気は良い筈なにデフレ基調は是正されず、値上げ代わりに内容量を少なく

したり、サイズを小さくするという実質値上げが蔓延していることも個人景気に

対する見方を厳しいもにしているように見えます


多く人が自分に関係あることしか興味を持たないことが底流にあります


私はこれを『虫眼鏡社会』と呼んでいます


つまり虫眼鏡でもを見るように全体像、周囲環境、大きな流れということが

見えなくなり、自分回りさえ良ければ満足という考え方です


また、報道機関も虫眼鏡現象になっています


身近な例ではスポーツ国際試合では日本試合しか報道せず、例えば予選リーグ

全体像はどうなか、強豪国試合結果はどうなかは日本語情報では

わからず、いつも国際競技団体英語ホームページを見ています


私たち年代は『座して死を待つよりは撃って出る』という環境でしたで、自分

だけことを考えていてはまさに『死を待つ』ことにもなりかねず、後ろから背中を

押されるように様々なことにチャレンジしました


もちろん、経済成長を達成しそれなりに豊かになってきたでこような意気込み

が本当に必要かどうかは疑問なこともありますが、基本となる考え方は重要です


以前にも書きましたが、海外から来たベンチャー企業創立者がイメージに持って

いたチャレンジングな日本中小企業はどこへ行ったかとびっくりしていた

印象的です


虫眼鏡で見れば問題は見えないかもしれませんが、世界潮流中で物事をみると

大変な危機に直面しているではないかと危惧されます


『虫眼鏡』でなくせめて『ハズキルーペ』程度に視野を広げてはどうでしょうか

その177         2018/10/15に掲載

一億総無責任時代


政治世界では枚挙にいとまがありませんが、富田林署から逃走した容疑者

でも警察対応責任はどうなっているでしょうか

結局2ヶ月近く経ってから逮捕されたですがそ間、職務質問を受けながら

盗難自転車登録番号をチェックしなかったため逮捕されなかったとこと

確認しないというはかなり基礎的なミスだと思われます


また、企業でも釈明はすれど責任は取らずという状態が続いています

台風24号に伴うJRの対応にも疑問があります。安全確保は大切ですが私鉄は動いて

いるJRは運休、山手線ように基幹路線で長い高架もなく駅間が短い路線ですら

夜8時に早々と運休するは如何なもか? 公共交通機関という認識が薄いでは

と疑われます


たまたま当日、石和温泉に行く用事がありましたが石和温泉到着午後1時半過ぎ

には既に2時過ぎ出発以降帰り特急、鈍行が全面運休お知らせがありました

時点では雨も降っておらず、風もなく台風はまだ九州付近でした

結局夜8時過ぎ高速バスで帰り、地下鉄が動いていたで支障なく帰宅できました


アメリカでも最近ハリケーン直撃恐れから大規模な避難命令が出ましたが、行政が

責任も持って決断し、通知しているですが、日本で計画運休はどような基準で

誰がどんな責任で決めたかもわかりません


平常時に計画運休運用基準を決め、通知方法を告知してから実施するなら問題

ありませんが、例えば平日であった場合、出勤を取りやめた場合や登校できない時

出欠取り扱いも明確ではありません。 もし休暇扱いあるいは欠席になるようで

あれば無理しても出勤する人が出てきます


責任ということではもう一つ、雑誌へ寄稿で話題になった政治家がいましたが、

記者インタビューにも答えず逃げ回っている状況がテレビで流れました

自己主張ができないなら話すべきでなく、書いた以上ははっきりと自己主張する

が政治家というもでしょうが全くできていません


ような環境で育った子供たちは責任についてどう感じているでしょうか 

その176         2018/10/8に掲載

再び寛容と忍耐を

前にも書きましたが、小さな国が増えています。ユーゴスラビアは六つの国になり、

チェコスロバキアはチエコとスロバキアに、ソ連はロシアとその他の14ヶ国に

アフリカでも小国の独立がいくつかあります

また、香港やシンガポールの経済発展をみると国が小さい方が成功するようにも

見えます


理由の一つとして国としてまとまりやすいと言うことがあるかもしれません

しかし、逆にみると多様性は少なく、非寛容であることも認められます

宗教の宗派ごとに国ができるような状況は多様性とは全く反対です


シャルル・アズナブールが亡くなりましたが、彼はアルメニアからの移民でした

それでもフランスの国葬扱いでアンバリッドに埋葬されました

日本でこのようなことが起きるのでしょうか


多様性が発展の源泉であることを認識すると良いことばかりでもありません

多様性を保つためには最大限の寛容性が必要になるからです


十人十色なのですから寛容性がなければ結局皆が一人で暮らすことになってしまい

社会が成立しません


警察の発表では最近長期に亘って犯罪が減少しているとのことですが、小さな子供に

対する虐待のような事件は減少していないどころか増加しているような印象を

受けます


知り合いの子供が今年の春に高校に入りましたが、すでに学校に出てこない生徒や

退学した生徒がいるそうです


お互いの距離をはかりながら集団を形成するという訓練が、その最小単位である

家庭でもできていないことが原因ではないかと思われますし、これからの日本を

考えると悲観的になります


他人に干渉しすぎるのは問題ではありますが、他人の行動に関わらないというのでは

社会が成立しません

干渉、おせっかい、寛容、忍耐、そして判断と決断、これらの微妙なバランスを身に

つける過程が学校教育の大切なことであって、インターネットで調べれば分かる

ような知識を記憶することが教育ではありませんが、皆さんはどうお考えでしょうか 

その175         2018/10/1に掲載

労働法の改正で自由な働き方を


最近議論されているような裁量労働制ではなく、もっと簡単で基本的な点改正を

提案してみます。 それは労基法342(下記参照)改正です


製造ラインように集団で作業している職場は別として、頭脳労働に従事している

事務職場合は仕事区切りに合わせた休憩が取れるようにすることで、仕事に

対する自主性を発揮できるようにすることが趣旨です


わかりやすい状況として都市部昼休みがあります

ほとんど会社が昼休みを正午から午後1時に設定しているため、近隣レストラン

では長い列ができてせっかく休憩が待つことで浪費されてしまっています

個別に休憩を取るようになれば、各自好み時間に合わせられるため、早め

だったり遅めだったりして待ち時間を短縮することができますし、店にとっても

実稼働時間が延長できるで売り上げ増にもつながります


もちろん、労基法は例外的に協定を結べば一斉取得原則は変更できますが、これを

例外規定とするではなく、逆に例外的に一斉取得を認めるようにすることで

休憩時間概念が大きく変化するではないでしょうか


労働基準法342項】

前項休憩時間は、一斉に与えなければならない。ただし、当該事業場に、労働者

過半数で組織する労働組合がある場合においてはそ労働組合、労働者過半数で

組織する労働組合がない場合においては労働者過半数を代表する者と書面による

協定があるときは、こ限りでない。

【解説】

一斉付与原則は、労働者が別々に休憩をとると、監督機関が休憩時間規制違反を

発見しにくく、また、休憩実もあがらないと理解に基づくもで、かつては行政

官庁許可がなければ例外は認められませんでした。しかし、現在では、こ原則

必要性はさほど強くはなく、むしろ個別的に休憩を取ることが望まれる場合もある

で、1998年改正により、労使協定による例外を認めることとしました 

その174         2018/9/24に掲載

国際感覚を磨こう


あまり大きな話題にはなりませんでしたが、江ノ島で開催されたヨット世界選手権

イベントでイルカショーというがありました。 一部選手が不快感を表明

したりイベントを欠席しました


普通日本人感覚では江ノ島水族館で人気イルカショーを海外人にも見て

もらおうという単純な発想でしょうが、イルカをショーに使うことには動物愛護

観点から行わないようになってきたというが世界潮流です


イルカショーが本当に動物虐待なかどうかはともかくとして、そような動きが

世界にあることを認識してプログラム構成を考慮すべきでしょう


いまだに解決しない商業捕鯨についても『調査目的』と言って実質的に商業捕鯨を

継続していることに世界中から厳しい目で見られています

産業として捕鯨は日本全体経済から見れば小さいですが、捕鯨文化という名目

でいまだに継続しています

南氷洋にまで行って鯨を取ることが本当に文化なでしょうか。


相撲でも『日本人横綱』が異常なまで盛り上がりを見せ、そ裏側にある外国出身

力士心情に想いを致すことが少ないはどういうことでしょうか


大正デモクラシーから昭和初期に至る時期と重ね合わせて考えてしまいます

モボ、モガに代表される派手な社会現象裏側で貧困に悩む地方農村地帯という

格差が、そ農村出身者が多い軍隊で改革運動につながり、結局は過激な思想を

容認してしまったという歴史と、現代様々な格差や、これほど情報が自由に得られ

る環境でも世界状況に鈍感な現代が重なり合って見えてきます


国際感覚とは英語を話すことではなく、世界で何が起きているか、そ中で

我々は何をしなければならないかということを意識することです


ためにもっと世界に出て見聞きし、肌で感じることも必要でしょうし、

与えられた情報でなく自ら進んで普段は得られない情報を収集することが必要です

その173         2018/9/17に掲載

役職定年って何だろう


ある年齢に達すると突然業務遂行能力が消滅するわけでは無いから、これは全く

人為的な制度であることはわかります


さて、何を目的としているでしょうか?


年齢とともに給料が上がり続けないように?

若手に役職枠を譲るため?


目的はっきりしない制度がうまく運用されることはありません

そもそも年齢とともに給料が上がることに疑問を抱かないこと自体、制度設計以前

問題で完全な対症療法にすぎず、根本原因を解決しないのでは本人にも周囲にも

悪影響を与えるだけになってしまいます


ような制度ができてしまうと、該当年齢あるいはそれに近づいた年齢層

ならず若手にも将来に対する漠然とした不安感を与えてしまい組織全体活力が

失われる結果になることでしょう


高度成長期ように、組織がお大きくなればポストも増加するし、売上・利益に

ともなって給与が定期的に上昇することも一定意味があり、無理に競争させたり

不安感を与える必要はありませんでした


しかしながら、近年はこような状況は当てはまらず組織はむしろ縮小気味、業績も

横ばいか微増が精一杯となり、ポストは増加するどころか減少しています

現実と仕組みアンマッチが基礎にあるわけですからここに手をつける、つまり

仕組み見直しをすることが肝心なです


小手先対応策では皆が不安、不幸になってしまい、悪循環に陥ります

勇気を持って新しい仕組みを考え、実行する組織が現れることを期待します

その172         2018/9/10に掲載

外見が変わると中身も変わる


最近、あらゆるスポーツでカタカナ名前の選手が増えました、そして実力的にも

素晴らしい選手が多いように感じます


ブロ野球やサッカー、バスケットであれば一部の国でやっているような外国人選手

の国籍変更補強という可能性もありますが陸上や柔道のようなアマチュアスポーツ

にもみられると言うことは補強とは考えられません


少し前に戸籍法が改正されカタカナ名前でも登録が可能になったことが原因でしょう

改正前であれば当て字の漢字を使ったり全く別の苗字を付けるしかなかったので

どうしても周囲から見る目も特別扱いで社会から受け入れられなかったこともあった

のではないでしょうか


ツルネンさんが選挙に出ようとして認められず都留念という当て字を使ったのは

そんなに昔の話ではありません


カタカナ苗字が一般的になって社会に受け入れられるようになり、本来の実力が遺憾

なく発揮され始めたのではないかと感じます


大相撲の秋場所が始まり稀勢の里の復活ができるかどうかも大きな話題になって

いますが、役力士以上には外国出身力士が大多数で日本出身力士として横綱稀勢の里

が注目を集めているようですが、外国出身力士も流暢な日本語を話し引退後は部屋で

力士を育て、相撲の伝統を引き継いでいます


テニスの全米オープンでは大坂なおみがアジア人として初めてのグランドスラム大会

優勝を飾りましたが、インタビューでも明らかな通り日本語はまだ不十分です

それでも日本中で祝福されるような時代になったということでしょう


このように戸籍登録の小さな変更が、これほど大きな変化を生むとは誰も考えて

いなかったでしょうが、探してみれば他にも似たような事例が沢山あり、このような

ちょっとした変化が大きな力となって改革が生まれるのではないでしょうか


お金を使わなくても活性化を促す施策は沢山ありそうです 

その171         2018/9/3に掲載

そして誰もいなくなった


人口減少のことではありません


何が起きても誰も責任を取らなくなってしまったということを言っています

最近の事例で言えば障害者雇用法のごまかし問題です


どのような組織であっても決裁規定がありますので、実質的にメクラ判になって

いるにせよ最初の決裁者:通常は起案者、と最終決裁者:責任者は明確ですから

両者あるいはどちらかが責任を取るべきです


第三者委員会のようなものを立ち上げるのであれば、何が起きて誰に責任があるのか

を調査・報告するのではなく、上記の責任者が実質的な責任を取るべきか否か、もし

そうでないのであれ組織運用プロセスの課題と改善提案を行うべきです


民間企業では当たり前のプロセスが行政府になると何故有効ではないのかという点も

明確にすることが必要でしょう


つまり、この法律や制度の理解ができているかどうかは問題ではなく、外形的責任者

は必ず存在するわけですから起案者または最終決裁者が公の場で説明をし、責任を

取ることが必要です。これが説明責任(Accountability)です


その後に第三者委員会でも内部調査委員会でも構いませんので、決裁プロセスが

形骸化しているのかどうか、もしそうであれば、どのようにして、どこを、

いつまでに改善するのかを明確にする必要があります


その結果、表面的な決裁者の責任が小さければ軽い処分に、そしてそのような

形骸化した組織構造を見逃していたより上位の責任者、最終的には大臣、が重い

責任を取ることで国民の納得が得られるようになり行政府の信頼が初めて回復する

のです


ここ数年新聞を賑わす問題では誰も責任を取らないことに最近の閉塞感の原因があるようです


行政にかかわらず、企業でも、最近話題の多いスポーツ界でも同根の問題があります


『まずは隗より始めよ』という言葉があるように、行政府と立法府がまず襟を正す

ことが必要でしょう 

その170         2018/8/27に掲載

大学無償化前に必要なこと


先日、20年来通っている床屋に行きました

生まれたときから知っている息子さんが今年高校に入りましたが、必ずしも第一希望

の学校ではありませんでした。


その息子さんが突然猛然と勉強を始めたそうです


理由は訪問して気に入った大学に入るための勉強で、誰からも強制されず、親も

それほど勉強が好きでなかった息子さんが急に勉強を始めたのでびっくりしている

そうです


気に入った学校があるから入りたい、そのためには英語はこれだけ、他の教科も

必要なレベルはこれだけといった目標を自ら立て、アルバイト先で一緒になった

目指す大学の在校生から情報を聞きながら勉強をしているということです


ここには偏差値や進路指導が入り込む余地はありませんし、もともとこのような

動機こそが求められているのです


通常は高校に入った途端に技術系、文化系といった進路指導に基づいて授業内容も

決まり本人の意志よりも偏差値で入れる大学を目指すということになるようです

このようにしてどこでも良いから大学に入るという教育(教育なのかどうかも

疑わしいですが)をしている現状で本当に皆が大学へ、そして学費の無償化が

必要なのでしょうか


先ほどの息子さんの学校では4月から半年も経っていないのに既に相当数の退学者

が出ているそうです。息子さん自体も学校はつまらないと言っているようですし

何か間違っていると思います


全てを偏差値で決め、皆が一つの方向に動くという集団の中で面白さはあるので

しょうか


ショパンやピカソが今、日本で生きていたらおそらく落第生だったでしょうし

落第した後で音楽や絵の道を極めるような機会は生まれなかったでしょう


アメリカで経験したことですが小学校一年で落第し、三年生で元のクラスに戻る

ようなフレキシブルで、単なる点数ではなく、理解度の進捗度合いで判断するような

制度がまずは望まれます


高校生は学校に魅力がないから辞めるのであって、決して頭が悪いから辞めるの

ではないという認識を持てば、現状の課題と解決の方法は必ず見つかります


それは大学への全員入学と無償化ではない筈です


もっと、若者の夢を育てる施策を考えましょう 

その169         2018/8/20に掲載

プロの活用


山口県で2歳の男児が行方不明になって多くの警察官等が参加した探索でも3日間

発見されなかった事件がボランティアーの30分の活動であっさりと見つけて

しまったというのは何を示唆しているのでしょうか


ボランティアーとはいえ、経験豊富で知識と経験が備わった、その意味では『プロ』

と、数は多いもののこのような探索には不慣れな警察、消防との差が出たということ

でしょうか


富田林の警察から逃走した容疑者も3,000人の捜索体制でも1週間後の今も発見され

てないし、少し前の刑務所から逃げた広島の事件でも島にも関わらず発見できず

結局本土側で発見されました


『量より質』ということが明確です


翻って学校教育を考えて見ましょう

『量より質』ではなく『記憶より論理の組み立て』ということに置き換えて考えると

果たして今の教育はどうなのでしょうか。少し前にTVでスイスの寄宿制の学校の

紹介がありました


11歳から18歳まで(英国でいえば進路決定のElevenn +から大学入学まで)の

生徒が英語、仏語での授業プラス自国語で教育を受けるのですが、生徒4人に

教師一人、授業も暗記よりも事例や設定された状況の中でどのように考え、他の

生徒を巻き込み、リーダーシップを発揮するのかということが中心になります


一言で言えば『次世代のリーダーを育てる』ことを明確に意識した教育です


日本人の生徒も何人かいたようですが授業料は相当に高額なことが想像できます

しかし、このようにして育てられた次世代リーダーの候補者が日本の教育制度の

中から生まれてくるのでしょうか


これからの時代、日本の置かれた状況を考えると日本の教育制度は抜本的な改革が

求められているのではないでしょうか


いまだに『記憶力優先』で『入学時点や入社、入省時点』の成績で一生の道筋が

決まってしまう社会の仕組みはグローバルスタンダードからは遠く外れています


社会人再教育の仕組みも真剣に考える時代になっているのではないでしょうか 

その168         2018/8/13に掲載

やはり日本には投資家はいなかった


知り合いのアメリカ人から聞いたちょっと寂しい出来事です

この人は友人の外国人二人と日本国内でクラフトビールを製造販売する会社を

立ち上げました


今年の春から生産を始め先ずは都内の有名レストランに直接販売していて、一般の

流通経路には乗せず特定の店でしか飲めないビールという差別化を図っています

癖のない白ビールで女性をターゲットにしています

彼に聞いて初めて白ビールがというのを知りましたが、ドイツ語あるいは英語での

呼び方から欧米ではちょっと味の異なるビールということで私自身もアメリカ滞在中

にはよく飲んでいました


ビジネスは比較的順調に立ち上がったので、一層の拡大のため資金調達が必要に

なり、個人の投資家を回って小口の投資を呼びかけているという話を聞いたのが

約3ヶ月前


日本でもこのような投資家はいるのかという私の問いかけに『沢山いますよ』

言っていました


ところが最近聞いたところ、資金が集まらないのでアメリカや香港の投資家に

調達先を切り替えているとのこと


『せっかく日本語を勉強してある程度話せるようになったのに必要なくなって

しまったね』と聞いたところ、日本人の投資家もほとんど英語を話すので今までも

それほど日本語は必要なかった。しかし、レストランのシェフと話すときは日本語

が必要だし、日本特有のマナーや話の仕方も難しいとは言っていました


日本にも投資家は沢山いるというということと、資金が集まらないことが結びつかず

聞いたところ、決断が遅い、リスクがある案件にはとても慎重で海外、特に

アメリカや香港、中国の投資家とは判断基準やスピードが全く違うと言うことでした

そこで、先ずは海外で資金調達し、ある程度軌道に乗ってきたらそれをベースに

再び日本人の投資家に呼びかけると言っていました


最近の日経新聞にも似たような記事『日本を捨て脱ムラ社会で起業』がありました

全くその通りの現実を聞いてがっかりしています


実はその前にも変わったデザインのラベルがビンに貼れない、ロゴ入りのキャップが

国内では作ってもらえず世界シェア5割のギリシャ企業から輸入しているという

話を聞いており、高度成長期の企業のチャレンジ精神、とにかくやってみる、

というような決断力が全く失われてしまっていることを感じており、ますます

日本の将来に対し暗い気持ちになっている最近です 

その167         2018/8/6に掲載

茹でガエルになっていないか?

本当かどうかは別としてよく言われる例えです


熱湯にカエルを入れるとびっくりして飛び出すが、水からゆっくり温めると逃げる

チャンスを逃して茹でガエルになるというものです


さて、最近の日本はどうでしょうか。茹でガエル現象の証拠が沢山あります


ゆっくりした人口減少

人口構成の高齢化

収入は増えないが普段の生活はなんとかなっている

政治に満足していないが急激な改革は望まないし、悪夢のような体験が変化を拒む

消費税を上げるしか逃げ道はないが、今はやりたくない

20,30年後の状況を考えるとこのような状況が徐々に悪化して、いつかは後戻り

できない事態になるのは理解できるか、今は急な変化をしたくない


全く茹でガエルになる過程にあります


これまでの歴史を振り返ると高度成長期の公害問題とその対処が一つの例になります

光化学スモッグ、環七スモッグというのがありました

実際当時海から東京を見ると上空は晴天なのに東京都心の一部だけに雲のような

スモッグが肉眼でも確認できたのです


川崎病など、健康にも甚大な影響がありましたが対策は遅々として進まない状況で

高炉に脱硫装置を設置するとコストが高くなり競争力がなくなる、脱硫装置から

産出する硫黄化合物で硫安の生産が過剰になり関連産業が廃業に追い込まれる


このような反対論が強かったのですが、最終的には政府が音頭を取り、強力な対策を

実施しました


その結果はどうなったのでしょうか


産業の競争力は却って高まり、硫安生産会社が破綻することもなく、そしてもちろん

東京にも青い空が復活したのです


現状を変えることへの不安は誰にでもありますが、それでもやらなければならない

ことはあります


誰かが音頭をとるのを期待するのではなく、音頭を取れる人を担いで変化を

起こさないと本当に茹でガエルになってしまいます


And so, my fellow Americans: 

ask not what your country can do for you

ask what you can do for your country.  
   John F. Kennedy 1/21/1960

その166         2018/7/30に掲載

民主主義とは何か


議会制民主主義ということを前提に考えてみました

他の制度との比較で考えると相対的に優れた仕組みではありますが、前提条件を

確認しておく必要があります


1.自由な議論ができること

2.多数決の意味を理解すること

3.個が確立していること


それぞれについて内容を見てみましょう


自由な議論ができることは物理的な束縛がないだけではなく、精神的な束縛からも

解放されている必要があります。具体的には身分的な束縛がないということです


多数決というのは議論では解決できない場合の最終解決手段だという認識があること

が必要です。本来は議論の中で妥協点を探るのがベストですが、それができない場合

の解決手段という認識があれば、少数意見を尊重し一定の妥協をするのが本来の姿

でしょう


最後に個の確立がなければ前述の議論も成り立ちません。つまり民主主義の前提は

各個人が自らの言動に責任を持つことにあるのです


このように考えると、今の日本の状況はどうでしょうか


国会では数の論理で議論のないまま与党案件がほとんど修正もされずに成立して

いますし、会社内では正社員制度という身分制的な束縛で自由な発想と行動を

束縛している面が強くあります。教育面でもマルバツ式の唯一の正解を求める意識

が強く本来あるべき真実の追求という側面や、多様な意見の創出を促進することが

弱まっています


民主主義の本来は国民に主権がありますので、主権の発露が必要です

色々な制度に欠陥が多くても、投票という最終手段によって主張はできる訳です

今我々ができることは自らを信じた投票を継続することで変革を求める

ことができるではないでしょうか 

その165         2018/7/16に掲載

ピンボケの働き方改革


人口が減少し、さらに労働人口が人口減少率を上回る減少をしているなかで

生産性の向上は必須の条件になりますが、最近の議論は生産性改革=残業時間減少

になってしまっているようで残念です


さらに、生産性を測る定義も不明確なままでは何を目指しているのかわかりません

単に、人気取り政策のようになってしまいマスコミからもいわゆる評論家からの

発言もありません


最初に議論しなければならないのは労働契約の見直しと労使が対等に交渉できる

環境の整備にあり、これによって初めて労働者に裁量権が生まれます


現在のように裁量権のない労働環境では『裁量労働制』は絵に描いた餅です

欧米でもアジアでも労働契約の基礎は『何をいつまでに達成するから報酬はいくら』

『そのための権限と義務が明文化され』これについて交渉し、合意し契約に至ります

日本の場合、ほとんどの場合『無限定な労働契約』で様々な仕事の役割を与えられ

労働者には選択の余地がほとんどありません


この基本が不明確では生産性の改革は考えられません


最も特徴的に表れているのが上司がいると帰れないという職場環境ではないで

しょうか

前述したように自分の仕事の定義が明確であれば、本人の裁量で早く帰る、あるいは

遅くまで残るということが自主判断できますが『全人格的労働』のもとでは裁量権は

非常に小さくなってしまいます


個人年度目標に具体的達成目標設定やいつまでに何をらやるかを決め、

進捗は個人に任せることで裁量権が各個人に生まれ、上司がいても

帰れる環境が整うことで生産性改革が進むのではないでしょうか

その164         2018/7/9に掲載

なぜ、閉塞感なのか


人間は本来変化を嫌います


人間に限らず、動物は一定の生存ルールを守らないと絶滅の危険がありますので

よほどのことがない限り従来の生活パターンを変えることは無いのです


恐竜が絶滅したのは急激な気候変動に対応できず従来通りの生活パターンを継続した

為に死に絶え、その新しい環境に適応できた生物が取り変わることになりました


現代日本を見ると、適度な生活ができ、それなりに物質的にも恵まれていますので

自らリスクを冒して変化を求めることはありません

これだけであれば『みんなハッピー』なのですが、もう一つの心配があります

それは『将来に対する漠然とした不安』なのです


1970年代までは『将来に対する漠然とした希望』があったので現代と比較すれば

遥かに低い生活水準でも『追いつき追い越せ』に情熱を燃やすことで目標もあり

目には見えませんが『希望』がありました


20年ほど前から『世界の先頭を走る』ということで明確な目標が見えなくなり

それと同時に『希望』が『不安』に変わってしまったのです


しかし、政治も社会も会社内でも皆が共通して持てる目標を示していません

変化はしたく無いけれどこのままではなんとなく不安という感情が『閉塞感』と

なっているのでしょう


年齢構成の高齢化も国の予算の2/3を国債に頼る財政もこれからの急速な人口減少も

他国の例を取ることはできません、何故ならば日本が先頭を走っているからです

このような閉塞感を打破するには各自が自らの殻を少しだけ破る勇気と変化に対する

恐怖心を抑える勇気を持つべきでは無いでしょうか 

その163         2018/7/2に掲載

不作為の作為

学生時代の行政法の授業で初めて聞いた時にはとても新鮮に感じられましたが

残念ながら当時から主流派の意見ではありませんでした


不作為の作為とは何か


法律を適用しない「起訴しない」という行為は法律違反ではありませんが、その

判断には恣意的な意図が生じやすくなりますので、何もしない「起訴しない」こと

自体がが違法だという考え方です


法律があって該当するかどうかを検討するのではなく、まず事実がありその違法性を

立証するために適用できる法律を探して立件するという義務があり、何もしないこと

そのものが問題だという考え方で、行政の世界ではよくある「泣き寝入り」を防ごう

とするものと言っても良いでしょう


政策レベルに眼を転じると、もっと明確に見えてきます

例えば今、日本で根本的に考えなくてはならない課題がたくさんあります

すぐに問題が生じるわけではありませんが中長期的には大きな課題で、解決を

先延ばしするほど難しくなるような事態がたくさんあり、本来政府は対策を提示し

国民の理解を得る(政策提示による選挙)必要がありますが行われていません


これも「不作為の行為」です


参議院のあり方の提示ではなく、人口減少の中で定員増加という安直な選挙法改正

世界で最も早い人口構成の高年齢化に対する施策

人口の高齢化に伴う医療費等の増加に対する抜本的な対策の提示

急増する国債発行残高に対する償還方法とその影響

国の歳入比率を考慮すると避けられない消費税増税(欧州諸国では20%台)

時価総額の10%を超える公的資金の株式市場への投入に対し撤退時期とその影響


これらの課題に対して将来像を提示するのが政治の本来の役割ですが、残念ながら

何もできていません。 まさに不作為の作為なのです


議員内閣制度においてはどうしても行政の力が強くなってしまいます

三権分立の考え方から言えば、立法の意義が疑われる案件に対し憲法裁判所の

ような司法が介入する仕組みも必要かもしれません


また、行政府と一体化した与党が立法府を形骸化してしまうことに対するチュック

機能も必要でしょう


同じ議院内閣制の英国では党議拘束は限られた案件に絞られ、議会での与党と

政府の議論も活発に行われています

ほとんどの案件に党議拘束をかける日本の現状に対する見直し議論もあってしかる

べきですが


ここでも「不作為の作為」が働いています