その328       2021/9/20に掲載

柔らかい個人主義の誕生を読む その2

この本の中で60年代から70年代に変化は明確な目的を持ち生産性を高める

活動、ある意味で時間の節約が大切な時代から自ら目標を求める活動

つまり時間の制約から解放されて自分の意思で各自の目標を求めることが

要求され、それは消費を通して情報を発信することで他人の目標を知るよう

になるとあります


情報化時代と呼ばれるのはこのような意味を持つものです

 

しかし、自らの消費が情報発信だという意識を持つことが困難であるが故

目標喪失の中で不安定な状態に投げ出されることで次第に活力を失って

しまったとも指摘しています

 

ものを造る過程では消費者の求めるものが多岐多様になり多品種少量生産を

余儀なくされるか、あるいは生産者は多くの消費者が求めているものを自ら

創作しなければならないようになりました

 

翻って私が在籍したソニーでは80年代途中までまさにこのようなことが

行われ、開発者は自分が面白いものを造り、その意図を消費者に伝えるのが

営業の役割であり大量生産よりも開発者の意図を理解してくれた消費者のみに

商品を提供するため金額は高くても、デザインや品質にこだわり決して

マーケットシェアを狙うものではないというある種の哲学がありました

時代を先取りした組織運営とその結果としての新しい発想の商品開発、その

結果をマーケットに問うということが新鮮に受け取られたのでしょう

 

しかしウォークマンの大成功によって様々な客層に対するモデルを開発した

ことで無意識にこのような哲学が薄れ次第に他商品でも他社とのシェー争い

に巻き込まれた結果、価格競争力で後塵を拝し折角時代の先頭を走っていた

にも関わらず時代の変化に遅れ、その後の業績低迷に繋がりました

 

70年代が終了してから40年、このような変化に対する社会の対応とそのなかで

暮らす個人の意識はいまだに対応できていないことが最近のスローガンや現象

に見られます

 

『情報化社会=DX促進』『目的の喪失=無気力な若者』『哲学のない政治=

短期的な戦術に明け暮れる与野党』

 

もう一度考え直すときではないでしょうか


(次回に続く)

その327       2021/9/13に掲載

柔らかい個人主義の誕生を読む その1

1980年に山崎正和が著した『柔らかい個人主義の誕生』40年後の今、本棚

から取り出して読み始めました

 

1960年代と1970年代では社会的な価値観が大きく変化したことを大胆にも

80年代初頭に分析した本ですが、まさに正鵠を得ていて今の時代にもあて

はまることに驚きましたので何回かに分けて記したいと考えました

 

60年代までは『追いつき、追い越せ』という目的が明確で産業革命以来の

生産性至上主義に誰もが疑問を持たずにこれからは良い時代が来るという

共通認識がありました

 

『三種の神器』冷蔵庫、洗濯機、テレビを揃えることが実現した時代でした

その後は『3C』カラーテレビ、クーラー、車(カー)が続きます

 

そして70年代になるとGDP世界二位(当時の指標はGNP)となりまだ大きな差

のあったアメリカを除き西欧主要国を抜いて目標達成し、そこで目標喪失と

なってしまいました

 

実は世界的にも国家や組織の目標達成のための活動から各個人がそれぞれの

目標を見つけなければならない時代になっており、多くの人が喪失感に襲われ

彷徨い始めた時期になります


新しい目標を見つける前にバブルが崩壊し、さらに彷徨うことになります

 

しかしその後も『失われた10年』とか『失われ20年』という言葉に代表される

ように60年代への回帰を目指してしまい、新しい発想が生まれなかったことは

既に経験したことですが、国も企業も教育機関もそして各個人もそのような

変質が起き各自がそれぞれ目的を見つけそれを追求する社会になったという

ことに気づいていません


最近のオリンピックや万博開催は正にその表れですから多数の共感を得られ

ないことは明白です

 

さらに効率を追求することが是、効率的な生産で物質的な豊かさを求める

ことから情報の発信によって各個人が自ら考えるような社会への変質が重要

とも述べています

 

今の時代にも通用するというより40年間も我々はそのような探究をサボって

いたということになります

(次回に続く)

その326       2021/9/6に掲載

ソフトパワーが日本の生きる道

ジョセフ・ナイ教授の提唱するソフトパワーがこれからの日本が目指す道では

ないだろうか

 

既に大きな土台ができていることに注目してみよう

多くのサッカー有名選手がサッカーを始めたきっかけはマンガ『キャプテン

翼』だったとの報道があり、勿論日本選手も同じようなことがあります

 

また、オリンピックでは組織トップの不祥事や不手際がありましたが、実際の

会場その他ではしっかりと対応がなされていて、多くの参加選手から感謝や

称賛の言葉が得られています

 

わゆる『現場力』は健在だったと言うことで、長年に亘って築かれてきた

本当の実力で他国が簡単に真似できない力です


東日本大地震での秩序ある被災者の行動は世界中の耳目を集めました

良い意味で個人が前面に出ないことが結果的に秩序を保ったのだと思いまが

同時に自衛隊の前線指揮官はTV放送等で状況を把握し、出動命令が出る前に

必要な指揮命令系統の整理や部隊編成に着手していて、結果的に素早い出動に

なりました

 

一方で女子バレーの予選リーグ敗退や、サッカーW杯最終予選での初戦敗戦

に見られた戦略の失敗にみられる長期的な戦略策定とその実践といった面で

立ち後れが見られます

 

蓄積された経験に基づくパワーが現場の個人レベルでは発揮されているのに

指導者レベルではそのようなパワーが発揮されなていないと言うことです


個人の問題ではなく、組織全体としてソフトパワーを尊重し育てていこうと

する長期安定的な戦略がなく、指導者を育てる環境ができていないことに

よります

 

昔からアイデアや表現力は個人レベルで発揮される場面では充分独創的な

ものが生まれているのに、組織全体でその良さが認識されていない、或いは

軽んじていてお神輿スタイル前例主義、責任不明確なことなかれ主義が蔓延

して個人の良さが消されています

 

ソフトパワーを認識したトップの意識改革と同時に『精神的な』若返りを

急速に達成する必要があります


ソフトパワーで身を固めれば、他国から軍事的な脅威を受けることはあり

ません、何故ならば他国も日本のソフトパワーの影響を受けているからです

その325       2021/8/30に掲載

明るい話題

コロナ感染の広がりや一向に庶民を顧みない政治が蔓延する世の中で少しでも

明るい話題を見つけようとしました


これが結構難題でベランダに椅子を持ち出し、ゆっくりとしながら考えたの

ですが一筋縄ではゆきません

 

23日前に新聞に藤井二冠が初防衛に成功したと言う記事がありました

これまで苦手としていた豊島竜王に初戦の敗北以降四連勝で防衛とのこと

テレビの画面でもコロナも世の中の閉塞感にも無関係に淡々として将棋に

打ち込む姿が爽やかで、これが一つの回答かと思った次第です


つまり、外部の雑音に囚われず自分のできることに集中することが大切だと

言うことを示しているのではないでしょうか

 

最近の情報過多の時代、とかくあちこちに話題が散ってしまい自分の本分は

何なのであろうかと言うことを忘れてしまうところにも厭世観が醸成される

原因があるのかもしれません

 

翻って自分自身を考えてみれば、所詮犬の遠吠えのように世の中のことを

憂えても自分のできることはほとんどない中で厭世観に浸ってしまうのは

結局自ら隘路にはまっているようなもので、こんなバカなことはありません

 

自分にできること、政治の世界で言えばしっかりと候補者を見極めて

『より悪くない人に』投票する、そしてよく監視し次回の選挙では再びその

候補に投票するのか、或いは別の候補者を探すのかと言うことの繰り返しで

 

長い間には徐々に世の中の雰囲気が変わってくるという希望を持つこと


ケネディー以降のアメリカ大統領選挙では『より良い候補者』を見つけるより

『より悪くない候補者』に投票しようと言うのがポスト(Washington Post)

タイムズ(New York Times)の社説です


大統領選挙も理想を掲げるよりも相手の欠点を徹底的に攻撃し、TV CMでも

自分の主張よりも相手の欠点を攻撃するようになり『より良い候補者』が

見つけにくくなった時に大手メディアが掲げた主張です

 

このように考えると、明るい話題とは自分に自信を持ちより悪くない選択肢を

積極的に採用することだと思う次第ですが如何でしょう

その324       2021/8/23に掲載

驚、喜/怒、伝/諦、無関心

人間の感情はまず何かを発見して驚くことから始まる


草から食用になる野生の米を見つけて歓喜するか、食用になる獣を見つけても

逃げられてしまい憤怒の感情を持つようになる

 

そして野生の米が食べられることを伝達することで多くの人が知るようになり

品種改良と栽培が始まるか、足の速い獣は狩が出来ないという諦めを持つ

 

そして最後に皆が栽培したり、誰も狩をしなくなれば無関心となる


これを現代に置き換えてみましょう

情報過多の時代にあっては自ら経験しないことも簡単に頭から知識として

入ってくるので驚くことが少なくなってきました


更にコロナ感染で言えば感染者数が増加すれば数週間後には重症者が増加

することは過去の経験から誰にでもわかることなので、無対策のまま様子を

みた結果入院すらできない状況になっても人々は驚きません

 

感情の最初の段階がなければ、それに引き続く喜/怒も伝/諦も起きず最後には

無関心となります


多くの若者が社会現象にも政治にも無関心で、また無党派層が最大の支持層

という現状はまさに最初の驚きがないことからくる無関心になってしまった

のでしょう

 

それでは無関心の次には何がくるのでしょうか

 

残念ながら考えられるのは悲しみしかありません


日本という国が長い没落の過程に入ったのは1989年ですがそれから30年経って

悲しみが支配する時代になってしまいました

 

もう一度勇気を持って驚きを見つけ行動の原点である基礎哀楽の感情を

取り戻しましょう

その323       2021/8/16に掲載

此処にも『まるドメ』

それなりに盛り上がったオリンピックが終了し静けさが戻るとともに

感染爆発が表面化してきました

 

さて、ほとんど興味がないのでオリンピックの開会式は見ていませんが

ニュースその他で見る限り日本人にしかわからないテーマと登場人物そして

表現だったようです

 

しかも無観客になったにも関わらず、観客を意識した演出で、ここでは

拍手と歓声が期待されていたはずという満席の開会式の演出のままで

無観客に対する変更は全くなかったようです

 

確かに無観客が決まったのは直前ですが、いつもいうように『田植え理論』

からすると春頃から中止、延期、無観客というオプションに従った演出を

用意しておくのは当然で、演出責任者が交代したとか、最終決定が遅かった

からというのは何の言い訳にもなりません

 

その上で内容を見てみると全くドメスティックな感覚で、外国人観客が

多数を占めている、あるいはNBCによる全世界配信という前提条件は殆ど

無視されているのではないかという印象です

 

入場行進曲がドラクエ,プラカードがマンガに使われる吹き出し

長嶋,王,松井の名前がどれほど世界で知られているのか、そもそも野球は

世界的に見ればマイナースポーツであり本当にオリンピックに相応しいのか?

 

ここにも日本の、または日本人のメンタリーがそのまま表れ、あたかも

日本人の、日本人による、日本人のためのオリンピックといった主張に

見えてしまいます

 

国際化とは何かを示す絶好の機会だったのですが残念な結果に終わりました

その322       2021/8/9に掲載

自由・人権・都市

最近の風潮として何事に対しても人権ということが声高に叫ばれ、また自由という

ことも大事な論点になっています

 

しかし、現代の自由は元を正せば自由都市内の自由市民から出てきた概念で中世の

ヨーロッパで領主の束縛から逃れて都市に入り自由都市として領主からの独立を

獲得したのが始まりで、人の行動が完全に個人として自由になることを意味しません

 

都市の連帯を守るためのルールが存在し権利と義務を相互に認め合うことが求められ

共同体としての規律内での自由という意味です

 

日本の場合は、中世以前に荘園に隷属していた農民が封建領主の庇護のもと領地内で

存在を安堵されることで隷属から離脱したものの、結局自由都市の形成はなされず

明治革命で市民となり。第二次対戦後の帝国解体によって民主主義的自由を得たので

市民としての契約も無く内容が曖昧ままま自由という言葉のみが飛び交っています


それぞれの国や地域で歴史やその成り立ちは異なりますので必ずしも西欧文明での

自由の概念が正しい訳ではありませんがどんな形にしても権利と義務は表裏一体の

関係でなければ社会は成立しません


歴史の中で長い間種々の異民族に支配された経験のある国、例えばフランスや

中国では国家の前に個人の自立があり常に個人が国家を監視あるいは見極める力が

強くその対案として西欧型民主主義や中華型統制民主主義が生まれました

 

日本やロシアは伝統的に異民族支配の経験が少なく官僚機構が発達していて

官僚型民主主義といっても良いでしょう

 

明治初年のように優秀な官僚が統治する場合は成果が上がりますが、官僚機構の

監視役が存在しないので昭和初期のように軍が監視役として登場し結局官僚機構を

破壊し国を滅亡させることもあります

 

千年にも及ぶ官僚機構による統治体制を全面的に変換するのは非常に難しいので

優秀な官僚機構を維持しつつ、何らかの監視機能を持つことが早急に求められます


その意味では第一種公務員試験の受験者が減少し、且つ若手官僚の退職率が増加

していることは憂慮すべき事態です

 

官僚の人事権を支配する恐怖政治から脱却すると同時に官僚機構にも競争原理を

導入し真に優秀な人材に活躍の場を提供することが急務です

 

その第一歩として

 

1、公務員試験の一種、二種の廃止

2、課長級以上に天上がり制度を導入

3、部長級昇進試験制度の導入(入省時の成績の固定化はドッグイヤーに反する)


これらを提案します

その321       2021/8/2に掲載

教育は何のためにあるのか

いうまでもない事ですが教育とは考える力を育むためであって知識を増やし

たり、情報を暗記することではありません

 

明治以来の日本の教育は知識偏重でしたがそれなりの理由もありました

永い鎖国によって欧米諸国との科学技術の格差は歴然としており、ある意味

では独立を保つために科学技術で『追いつけ、追い越せ』は必要だった

のかもしれませんが逆に失うものも多くありました


江戸時代の藩校や私塾はもっぱら考える力を育んでいました

鎖国によって海外諸外国との競争、特に発明発見につながるような競争からは

無縁の世界でしたから、精神的な側面に専念することが出来ました

その為に歴史や先人の知恵を学ぶ事を重んじ,古典を読み込みましたが

それは暗記や知識のためではなく、あくまでも思考能力を育むためでした

その典型が禅問答で高度な知的ゲームとも言えます

 

このような環境での『先生』の役割は『考える力をつけるための訓練』で

あって知識の伝達ではないことは自明の理です


日経新聞に米国の教育者の言葉として下記のような文章が引用されていました

『凡庸な教師はただ喋る。良い教師は説明する。

優れた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は心に火をつける。』


藩校や私塾での『白文素読』と『禅問答のような解釈議論』それに『素振りと

乱どり』による身体訓練という組み合わせはまさに『心に火をつける』教育

だったのではないでしょうか

 

1989年に経済的には世界のトップに近いところまで到達した途端に次の

追いつく目標を失い、以後30年間停滞してしまったのは『心に火をつける』

ことが出来なかったからでしょう

 

今こそ再び皆が、特に若者が『心に火をつけて』新しい境地を探検することを

願うばかりです

 

過去の成功体験でオリンピックでこのような事を期待していた人もいたよう

ですが、現実は異なります

 

本当に身体の中から湧き出るような『火種』が求められます

その320       2021/7/26に掲載

FIReL:有勇自提起な生活からの提案

日本にある偏見の元凶

COVID-19のデルタ変異株が急速に広まっています

という表現ではなく

 

新型コロナのインド型変異株が急速に広まっています

というのが日本の報道の主流です

 

WHOでは新型コロナウィルスは病気の原因、病名はCOVID-19と規定しています

また、発見された地域で名前をつけるのは偏見につながる恐れがあるので変異株の

呼び方をギリシャ語のアルファベットで順番につけることを決定しました

イギリス型はアルファ変異株、インド型はデルタ変異株となりますが日本では

 

依然として新型コロナでありインド型です


普段の生活では世界標準という概念はほとんど認められていないようです

二つの理由が考えられます


一つは日本で日本語として通じやすい名前を使う、Mac(マック)ではなくマクド


二つ目は特定の国を名指しすることで偏見につながるという意識が低いことです

BLM運動の時でもあたかも日本では差別や偏見がないような風潮がありましたが

新型コロナ感染でも、偏見につながる恐れがあるからと名前を変更したのに日本では

 

未だに元のまま使って不思議に感じないところに実は無意識な差別や偏見が隠されて

いるのではないかと考えます


実際、さまざまな形での差別や偏見は水俣病患者やハンセン氏病患者に対しても

ありましたし、在日のアジア人に対する差別も広く見られるところです

 

日本という閉じられた社会の中だけであれば隠せることはできても広くオープンな

社会になればこの様な矛盾は海外からの厳しい目に晒されることになります

 

先程の二つの理由は実は深く繋がっていて、自由で開かれた社会ではないことの

裏返しになっています

 

先日のオリンピック開会式演出に関する解任劇でも、今の日本でホロコーストが

どれほど認識されているのでしょうか

 

テレビニュースで日本在住イスラエル人のコメントが心にこたえます

『広島、長崎の原爆被害を笑いのタネにしたらどう感じますか?』

『日本にばかりいないで海外に出ていろいろな体験をしたらどうですか』という

コメントは全くその通りです


もっと海外に目を向け、海外からの眼もしっかりと受け止めることで真にオープンな

社会が築けるでしょう

その319       2021/7/19に掲載

FIReL:有勇自提起な生活からの提案

みずほ銀行の体質

大規模なATMシステム障害を起こしたみずほ銀行に対する調査報告書で企業風土の

問題が論じられていました

 

危機対応、顧客対応、システムに精通する人材の配置に問題があるとのことで

前回のATMトラブルでカードが戻らなくなった際の報告でシステム障害への言及が

なかったとも記されています

 

しかし、報告とは下が上へ単に情報を上げるだけでなく、責任ある上の人は的確な

質問をする必要があります


何故事故が起きたのか、対策はどうなっているのか、回答が曖昧だったり、納得

できない場合はしつこいぐらいに実際の担当者レベルからの直接の話を聞くように

しなければ都合の悪い、あるいは自分の責任になるような説明や報告は上がって

きません


この様な体質はみずほ銀行だけに顕著なわけではなく日本郵政をはじめとして

多くの大企業で散見される事象ですから上記のような課題を挙げるだけでは

解決には遠く、近い将来再び似た様なことが起こる可能性が高くなります

 

トップが質問しないのは現場に精通していない、自らの体験が少ないことに原因が

あります


諸外国の組織(企業に限らず政府機関でも)では主要なポジションを占める役職者は

ほとんどの場合現場の状況に精通しています

勿論、現場出身だからというわけでは無く教育を通じて擬似体験をしたり論理的に

筋道立てて因果関係を考慮し的確な質問ができるようになっていますし、このような

質問ができない人は基本的にマネジメントに就けないという厳しさがあります


単に企業風土の問題と言って片付けるのではなく、本質的に社会全体がどう変革

しなければならないのかという点にまで思考を広げないと意味がありません

 

経済一流、政治三流と言われた時代もありましたが今や経済も二流以下、政治は四流

になってしまった原因はこの辺りにあります

 

もう一度丹田に力を込めて頑張らないと世界マップから消えてしまいます

その318       2021/7/12に掲載

FIReL:有勇自提起な生活からの提案

手上げ横断の復活?

幼稚園や小学校生徒は今でも手をあげることが多いようですが、交通マナーを示す

「交通の方法に関する教則」からは削除されていたとの事

幼稚園、学校、家庭での自主的な取り組みが継続されていたと言う事で改めて現場力

の強さに感心します

 

ただ、現実の場面での違和感は「手は上げているが運転手を見ていない」ことにあり

ます


多くの場合、子供はまっすぐ前を見て、手を上げ、横断歩道を渡っています

ここで大切なのは「相手の目を見ることです」相手を見て、自分を認識してくれ

止まる準備をしているかどうかの確認が必要です

 

話は飛びますが、講演会での講師の目線、記者会見での政治家や説明者の目線にも

同じことがあり相手を見ないで原稿を読むような場面が多くあります


自らの経験でも講演会や大規模な会議では左右、遠近に視線を振り相手の反応を見

ながら話をし、必要に応じてジョークを混ぜたり、合間を取ったり、声の大小を

変えて集中してもらえるように工夫したものです

 

相手の目を見ることで言外の会話が成り立つのです


手上げ横断に戻ると相手の目を見て無言の会話をすることが、手を挙げること自体

よりはるかに大切なのですがその事が教育の側面で伝わっていないと思います

 

日本人の会話下手の根本的な原因かもしれません

 

そういえばどこかの首相や報道官である官房長官も原稿を見て話をしていますね

中国外交部の汪文斌報道官はしっかりと質問者を見据えて威嚇するように話を

しますし、アメリカのサキ報道官もホワイトハウスの定例記者会見では勿論

質問者を見て発言しています

 

学校教育の見直しが必要で、外面的な見え方を教えるのではなく、内面的な

いかに考えるのかという思考方法と事実やデータを基礎にした論理的な思考プロセス

を教えるのが教育です

 

教育が人を育て、人が社会を築くという江戸時代でも雄藩が実践していたことが

現代ではできないのはどうしたことなのでしょうか


社会人教育を含めて日本の教育関連予算はOECD色と比較して圧倒的に低いという

現実を見つめる必要があります

その317       2021/7/5に掲載

FiReL:有勇自提起な生活からの提案

マイナンバーとマイナンバーカードの不思議

マイナンバー制度はアメリカのSocial Security Numberにヒントを得たものだと考え

ますが本番アメリカではこのカードは薄っぺらな名刺サイズの紙のカードです


私はたまたまラミネーターがあったのでラミネートされ破損しにくくしていました

が普通は何年もするとボロボロになってしまいます、ICチップや磁気テープの付いた

カードではなく必要な時は番号を記入するだけでカードの提示もありません

 

番号は管理されているのでチェックはできますからこれで十分なのです

確かに時々不正はありますがそれほど大きな問題にはなりません

 

日本ではどうしてマイナンバーカードが必要で、しかもそのカードをリーダーで読み

取らなければ使えないのでしょうか

しかもソフトが恐ろしく使いにくいので使いたくなくなります

 

もともと何を目的として、どのような対象者に、どのようにして使って貰えば利便性

が向上するかと言うシミュレーションができていなかったのでしよう

年寄りには使えません

 

目的が不明確な仕組みに莫大な費用をかけ、結局使い勝手の悪いシステムだけが

残りどこかの請け負った企業だけが儲かると言う仕組みではないでしようか

 

ETCカードも同じことが言えます

かなり高度なシステムにしてしまったので読み取り機械が高くて、駐車場などでは

設置費用がネックになり普及していません

また複雑なため読取スピードも遅くなっています


通行料金のみであればもっと簡単な設定にしてシンガポールなどのように道路上に

設置した装置から読み取ればスピードを落とさず通過でき、海外ではこれが主流です

機械的にバーで止めなくても不正はカメラとの組み合わせでNシステムのように

後から罰金を徴収すれば十分です


利便性と正義の天秤をどう設定するかとい言う事ですが、日本では正義が大手を

ふっって歩き、個人の利便性や効率は後回しになっています

 

世界との競争に勝てないわけです