“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

始める勇気と止める勇気

何事も初めてのことを始めるには相当な勇気が入りますし、継続するには

さらなる勇気が必要です

一方で途中で止めることはもっと勇気が必要かも知れません

何故なら相当の覚悟で始めたことを途中で変更することになるからです

しかし世の中特に最近のように変化の激しい時代にはその場その場で最適な

判断が求められますので時として途中で止めるという判断も必要になります

昔から「朝令暮改」と言ってあまり好ましいことでは無いとの印象があります

一方で「陋習を打破する」という言葉もあるように長い習慣で惰性的になっで

しまったことを勇気を持って改めようということも言われます

いずれにしても習慣的に行動するのではなく現状と照らし合わせて最善の

方法や行動を見つけて勇気を持って実行しようということでしょう

直近で話題になっている政治資金のキックバックや景気対策という名目の

バラマキ行政も同じことかも知れませんし、国会論戦も実は事前に質問と

答弁が調整され国会ではパフォーマンスとしての質疑応答になっているという

こともこれらの陋習に属するのかも知れません

選挙のたびに大きな声で候補者名を連呼するのも実は選挙時の規則で移動中の

車から演説をしてはいけないからだそうです

これでは各候補者がどのような主張をしているのかがわからずただうるさい

だけになってしまいます

それなら選挙制度を変えてインターネットの利用やどこでも演説できるように

すれば良いのですがそのような提案はありません

もっともスピーカーの音量はもう少しだげてもらわないとうるさくてかない

ません

世界第2位のGDPを誇った80年代後半の「達成感」みたいな感情を引きずって

現状を冷静に観て常に改革しようとする意欲がどこかに消え失せてしまった

ようです

今こそ勇気を持って現状の安寧に満足せず一歩踏み出す時では無いでしょうか

五輪、万博、新幹線

またまた3題噺になりますが最近の小さな話題です

1960年代なら大きな話題になり、それなりの期待感もあったのでしょうが

60年後の二番煎じでは話題性に乏しい上、その効果(経済、活力等)にも

疑問符がつきます

新幹線網は既に日本国中に張り巡らされオリンピックは招致に伴う汚職が

話題になり万博はドバイで開催されたばかりです

札幌市民や道民の札幌冬季オリンピックに対する熱意は低く新幹線も新駅に

伴う再開発でミニバブルのような状況はありますが新幹線に対する期待感は

どれほどあるのでしょうか

新幹線開通の伴う在来線の廃止、特に貨物輸送に対する不安は大きなものが

あります

本質的な疑問は新幹線と在来線は根本的に存在理由が異なるのに同じ土俵で

評価しているとことにあります

新幹線が代替するのは在来線上を走る特急であって貨物や普通列車では

ありません

そもそも新幹線は駅間の距離が大きく異なり主要駅以外では停車本数が少ない

ので在来線を廃止する主旨がどこあるのかわかりません

鉄道の持つ本来的な公共サービスがどこかに置き去られ、採算ベースのみで

判断されているようです

民営化されたJRが企業という観点から見ればそれも正しいのかもしれませんが

もう少し別の視点からの検討も必要でしょう

環境の観点からトラック輸送から鉄道や海上輸送への転換も語られている

ので国としての基本方針の見直しが求められます

旅客、貨物そして船や鉄道と飛行機の総合的な政策が求められているのですが

このような話はどこからも聞こえてきません

国交省の航空局と鉄道局とは協調して政策を策定することはないのでしょう

ヨーロッパ、特にドイツでは飛行機と鉄道が有機的に連動してとても使い易く

なっていますが日本では無理なのでしょう

こういう時こそ省益でなく政治優先で考えるべきでしょう

若者、選挙、変化

3題噺ではありませんがこれらには関連性がありますが何故か日本ではどれも

大きな動きがありません

先日アメリカ三大自動車メーカーが労組との4年間で25%の賃金アップで合意

しました、年数%ずつ4年かけてアップするのではなく初年度から25%アップ

しそのまま4年間維持するという内容です

逆に言うと基本的に4年間はストを行わないと言うことでもあります

バイデン大統領も加わったストによる影響もあって合意に達しました

翻って日本ではどうでしょうか

インフレが継続しているにも関わらず連合の要求は5%アップです

ストもなく来年にかけて交渉が始まるのでしょうが落ちつきどころは2、3%

といったところでしょう

一昔前であればストも辞さずという強気な労組は影を潜め労働組織立は

たったの20%台、これでは大きな変化は望めません

このような停滞を打破するのはどこの国でもまたいつの時代でも学生を中心と

した若者であり変化を求める声は選挙で反映され徐々に大きな流れとなって

社会全体に影響を及ぼします

かつて社会党の土井たか子党首が「山が動いた」と表現したように選挙は

大きな力となりますが最近では「山が動く」ような結果はありません

若年層の投票率が低いこともあるのでしょう

これでは国全体の活気が失われ、前例踏襲による世襲的な社会が変化する

ことは期待できません

社会が低迷しているから若者の勢いがないのか、人口構成がトップヘビーに

なっているので活力が削がれているのか鶏が先か卵が先かという議論になって

しまいそうですがやはり社会の活力は異議を唱えることから始まり次に進む

わけですから老も若きも男も女もすべからく現状に異議を唱えることで殻を

破ることができるのでしょう

日本と中国は同じ?

日本ではほとんどの議案に党議拘束がかかり各議員の個別の信条は抑制されて

います

本来議員は有権者からの付託を受けて様々な法案について国会で議論して

賛否を表明しその結果を次の選挙で有権者から評価されるものです

俎上に上がる法案には予算案や諸外国との条約案からビジネスに関連する

会社法や刑法さらに環境保全や開発、原子力発電等多岐にわたりますので

案件によっては当の原則論より身近な地元の意見が反映されるものもあり

特定の政党に所属しているとは言ってもその主義主張は多様です

完全比例代表制の選挙制度であれば党議が議員個人の主張に優先されることも

あるでしょうが概ね選挙区で個人単位で選挙されている現制度ではもう少し

議員個人の意見が採決に反映されても良いのではないでしょうか

現実にはほとんど全ての案件に党議拘束がかかるような現状では議員は単なる

投票マシーンとなり個人の顔はほとんど見えません

他の成熟した民主主義の国では長い歴史の中で一定のルールと有権者の支持に

よって党議拘束は限られた案件にのみかかりますしアメリカのように基本的に

党議拘束のない国もあります

現在のように党が実質的に国会より上位にある構図は中国と同じとなって

立法府である国会ではなく行政府である内閣その母体である党が実質的に

支配しているからです

行き詰まった現在の政治を改革するには次の三点が重要と思われます

一つは議員の定数を衆議院は30万人に議員一人とする

人口減に対し自動的に議員数が削減されるので相当な緊張感が生まれますし

地方では議員定数減を避けるために必死になって人口増加策を考えるように

なるでしょう

二つ目は党議拘束を予算案と条約案のみに制限し、その他の議案は各議員の

賛否を公表し次回選挙公報の掲載必須事項とするとともに誰でも自由に閲覧

できるような仕組みを考える

三つ目は選挙期間中に必ず候補者によるディベートを実施しインターネットで

アクセスできるようにする(事前の世論調査で支持率が5%以上の候補者

のみが参加できるようにして少数での議論を促す)

やはり政治改革の王道は選挙制度ではないでしょうか

想定外というコメント

突然の災害や不祥事をはじめあらゆる場面でこの言葉が聞かれます

予想を超えた事態に直面したということでしょうが逆に考えると多くの人が

あらゆる事態を想定しておくべきだという前提がこのような表現になります

しかし所詮人間が将来の事態を全て予測することは不可能なので想定外の

事態は常に起こります

つまり想定外の事態を招かないようにあらゆる準備をすることが解決策では

なく緊急事態への対応手順を確立しておき「想定外の事態」が発生して

しまったら速やかに手順に従って処理することが大切になります

少し前の話になりますが原発処理水に対する中国の対応を想定外とする意見が

報道されています

予想以上の反応といえばわかりますが想定外と言った途端本当は全てのことを

想定しなければならないという前提が現れます

現実的に考えると中国は日本からの海産物を全面禁止としましたがいつまで

継続できるのでしょうか、また解除の理由をどうやって説明するのでしょうか

根拠のない理不尽な理由を付けてしまったので解除の理由説明をどうするのか

大変興味があります

漁業関係者への影響は甚大ですがもう少し大きな目で見れば輸入禁止措置

そして輸入再開の理由をしっかりと把握し諸外国に中国の思考方法と

政策立案が国際的なルールや常識といかに外れているかを今度はしっかりと

日本が伝えることで将来このようなことが起きないことを示すべきでしょう

も日本の対応もあまりにも拙劣です

原発事故から10年以上トリチウム除去の困難さは周知の事実なのでもっと

上手な対処方法があったと思います

中国や韓国が政治的な思惑から反対するのは想定内なので当初からこれらの

国々の科学者を巻き込みながらトリチウム除去の技術開発を日本が全面的な

資金援助を行い上手くできたらその技術で除去することができます

やはり無理であれば海洋放出が唯一の方策という理解が少なくとも中国、韓国

を含めた科学者の共通認識となりますので今回のような「想定外」の反応は

出なかったでしょう

このような戦略を事前準備しなかったことがまさに想定外の政策なのでしょう

コップの中の嵐とコップから溢れる嵐

最近の新聞やテレビ報道に現れる多くの課題の多くは残念ながらコップの

中の嵐に過ぎず国際的に大きな影響を及ぼすような主張や提言がありません

MAGAに代表される企業の世界的な影響力、イーロンマスクやジェフべゾフ

の発信力は今の日本では見られません

本田宗一郎、松下幸之助、盛田昭夫といった名前は遠く昔の話となってしまい

ました

「則をこえない」と言えば奥ゆかしいですが発信力や発想力が足りないのでは

悲しいだけです

国の平均年齢が高くなるとこのような現象はある程度見られますがそれに

対してどのようにして国力を回復しようとしているのかが問われています

多くの問題を抱えながら欧米諸国が移民、難民を受けているのは政治的な

ジェスチャーのみならずこの人たちの生きるためのエネルギーを善しとする

考えもあるのではないでしょうか

MAGAでも多くの従業員が他国出身でそれが活力の源になっています

翻って日本では国も企業も純粋培養に近く一体感があり以心伝心で物事は

進みますが多様性に乏しく環境変化への対応力が乏しくなります

過去30年ほどの世界的な変化=パラダイムシフトに乗り遅れた原因の一つかも

しれません

コップから溢れるような活発な意見、提言が望まれます

もう一つ、さまざまな選挙の投票行動を年代別に分析すると驚くことに

年齢層が高くなるほど野党への投票率が高くなりまた無党派層ほど野党支持が

高くなります

人は一般的に年齢が高くなるほど保守的になるものです、それは今までに

培ってきた生活基盤を守ろうとするから若年層ほど現状打破の傾向があります

諸外国の投票行動を見ても先進国でも開発途上国でもこの傾向が変わりません

唯一の例外が日本です

原因がわかりませんがもし若年層に「あきらめ」のようなものがあるとしたら

大問題です

個人では立ち向かえないと感じた途端「あきらめ」の心情に陥るのかも

しれませんが、9回裏二死無走者からでも逆転は可能という希望を捨てない

ことが肝心です

市場経済のコスト

国民の自由度が高まるという意味で市場原理に変わる制度は今のところあり

ませんがコストがかかることも認識しなければなりません

市場原理とはアダムスミスに戻れば自由な消費者が神の手により最終的に

妥当な需給バランスに到達し均衡すると言われていますが前提として参加者が

全て等しい情報を同時に得られることで均衡点が形成されるのです

しかし現実の社会では、特に最近のようにこグローバルな広がりを持った

市場ではこの前提は怪しくなり情報格差や時間の格差があります

それでも市場原理は統制経済よりも機能的で合理的です

ここで考えなくてはならないのは不確実で時差のある情報に基づく一定の

タイムラグがありこの間は市場原理が働かず不公平や不利益が発生する危険が

あるということです

これを市場原理のコストと言っても良いでしょう

問題はどの程度のコストが許容され、また損失(損害)の補填がどのように算出

され実施されるのかということについて参加者の理解が得られているかどうか

ということでこれは政治や行政の役割となります

極端に言えば選挙とはこのような損失補償の考え方を各政党間で見極めること

になるのかもしれません

具体的な例を挙げるとタクシーのライドシェア制度の解禁があります

インドネシアから帰国したある記者よると日本ではライドシェがなく非常に

不便だと感じているとのことです

現地でも当初は悪質なドライバーや慣れないことでのトラブルがあったそう

ですが徐々にルールが整備され、また利用者も慣れてきたために今では日常

生活に溶け込んでいるとのことです

この不慣れな期間のトラブルが市場経済のコストに他なりません

何事も変化にはコストがかかることを認識すれば一定期間後には制度が定着し

生活が便利になるということです

残念ながら日本では少しでも課題があると市場原理のコストではなく制度

そのものの欠陥だとして導入が阻まれてしまいますが長期的にみると新しい

ことをやらないコストは導入当初のコストを遥かに上回っていて長期的には

かえって効率が低下してしまいます

バブル以降の経済低迷の原因はこの辺りにあるのではないでしょうか

問答無用

意思決定プロセスの不明確さを隠すために問答無用になるのではないかと

疑われても病むおえないでしょう

意思決定の背景が明確であり議論が尽くされているのであればオープンに議論

することに問題はない筈でそれができないのは公表すると問題になる点がある

と疑わざるを得ません

結果として問答無用となる訳です

このような現象は最近では辺野古や東電の汚染水処理で見られます

辺野古の埋め立てで国と沖縄県が争っていますが争点の一つは軟弱地盤の

改良工事です

どの程度の地盤なのか、技術的に改良は可能なのか、将来的に地盤沈下は

起きないのかと言ったことはすべて技術的な課題なので専門家でオープンに

議論することは可能ですしそれによって国民は判断することができます

現状では何の説明もないのでただ国と県の争いを傍観するしかありません

民主主義の本質は正に政府が声高にいうように自由で開かれた自己表現にある

訳ですが辺野古に関しては全くそのようになっていません

外に向かって主張する民主主義と内なる統治のための民主主義の間に大きな

差異があります

何故問答無用になってしまうのかというと東大卒のエリート官僚がこれしか

無いという「正解」を出すので回答が導き出されたプロセスを検証することは

無くなります

何故ならば最高学府のエリートが作成した案だから「下々」の輩が口を挟む

ことは許されないのです

ソニーの盛田会長は入社式の挨拶で必ずこのように述べていました

100点は満点では無い、学校では満点になるだろうが実社会では80点が

満点のことも逆に120点が満点のこともある

学校での思考方法を社会に出たら変えなければ生き抜けない」

変化が激しく新しい技術や奇抜なアイデアが生み出される実社会では大学を

出た時の成績はそれほど役に立たないということです

しかし日本では未だに「金時計(成績一番の代名詞)」が幅をを聴かせていて

社会の変化についていけない現象が起きているようです

縦横斜めに俯瞰する力

専門家と言えば聞こえは良いですが得てして縦型組織の餌食となって狭い分野

のみで意見を述べることになります

その結果学問のように狭い領域で深く探索する思考には向いているものの

社会的な現象に対処することは難しくなることがあります

最近の例で言えば2024年問題に対して岸田首相が今後の輸送のあり方として

船舶や鉄道の利用を大きくしたいと述べましたが一方で鉄道路線の廃止は

急速に進んでいて北海道では「タマネギ列車」や「ジャガイモ列車」が廃止

されるのではないかという危惧があります

本当にトラック輸送からの転換を図るのであれば船や記者が適切に運航される

インフラ整備をすることが最初に考えるべきことで例えば新幹線ができるので

在来線は民間へ移行、必然的にそこを走る貨物列車は廃止となるのを防ぐ為に

何が必要なのかを考えなければなりません

英国のように線路は国有、運行権は民間の力を借りて魅力ある列車を走らせる

ような工夫も考えるべきでしょう

また観光目的では飛行場への新幹線の乗り入れで効率的なネットワークを構築

することも考えられます

このような複合的な視点から課題を分析し提言するスタッフがいない、或いは

そのように指示しないのではアイデアのみが突然表明され結局何も解決され

ないという景色は何度も繰り返されてきました

複合的な課題を縦横斜めから俯瞰し解決策を発想するという力が弱くなって

いますのでこれからますます増加する複合的な課題が解決されず徐々に社会の

力が弱まって行くという構図が定着してしまったようです

北海道では2030年の開業を目指して北海道新幹線の札幌への延伸工事が

進んでいますがすでに当初計画からは遅れ実際の開業は少し遅れそうです

そして新幹線開業で在来線は廃止され貨物列車が走る線路も無くなります

新幹線開業で観光客が多少増えても地元の生活が不便になれば人口減少は避け

られないので地方活性化にも逆行してしまいます

上記のような上下分離方式でヨーロッパのように特徴のある観光用特急を

走らせればそれなりの需要は喚起されますし貨物列車もは走れます

ちなみにフランスのTGVは専用線路と貨物を含む通常列車との混合運行です

これも一つの知恵でしょうが日本ではどうでしょうか

止める勇気

人間というのは前を向いて歩く動物ですから何かをやろうとするのは得意

ですが止めるのは不得手です

特に政治家や経済人にこの傾向が強いようですが歴史的に偉大な人物の中には

止めるのができる人がいました

徳川家康はそのうちの一人かもしれません「

鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という言葉にもあるように辛抱強く

チャンスが到来するのを待つ強さがあり信長、秀吉と敢えて競わず結局天下を

取りました

さて現代ですが誰も彼も前向き一辺倒になってしまった感があります

河野大臣のマイナンバー保険証も大阪万博も戦後復興期のそれゆけどんどん

という感じがいまだに残っているようでやってしまえば何とかなる新幹線

だって間に合わないと言われながら64年の東京オリンピックの直前に開通

したではないかとの声も聞こえてきそうです

しかし冷静に考えると今は実質個人所得の減少、人口も減少、国内投資案件も

少なく「何とかなる」状況ではありません

一旦冷静に現状分析をして今は何が必要なのか、少ない原資で最大の効果を

生むための優先順位を考えるべき時です

大阪万博を例にとると当初予算の1250億円が2倍近い2300億円に

膨らむとのこと、しかもあと一年半しかないのにパビリオンの建設がほとんど

始まっていない状態です

期限に間に合わせるために更なる追加費用も必要になるかもしれません

一体受益者は誰なのでしょうか

追加費用は参加企業が全額負担するならまだしも現時点ではほとんどが税金の

投入になりそうです

やはり一旦立ち止まって止める決心も必要なのでしょう

そうすれば国民の支持もあり内閣支持率も上がるのではないでしょうか

全てが遅い日本

政策判断、投資判断、裁判それぞれの分野でグローバルな標準と比較して

結論が出るまでの時間がかかり過ぎ機会を逸していることが多々あります

欧米と比較しているわけではなくグローバルサウスと呼ばれている国々と比較

しても遅れていますし、これらの国は追いつき追い越せということでかつての

日本のような状況ではないでしょうか

それらの諸国は経験、技術、資金力の不足を補うためにスピードで勝負して

いますが日本はスピードでも実力でも負けてしまっているのが現実です

DXと叫ばれているがIT化が目的になって本来の目論みであるIT化でスピード

アップすることなく本来は手段であったものが目的になってしまっているのも

一つの例かもしれません

資源が少なく国土の狭い日本が世界で伍していく為にはアイデアとスピード

大きな武器になる筈で明治維新後や戦後の復興段階では実際にそのような

政策や企業姿勢が顕著でした

しかし今や年功序列と前例主義でアイデアは生かされず決断スピードも

遅すぎます

漫画やアニメで見るようにアイデアはあるのですがビジネスの本流では

生かされていません

戦国時代の日本は全く異なった情景が見えていたのではないでしょう

何故ならば決断が遅れれば戦場では致命的であり即領地が無くなったり命も

危うくなったからです

江戸時代になると徳川幕府の圧倒的な力で諸国の紛争がなくなり同時に

先例主義といった決断しなくても良い時代が来てまだそこから抜け出せて

いないということでしょう

当時のように自給自足で暮らせる時代ではなくなった現在の状況をきっちりと

認識して変革を実施しないとさるインド人が計算したように500年後に日本人

は一人になってしまうかもしれません

東京より大阪、大阪より上海、上海よりマンハッタン、マンハッタンより

シティー(ロンドン)、これは歩くスピードの比較です

ロンドンの地下鉄エスカレーターは日本よりはるかに速く動きます

まずは皆で歩くスピードを速くしてはどうでしょうか

クマが出る百万都市札幌

クマが頻繁に住宅地に出没する大都市は札幌ぐらいでしょう

今年も市内の住宅地で目撃情報が多数出ています

住宅地が山の近くまで伸びてきている

山に近い住宅の裏庭でとうもろこしや栗など餌になる植栽がある

積極的な駆除でヒグマが減ってしまったのでどちらかというと駆除より保護が

優先されていて頭数が増えた

様々な原因が指摘されていますがこれらの原因が複合的に絡んで出没が増え

人への被害も毎年あります

雑草を刈り見通しを良くする、畑に電気柵を設置するといった対策も進んで

いますが、熊撃ち名人と言われたハンターによれば「人が熊の食糧源を失く

したことで熊もやむを得ず人の近くに来るようになった」と言っています

熊は本来草食性でたまにシャケをとるぐらいでドングリなどを主食にしている

しかし森林伐採で常緑樹を切り植林では針葉樹を植えたので山のドングリ等

クマの食料が減ってしまって人の近くまで来るようになったので、山に常緑樹

を植え食料を増やせば熊は人の近くには来ないと言っています

厚岸町の近くの有名なヒグマ OSO18 が最近駆除されました

数年に亘って近隣の牧場の牛65頭を襲った有名なヒグマでしたが研究者に

よるとこの地方にはクマの食料となる植生が無く「仕方なく牛を食糧にした

のだろう」と言っています

ヒグマ対策に限らず人はどうしても対症療法にとらわれます

熊が出れば駆除や電気柵

赤潮被害が出れば漁業補償

もう少し長期的な観点で原因を探って対策を立てれば環境にも優しく対処

できるのではないでしょうか

例えばジャニーズ事務所事件でもすぐに再発防止策が出てきますが本当は真の

原因がどこにあったのかをしっかり把握しなければ有効な再発防止策とは

ならずただの掛け声に終わってしまうでしょう

世の中全体が根本原因を探るというより表面的な対症療法で騒ぎを収める

方向に進んでいるのは残念です

社員が働きやすい環境とは

働きやすい環境とは前向きな競争があるもののストレスが少ないということ

ではないでしょうか。

競争がなければ進歩はありませんし向上心も生まれませんがほとんどの場合

競争=ストレスとなってしまいますのでいかにしてストレスフリーな環境を

整備するのかということがキーポイントになります

ストレスといっても様々ですが上からのプレッシャーは避けたいものです

従って自らモチベーションを高く保てるような工夫が必要です

職場環境や職責の大きさもありますが非常に単純化すると自分の仕事を

どれだけ自分でデザインできるかあるいはコントロールできる自由度がある

ということになります

もう少し具体的に表現すると

仕事の目標設定が合理的になされ達成すべきことと達成時期目標が具体的で

上司と合意できている,そして結果が目標に対して客観的に評価され報酬に

反映される

ような仕組みができていて実際に運用されていることが働きやすい環境の

形成にとって重要だと考えられます

目標が到達地点と時期が一方的に与えられるようでは客観的な数字や日程で

示されていたとしても納得性は少なくストレスの原因になりますしいわゆる

長時間労働にも結びついてきます

逆に簡単な目標であれば組織にとって合理的なものと言えず組織全体の業績が

良くならなければ結局個々の構成員の処遇も改善されません(共産主義社会の

共同生産を考えてみれば自明で生産性の向上は無く結局グローバルな競争には

勝てません)

生産性向上のプロセスを構成員が自分の意思でコントロールできる度合いが

高いほど良い結果が得られ処遇の改善につながりますので結果的に

働き易い

ことにつながります

結論として合理的で客観的な目標設定と評価ができる環境の整備が大切です

昭和レトロ人気は「終わりの始まり」か?

今朝のTVを見ていたら熱海や伊東などで古い観光ホテルが復活して大人気

とのこと

目玉は昭和的な雰囲気やシニア相悪向けの歌謡ショウで平日の稼働率を上げ

古い建物でも十分収益を確保しているとのこと

宿泊施設にとって平日の稼働率をいかに上げるかが収益改善のポイントですが

昭和を全面に出して平日に旅行ができる客層を狙ったというのは当然のこと

ではありますが逆に言うと該当年齢人口が減少する将来に向っての本当の

解決策なのだでしょうか

年齢別人口は出生数や総人口が減少する中で例えば5歳刻みの人口は昭和世代

は平成や令和と比較すると2倍以上いるので当面は上記のような作戦は成立

するでしょう

しかし本当の課題は若い世代の掘り起こし、海外のように平日でも休暇を

取れて数日から10日程度の旅行ができるような施策や常識の変更をそうやって

実現するかが本来の課題でしょう

このような仕組みと世論が形成されて初めて人口減少に歯止めをかけ明るい

将来を考えることができるのですがこのような意識変化を喚起するアイデアも

気概もないと言うことになれば昭和世代が旅行もできないほどに高齢化した

時には絶望的な現実が表面化するでしょう

昭和レトロは戦後から高度経済成長の時代までを懐かしく思う気持ちがレトロ

として残っているのでしょう

明日は今日より良くなると言う実感を誰もが持ちその通りになったからですが

21世紀に再びくることはありませんが、一方で新しい価値観を生み出す

ことで経済成長とは別の豊かさを求めることは十分に可能です

レトロ気分は懐かしさもありギスギスせずに柔らかい雰囲気ではありますが

これが終わりの始まりを表しているとすれば恐ろしいことです

コーチにつかない訳

長らくゴルフをやっていますが上手くなりません

しかしコーチについて習おうという気にもなりませんので結果的に下手な

ままです

何故コーチにつかないかと言えば良いコーチがいないからです

世界陸上の女子槍投げで北口選手が最終投擲で逆転優勝しましたが、彼女の

コーチはチェコ人です

東京五輪の女子バスケのコーチもアメリカ人でしたしカヌー競技の羽根田選手

のコーチもスロバキア人です

その他多くの競技で活躍している選手やチームの監督が外国人だというのは

何を意味しているのでしょうか

以前にも書きましたがコーチは指導者でなくアドバイザーです

指導者とは自らの経験や理論を選手に当てはめ結果を出そうとしますが個々の

選手やチームの特徴を必ずしも生かそうとせず「型」にはめようとしている

のではないでしょうか

一方アドバイザーは個々の選手やチームが自分たちの目指すものを脇から

冷静に観察し的確なアドバイスをしたりデータと付け合わせて分析して納得

させたりしてあくまでも個人の意思が全面に出ています

日本の教育の特徴は「型」にはめること、正解を覚えることで必ずしも個人の

特性を活かしながら成長するということではなくそれが指導者像を作り上げて

いるのでしょう

当初の話題に戻ると例えばドライバーショットをあと30ヤード伸ばしたい

100ヤード以内のアプローチは確実にピンに近づけたいという要望に対して

的確に「それは無理だから諦めてスコアアップにはこういう方法があります」

と言ってくれるコーチはいないので習いに行かないのです

「何をしたいのですか?」と聞かれ、「それは無理だけどこんな方法もあり

ます」と言ってくれるコーチがいたら多分習いに行くことでしょう

スポーツに限らずビジネスの世界でも同じことがあるようです

マイナンバー保険証は河野大臣が「保険証との一体化は妙案だと思ったが

よく調べたら無理でした、すみません、全面撤回して出直します」と言えば

逆に人気は上がるのでしょうができないでしょうね、政治家にアドバイスする

良いコーチがいないからですね

壮大なる無駄遣い

万博、オリンピックはある意味で壮大なる無駄遣いです

数ヶ月のために建設し取り壊す

これもGDPの一部なので経済の発展段階では一定の価値があったのですが

今ではその必要性も少なく却って負担の方が大きくなっています

世論調査をしたら反対が多数になる可能性があり、政府もゴリ押しはし難く

なりますが報道機関も政府に忖度しているのでしょうか世論調査ではこの

ような質問はありません

それでは何が目的なのでしょうか?

50年前の成功体もあるでしょうし政治家のレガシーとするという発想も

あるでしょう、さらに最近では代理店の営利目的での開催も考えられます

代理店やそれにつながる企業にとってみると利益が取れるなら開催意義や

将来への発展性ということより身近な金銭的目的が最初にあるでしょう

本来は事業目的とその後の展開、経済のみならず文化的な将来の発展性そして

世界の中でこれからの日本がどのような立ち位置を示したの国をリードして

行こうとしているかの明確な意思と意図の発信が必要ですが東京や札幌

オリンピックでも大阪万博でもこのような意図は見られません

北海道に住んでいるものから見ると札幌冬季オリンピックに対する市民の

熱意はほとんど感じられません

世論調査をすれば賛成意見が過半数となる可能性は非常に低いと思われますが

そのためか札幌市民、北海道住民を対象としたこのような調査はありません

それだけ熱意が低いということなので早く撤退しオリンピック関連の予算を

他のどの分野に振り分けどのようなビジョンが描けるのかが大切です

政治とは時として「声なき声を聴く」ことが大切ですが大局観のある政治家

が現れないことが課題です

本来オリンピックは都市単位で誘致することが原則なので政府の意向に拘らず

誘致都市が主体性を持って判断すべきでしょう

思いつきでやる政治の罪

思いつきでやる政治としてマイナ保険証、ふるさと納税など枚挙に遑がないの

ですが政治が点数稼ぎ(内閣支持率狙い)になっているということでしょう

企業も思いつきからヒット商品が生まれることは多いのですがそれでも事前に

しっかりとした市場調査や戦略の検証はしています、特に失敗した時の早期

撤退または二の矢をどうするかといった戦略は立てています

前出の政策は大臣の思いつきを役所がそのまま法制化して政策目的や利害の

検証ができているとは思えないので時間の経過と共に課題が噴出し、それを

収めるための修正を続けることで当初の目的とは離れてしまい結局政策

そのものが無駄となってしまいます

マイナ保険証で言えば高齢者や認知症の方では使えないカードを強制し困難な

点を指摘されると対応策を次々と出し結局本来の趣旨から大きく外れたものに

なってしまいます

ふるさと納税にしても本来は自分の出身地域の活性化のために地方税を居住

している場所ではなく出身地に寄付することで地方活性化を図ろうという趣旨

で始まったと思われますが、実態は返礼品としての支出が収入の5割にもなり

本来あるべき税収が寄付者個人の利益として還元されてしまい税収トータル

としてみた場合減収になっているということです

例えばクラウドファンディングのように目指す税収の使途と金額を明示し

それに対し寄付を募る、目標額に達したらそれ以上の寄付は受けないように

すれば随分と様子が違ってきます

必要があれば翌年度に新たな計画を提示して寄付を募ることもできます

勿論返礼品のようなものはありません

このようにすれば税収トータルの金額は変わらず、税金の流れが変更される

だけで中間業者が暗躍することも無くなるし納税者は純粋に特定地域支援の

ための寄付(実際に支払う税金の総額は変わらない)をすることになり地方

活性化の手助けになります

各自治体はいかに魅力ある計画を提示できるかが重要になります

オリンピックや万博と同じようにアイデア段階に業者が介入する可能性は

ありますがそこは情報開示するなどして寄付者の判断に委ねるということに

なるでしょう

統計的な管理手法

BIGMOTOR関連の報道で異常な短期間での保険契約解除があったということ

がありますが保険会社の管理体制はどうなっているのか疑問があります

きちっとしたデータ管理をしていればこのような異常値は簡単に発見でき

詳細を検査すればもっと早く見つかった筈です

何故できなかったかという解答は二つしかありません

一つはそのような管理体制ができていなかったということでこれも問題です

二つ目は異常値は検出していたが何らかの理由で放置したということでより

大きな問題があります

いずれにしても大手保険会社の管理体制としては甘かったということで

この点をもっと報道すべきでしょう

私事になりますがアメリカで暮らしていた30年も前のことですが、新しい

クレジットカードで高額(せいぜい100ドル程度ですが)の買い物をした時

即座に電話があり本人確認がありました

二つの点で驚きました

一つはリアルタイムでカード使用状況を確認(監視?)していること

二つ目は統計的手法で不正の可能性のある取引を抽出していることです

それだけ不正使用が多いとも言えますがこのような管理体制を構築するのに

統計的手法を使っていると言うことで学問が実際の生活に生かされている

という認識をしました

何故日本ではこのようは管理手法が確立していないのでしょうか

今流行りの言葉を使えばAIを使った管理手法と言うのでしょうが当時はAIと

言う言葉もありませんでしたが確かにコンピューターによるデータ管理が

確立していました

日本企業を見ていると必要な投資を抑えて有り余る人力で対応していると言う

構図が見えてきます

コストも高いし、効率も正確性も劣り更に「忖度」と言うような要素が

入り込む余地が生まれてしまいます

逆に言うと日本企業の採算性が良くなる要素はまだまだあると言うことで

わずかな期待を寄せています

が、やはり「夢」なのでしょうか

あまりに時代遅れの「皆んな同じ」意識 その2

かなり前になりますが小学校の同窓会で当時の担任教師とアメリカの「飛び級

制度」について話をしたことがあります

アメリカでは「飛び級」という概念はありません「進捗別クラス」です

一般的に各学年の授業は学期ごと多くは3学期ですがそれぞれの学期ごとに

教科書があり生徒は自分のペースで勉強し教科書が終われば次の学期に進む

ので2~3年すると一年上の教科書を使うようになることがあります

その場合所属クラスを1年上に変わることができるので所謂「飛び級」になり

ますが必ずしも変わる必要はなく友達がいるから同じ学年に留まり教科書だけ

上の学年のものを使うこともできます

ここで示したことでお分かりのように進捗度の把握が明確な学科数学や理科

場合によって語学(英語)ではこのようなことが起きますが音楽や体育では

飛び級はありません

教育はその子の理解度に応じて進めるという概念が明確だからで無理に皆を

同じ進捗に閉じ込めてしまうことはありません

最近の不登校問題では授業が優しすぎてつまらないからという理由もある

そうです

自分はわかっているのに理解の遅い子に授業を合わせるのでつまらないという

ことでしょうが個人の進捗別にすればたちまち解消されます

でも日本では「皆が同じ」でなければならいので理解の早い子は待っていな

ければならず学習の興味を失わせてしまいます

先ほどの例に戻ると、理解の遅かった子もある時点で追いつき、追い越すこと

も多々あるようでシステムとして非常に良くできています

日本ではこのようなやり方を「優等生クラス」のように人格的な呼び方をする

ので当然反発も多くほとんど実施されていません

教育は人物の優劣を決めるのではなく、物事の理解度を深める、そのための

基礎的な知識や思考方法を教えるもので理解の進捗度は一律でないのは当たり

前であたかも長距離レースのように前に出たり後ろに下がったりしながら

ゴールを目指し、教育者はコーチとしてペース配分をアドバイスしたり水や

栄養を補給する役目なのです 

日本ではコーチを指導者と呼びますがコーチングとは指導するのではなく

アドバイスなのです

あまりに時代遅れの「皆んな同じ」意識

遠い昔から日本では「皆と同じ思考、行動を取る」ことが「良い事」として

教えられてきました

今までの日本の歴史を辿るとそれなりの成果を上げたことは確かですが真に

グローバル世界になり情報はあっという間に世界に繋がる一方で個人の価値観

も重要視されるようになった現代では「皆と同じ」では取り残されてしまう

リスクが高くなっています

世界は違うものや独自性を求めているので金太郎飴のような個性のない個人は

相手にされなくなります

それではどこから変えていけば良いのでしょうか

それは家庭からだと思います

変革に対して障害物が少なく小さな集団の中で完結できるからです

学校とか会社の中では多数の賛同を得るためのハードルが高すぎます

例えば家族で食事に行ったら皆が別のものを頼むことを家族ルールとする

ことで自分は何がしたいのかが自然と身に付きそれが広がってゆけば長い間

に社会も変わります

少なくとも明治初めから150年も続いた意識ですから短時間には変わりません

しかし水が染みるように少しずつ浸透すればある日突然世の中が変わることも

あります

その時期は10年後なのか30年後なのか或いは50年後かもしれませんが希望を

持ち続けることが肝心です

アメリカに住んでいた時は子供たちの幼稚園や学校では私立でも公立でも個人

が前面に出るような授業でした

当時、子供も親も最も苦労したのが “Show and Tell” です

これはクラスで毎日順番に皆の前で「自分のストーリー」を語るもので内容の

制限はありません自分が興味を持ったことでも疑問に思ったことでも自慢した

いことでも構わないのですが「自分の言葉で相手にわかるように」説明し

その後皆からの質問にも受け応えしなければなりません

どこかの政治家のように事前のペーパーを読む訳にはいかないのですが

スピーチの練習と人前で話す非常に良い訓練です

これは日本も同じことができるでしょう、勿論採点はありません

これが本当の少子化対策かもしれません