虫眼鏡社会
遠い昔となったバブルの崩壊から30年近くになり、株価は上がりマクロの数字で
見る限りか景気も悪くありませんが、新しいものにチャレンジするような活力には
欠けそれが世の中の停滞感となっています
景気は良い筈なのにデフレ基調は是正されず、値上げの代わりに内容量を少なく
したり、サイズを小さくするという実質値上げが蔓延していることも個人の景気に
対する見方を厳しいものにしているように見えます
多くの人が自分に関係のあることしか興味を持たないことが底流にあります
私はこれを『虫眼鏡社会』と呼んでいます
つまり虫眼鏡でものを見るように全体像、周囲の環境、大きな流れということが
見えなくなり、自分の身の回りさえ良ければ満足という考え方です
また、報道機関も虫眼鏡現象になっています
身近な例ではスポーツの国際試合では日本の試合しか報道せず、例えば予選リーグ
での全体像はどうなのか、強豪国の試合結果はどうなのかは日本語の情報では
わからず、いつも国際競技団体の英語のホームページを見ています
私たちの年代は『座して死を待つよりは撃って出る』という環境でしたので、自分
だけのことを考えていてはまさに『死を待つ』ことにもなりかねず、後ろから背中を
押されるように様々なことにチャレンジしました
もちろん、経済成長を達成しそれなりに豊かになってきたのでこのような意気込み
が本当に必要かどうかは疑問なこともありますが、基本となる考え方は重要です
以前にも書きましたが、海外から来たベンチャー企業の創立者がイメージに持って
いたチャレンジングな日本の中小企業はどこへ行ったのかとびっくりしていたのが
印象的です
虫眼鏡で見れば問題は見えないのかもしれませんが、世界の潮流の中で物事をみると
大変な危機に直面しているのではないかと危惧されます
『虫眼鏡』でなくせめて『ハズキルーペ』程度に視野を広げてはどうでしょうか