その375       2022/8/15に掲載

Métro, Boulot, Dodo

地下鉄、仕事、寝るという意味のフランス語で普段の単調な生活を表す表現

ですが、夏休みは最低でも5週間連続してとりしっかりとリラックスする

のもまたフランス人の特徴です

 

お盆の期間になりましたが日本ではたった3日間、江戸時代の盆暮の休みと

ほとんど違わない状況です

 

もちろん有給休暇の消化率も100%ではなく文字通りMétro, Boulot, Dodo

生活を続けています

 

生産性の向上とか、仕事の質の改善とか言われ始めて長い時が経ちますが

その変化は遅々として進まずどんどん世界から取り残されています

 

学校の夏休み期間中に5週間とは言わずせめて2週間でも連続して家族全員で

休暇が取れるようになり、日本全体が同時に休むのではなくそれこそ時差で

休暇を取ることになれば混雑の緩和にもなり、また平日に休暇が取れる人は

夏休み以外でも積極的に長期休暇を取ることを推進すれば宿泊施設や観光施設

も平日の稼働率が高くなりそれこそ生産性は向上し、また値段も少し安く

できるようになりますので Win-Win の状況が作れます

 

最近言われ始めたJOB型雇用ということになれば全員が職場にいる必要性も

薄まり、休暇も取得しやすくなります


ただし、JOB型雇用というのは「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」だと

言う認識をしっかり持つ必要がありますし、現状ではそのような管理のできる

管理者が育っているとは考えられませんので、このまま進めると単なる

労働強化にしかなりません

 

その意味ではまず経団連などが自己責任でしっかりした管理者教育をすること

その前提としてしっかりした経営者教育をすることが必要です


最近の情報では日本の労働組織率は15%程度で伝統的に労働組合の強い

ヨーロッパは勿論アメリカよりも低くなっており労働組合からの上記のような

要求も出てきません

 

ここまで考えると残念ながら経団連を解体しない限りこのような体制構築は

困難でしょう

 

ここでも戦後高成長期の岩盤体質を打ち壊す必要性がありそうです

その374       2022/8/8に掲載

判断基準は記録に残すことが民主主義

突然国葬が実施されることになりました

 

賛成、反対それぞれに意見があるでしょうが論点はそこではなくて判断基準

があるかないかにあります

法的には閣議決定で可能ということですが、だからと言って何でもできる訳

ではありません

 

なぜそのような判断をしたのかを明示し、国会で議論し、賛否を問い、記録に

残すことが大切でその積み重ねが民主主義になります


もし判断基準を示さないのであれば時の権力者によって異なる基準で判断し

実行することになり正に独裁と同じです、なぜならば過去の判断が次なる

行動の基礎とならず議論も深まらないので民主主義の基本である様々な意見が

議論で集約されという過程がとれなくなります


「問答無用」と同じで「切り捨て御免」ということですから議論の余地は

ありません

 

多数決というのでしょうが、採決前の議論が無いのであればローマの独裁者を

生んだ民衆の多数決と同じことになります

 

振り返って過去の経緯を見ると安保法制の変更や運用基準の見直し、学術会議

の任命拒否などに連なる判断基準を示さない伝統ができてしまったようです

 

歴史を振り返ってみると似たようなことがあり後世の検証が不可能なことが

多々行われてきて残念なことに日本の伝統のようになってしまいました

ナチスによるユダヤ人強制収用者数、死者数、ユダヤ人以外の強制収用者数

は正確な記録があるので把握できますし、没収した美術品等も記録があるので

戦後かなりの品目が返還されました

 

一方で日本の学徒出陣は記録がないので本当に何人の学生が招集され戦地に

赴いたのかもわからないそうですから、日韓で問題になっている戦時徴収に

ついても正確な記録がないのかもしれません

 

最近では桜を見る会の参加費支払いの領収書や費用総額も「記録がない」

森友学園の払い下げに関わる記録も公文書でありながら「保管されていない」

「記録がない」という言い訳がまかり通っています


やはり民主主義の基本は都合の悪いことでも正確な記録を残すことから

始まります

その373       2022/8/1に掲載

日本の神は八百万(やおよろず)

ユダヤ教を元とするキリスト教、イスラム教を含めこれらの宗教は二元論です

一方多民族国家であるインド、中国も日本も多神教です


何故かというと東電に対する地裁判決を聞いて違和感を覚えたからです

 

賠償額の多寡はともかく経営陣に責任があることに異論はありませんが判決

論旨には多いに異論がありそこに二元論的な発想を感じてしまいます


まず15.7メートルの高さの津波の発生確率が30年間で20%あることを基本と

していますが、実際に巨大地震が発生したので予想が正確であったということ

に異論を挟む人は少ないようですが本当でしょうか、もし予測が13メートル

で実際が15メートルであった場合判決はどのように変わっていたのでしょうか

 

背景に自然災害も予測できる、それによって災害対応が可能だという危険な

発想があります、例えば噴火湾や阿蘇外輪山形成の巨大噴火は予測できるか

また予測できても対応可能なのか、自然に対する冒涜としか思えません


自然災害を完全に防ぐのではなく段階的な対処を考えるべきでしょう

 

福島の例を挙げれば注目すべきは原子炉そのものへの地震や津波の直接被害は

軽微であったのですが電源が確保できずに冷却できずに爆発に至ったのです

判決でも水密化工事の不作為も指摘されていましたが防潮堤工事を含め対策に

は何年も必要ですがその間に津波があったら責任はどこにあったのでしょうか

予測をしなかった地震学者でしょうか

 

電源に関して言えば最大の課題は予備電源が同一レベル、つまり主要電源と

同じ場所にあったということで高所への移設であれば費用も少なく比較的

短時間に完成していたでしょう

 

これができていれば冷却は可能で爆発はなかったと推論されます

この意味では防ぐよりも発生した場合の対処法に優先順位をつけて逐次遂行

することをしなかったという点では責任を免れません

 

裁判ではこのような論理構築をして欲しかったのですが白黒という単純な

二元論的な論旨になったのは残念です


自然災害を防げなかったから責任があるのではなく自然災害に対し時間軸と

レベルに応じた対応策を策定し系統的、継続的に対策を実施しなかったこと

に責任があるのです


さもなければ論点は自然災害に対する予測可能性と精度という神学論争の

末に何も進歩しないということが残ります

その372       2022/7/25に掲載

経済の再活性化には

高度成長時代以降、世界経済も地政学的なパワーバランスもそして何より日本

自体の人口構成や経済基盤が大きく変化しているのに古くからの制度が昭和の

ままで何も進化していないことに30年間低迷している原因があるように思え

ます

 

大きな軸として次の3点を挙げたいと思います


一つ目は退職金制度の大改革です


多くの企業の退職金制度は勤続年数で比例級数的に増加するようになって

いますので途中退職すると退職金も少ない上、次の職場での年数が「1」から

始まるので同一会社に所属する人と比較して大きく減少し転職を妨げています

 

二つ目は家族の考え方の大変革です


ヨーロッパ大陸では多くの国で法律上の婚姻以外も子供を含めて家族として

認め、手当や相続でも法律婚と同様の扱いをしていますし、同性婚等もこの

延長線上にあります

 

三つ目は「おじさん社会」の意識や制度の大改革です


昭和の古き良き時代どころか明治大正のような発想がまだ強く残っており

若手の登用や女性活躍の芽を摘んでいます

もっとも明治大正期には若手の活躍は沢山ありその意味では昭和になって

江戸時代に逆戻りしたのではないかと思ってしまいます

女性の活躍で言えば、古くは平安時代から紫式部のように世界でも稀な

女性作家が活躍していたのでここでも進歩が止まってしまったようです

 

さて、それではどうすれば良いのでしょうか

 

退職金はIDECOに全面移行し、個人のポータブルな退職金制度とすれば

転職の不利益は無くなります。また積立金に対する課税を拠出時ではなく

引き出し時にすることで税負担も減額できます

経済が活性化されれば結果的に法人税や所得税の増収も期待できます

 

第二は簡単で、現状制度の運用を変え実質婚を運用の基準とし同性婚も法律

で認めるようにします

 

最後の女性の活躍に対しては心理的な障壁が高いのでここでは法的な比率

定めるのが良いでしょう。企業の管理職、政党の公認候補の女性比率等が

考えられます

 

こんな主張をする政党が現れることを期待します

その371       2022/7/18に掲載

びっくりしたなー、もう

参議院選挙直後に米倉経団連会長が岸田総理に要望を出したそうです

 

『人に対する投資をお願いします』!


経団連加入各社が賃金引き上げに対してこれまでどれだけの事をしてきたの

でしょうか

 

空前の利益を上げながら賃金上昇率は低いまま、労働分配率は低下したまま

という現実をどのように捉えているのでしょうか


大企業は今年になってようやく2%を超える賃上げをしましたが原材料価格の

高騰に悩む協力企業に対してどれだけの仕入れ価格の値上げを容認したので

しょうか

 

人に対する投資を最初にやるべき経団連が何もしないで政府に要望する趣旨が

信じられません

 

そこで冒頭のような言葉になったのです

中国の格言に「まずは隗より始めよ」というのがありますが米倉会長は

古典の授業を受けていなかったのでしょう

その370       2022/7/11に掲載

子供の教育は弓を引くように


子供の教育で親がができることは弓をいっぱい引くこと、一旦弓を離れた矢は

狙われた方向と速度で飛んでゆくが、その段階で弓にできることはありません

 

引く力が小さければ遠くには飛ばないし、狙いがずれていたらあらぬ方向に

飛んで行きます

 

飛び始めると矢は自らの推進力を得て自分の力で推進力や方向を変えられる

ようになりますが弓がそれを指示する事はできません


それなのに最近の日本での教育環境をみると親も学校も子供たちを自らの

好みの方向に向かわせようとしているのではないでしょうか


ここに子の親離れ、親の子離れができない状況ができてしまいますが一般的

には子供は親より長生きするのですから、課題は親の子離れができないこと

にあります

 

社会全体に明治大正時代のような家族思想がいまだに残っているようでこれが

社会の自由な発展機会を阻害しているのではないでしょうか


過保護とは弓を十分引き切らないことです


そして親の考え方で方向を決めてしまうことでもあります


引く力が弱ければ初速がつかず本人のロケットに点火する前に地上に落ちて

しまいます

北風が吹いているのに北に向かって矢を射てば風に翻弄されてしまいます

親の責任とは正しい方向を示して力強く弓を引くことで、いったん飛びだして

しまったら子供の持つ推進力に任せることが大切です

 

そのために子供の活力に十分なパワーを与えておくことも大切なことに

なります

 

要するに子供に我慢させるのではなく親が我慢することです

我慢とは多少危ういことがあってもお節介を妬かず自主性を重んじ、しかし

本当にリスクに直面するときには素早く手助けをする、このタイミングが

我慢ということになりますが皆さんいかがでしょうか、できていますか?

その369       2022/7/4に掲載

茹でガエルの鍋は45℃


高度成長の時代は長く入っていても気持ち良い38℃リーマンショック後に

41℃に跳ね上がりましたが水を入れれば多少下がる可能性はありました

しかしただ我慢してしまったのでアベノミックスで本当は42℃になったのに

体感的には40℃に下がったような錯覚に陥り、今回のウクライナ戦争による

資源高と円安の直撃を受け45℃にまで跳ね上がりました


まだ死ぬほどではありませんがかなり熱い温泉療法のようなもので長く入って

いられません

 

問題は現実と認識の乖離がひどくなって短時間の温泉療法だという認識に欠け

ることで長く続くと危険な状態です

 

このままでは気がついた時には身体が動かず茹でガエルの鍋から出ることが

できません

 

誰かの助けを待つことなく、裸のままという羞恥心を捨ててまず安全な鍋の

外に避難する必要があります


最早水を足して温度を下げる限界値を超えてしまっています

それでも後10年ぐらいは喘ぎながらも熱さには耐えられますが、それを

過ぎると悲惨な結果を見ることになるでしょう

 

鍋から逃げ出す最後のチャンスをそれぞれの判断で行うことが必要で

ここでは美しい協調精神は妨げにはなりますが助けにはなりません


何故ならば皆一様に同じ鍋に浸かっているからです

さあ、最後のチャンスを掴んで鍋から外へ出てみましょう、そこには想像も

しなかった別の世界が広がっている筈です

その368       2022/6/27に掲載

「経済学者よ、批判者であれ」浜矩子の提言

同志社大学院教授 浜矩子さんは経済を学ぶ醍醐味を次のように表現しています

「経済の世界は謎解きの世界です。極上のミステリーのように筋書きが

展開し、鋭利な知性による探求が真相をつきとめるのです」


「ニセの証拠や、通念的な思い込みにだまされると真犯人にたどりつけない

それはミステリーも経済もまったく同じで、名探偵でなければ正しい経済分析

はできません」と言っています

 

周囲の異端視をはねのけ、「名探偵」になるためには、常に「批判者である」

ことが大事で社会に警鐘を鳴らし続けるのが学者の使命だという意味です

更に「日本の研究者の問題として二つのパターンがあります」と言っています

 

一つ目は「研究者『らしさ』を気にするあまり、何を言っているかわからない

人」だという。

「言動が極端だとか、思い込みが激しいだとか『研究者らしくない』という

批判を恐れ、無難なことしか言わない研究者が目につきます」

経済学者は批判者たれ、と信じる浜さんとは正反対のタイプです

 

もう一つが権力に迎合した「御用学者」です

「客観性を装ってはいても、結局は与党、野党に分かれてそれぞれの声を

代弁しているだけでそれでは批判者とは言えません」根拠が明らかな理路整然

とした予測を立てた結果、外れたものは、なぜ予測通りになったのかが分から

ない予測よりも役に立つ。なぜ外れたのかを検証すること自体が経済分析の

重要な材料になりますから」

 

ここまでは毎日新聞コラム記事からの引用です

 

筆者の学生時代にレオンチェフが多変量解析という数学を経済学に応用し

経済予測をするという画期的な手法が流行りましたが、実際使うと予測が

外れることが多く次第に使われなくなりました

 

ただ、経済学に数学を応用するという手法の始まりでそれ以降多くの経済学者

が数学出身者になりました

 

筆者は当時、経済は心理学だと言い、レオンチェフの予測は正しいものの

それを見た人の行動は予測時の行動と乖離するので結果的に間違ってしまう

という主張をしましたが全く受け入れてもらえませんでした

 

突拍子もない心理学を持ち出したのが悪かったのでしょうが今でも経済でも

政治でもすべからく人間の行動は心理状態で変化するものと信じています

 

その367       2022/6/20に掲載

防ぐのか拡げないのか

災害対策でも防犯対策でも、更には防衛力についても最近の議論は完全無欠

シャットアウトという考え方に傾いています


津波対策では予想される最大限の津波高を目指すので場所によっては

20メートルもの高さの防潮堤が必要になり、原発でも巨大な防潮壁の建設が

求められています

 

しかし、経験でもわかるように災害は常に常識を超えた形で現れます

愛媛県の伊方原発では阿蘇山での巨大噴火による溶岩流に対してどう対処

するかが一つの争点になっていますが、そもそも巨大噴火が起きれば周辺地域

への地震や溶岩流の被害は甚大で壊滅的打撃を受けその影響は原発よりも

はるかに大きくなりますので原発についてもこのような大きな視野で検討

すべきでしょう

 

古来日本人は台風や地震を経験し、災害を防ぐよりもいかにして人的被害を

最小限にしその後の復興をするかに知恵を絞ってきました


地震があれば津波を警戒し山に逃げる、家は流されても再建できるが命は

失われれば終わりだということを認識した思考と行動でした

 

ところが多少の科学知識を得た最近は地震を予知しようとし、津波は防潮堤で

防ごうとしますが、これは自然への挑戦で人は必ず負けてしまいます

 

急に高まった周辺諸国脅威論も似たような思考で攻められる前に敵基地攻撃

だという論調ですが本当に戦争になれば日本はウクライナのように自国内

での防衛ができるのか、第二次大戦時のフランスのようにレジスタンスを

続けられるのかというレベルから議論を進め、その前に外交力をつけることが

肝心です


今の日本の思考とこれらとの決定的な違いは「完全に防ぐ」のか「防げない

時にどうするか」という思考の差でこれにコストを掛ければより良い回答が

得られると考えます

 

福島原発事故でも津波高の予見可能性の議論ばかりで、予備電源が水没して

使えなかったという点についての議論はありませんが、防ぐより拡げないと

いう観点から見ると予備電源の設置が高所であれば停止はしても事故には

なりませんでした


そのためには冷静に分析し議論をするためのデータを開示しより多くの人が

議論に参加することです

その366       2022/6/13に掲載

1%の確率

7月の参議院選挙は自民党の大勝、楽勝でほぼどの予想も一致していますが

ほんの僅かの予想外は無いのか考えてみました

 

要素としては投票率、無風に対する飽き、自分の投票行動は全体に影響しない

ということでしょうか

 

前回の投票率48.8%でしたが今回も無風、争点無しという状況では更に

低くなる可能性が高くなります


以前は低投票率は労組などの組織票の多い野党有利と言われましたが、最近は

野党組織票の低下と以外に喧伝されない与党の高い組織票を考慮すると逆に

与党有利の展開になります

最大の浮動票源である都市圏の無党派層の投票行動は棄権(選挙に行かず

投票率は下がる)なので低投票率=野党敗北となります

 

これに対し与党は農協、郵便局、創価学会のような組織票があります

一方で長い無風選挙に対する飽きもマグマのように蓄積されていますので

何かのきっかけで突然噴出するかもしれません

 

前首相があたかも自分が守護神のようにでしゃばっている姿、資源コスト上昇

にほとんど無策な政府に対する不満、高度成長期のまま冷凍保存されたような

社会の仕組みに対する不満、変化を求める無意識な期待感もあります

 

どうせ変わらないから今までと違うところに投票してみようというゲーム感覚

の投票行動は前回衆議院選挙での日本維新の会の躍進に見られた現象です

このように考えると1%の確率で第番狂わせが起きる可能性がないわけではありません

 

最後に一つ

 

日本では公示直後の「序盤戦」と投票日前の「終盤戦」予測で投票行動が

かなり影響されています


「どうせ変わらないから」「自分が投票しても落選するなら」ということで

選挙結果はほぼ報道機関の予測通りになります

さらにどうせ勝てるから自分が投票しなくても良いだろうということが

低投票率に繋がっているとしたら報道が選挙を左右していることになって

しまいます

 

因みにフランスでは公示後の選挙予想報道は禁じられています

 

報道機関は予測が正確だったというでしょうが実際はその報道が投票行動に

影響を与えているのかもしれません、小選挙区制度ではワンサイドな報道が

あると投票に行くインセンティブが薄れてしまいます


唯一の例外は「山が動いた」1989年の選挙で、この時は「マドンナブーム」

という無党派層を巻き込むブームがありました

 

最近の選挙に関するブームは何があるのでしょう

無節操な低金利、膨大な国債利払のため利上げできない日銀、呆れるような

政治家の発言と資質、物価上昇と伴わない賃金上昇、確かにこれらは問題

ですがいずれも「ネガティブな課題」ですから同意はするが人を惹きつける

キャッチフレーズにはなりません

 

今必要なのは「未来が明るくなるようなキャッチフレーズ」で実現可能性は

低くても構わないのです

人は夢を追うことで活力が出、結果的に困難な目標も達成できるのです


どんなキャッチフレーズがあるのでしょうか

『立候補者の平均年齢30歳代、女性比率50%、医療費の無償化、年金5割増

財源は消費税2%アップ』

どうでしょうか

その365       2022/6/6に掲載

何故 出生率が高まらないのか

出生率が恒常的に1.5を下回り始めたのは1995年からでそれ以来約30年間

改善が見られません

最近の1.36という衝撃的な数字を受けて政府は様々な対策を講じようとして

います、出産補助、不妊治療費の補助などですがこれらの政策は過去何年も

議論され似たような政策は実施されていますが残念ながら結果は出ていません

 

それは出生率は経済状況、特に先行きの経済見通しに影響されているからで

別掲のグラフを見れば明らかなように石油ショック、バブル崩壊、リーマン

ショックそして最近のコロナ禍という節目ごとにGDPは階段を降りるように

下がり、それに伴って失業率は上昇し、出生率は下がっています


この現象は世界的に同様で例えば中国でも一人っ子政策の変更にもかかわらず

GDP伸び率の低下とともに出生率は下がっていますし、他の先進国でも

急激な成長が止まると出生率が下がり四半世紀後には老齢化が始まっています

つまり、将来の見通しが立たない、あるいは将来も今と暮らしが変わらない

場合によっては悪くなるかもしれないと感じると現状の生活水準で物事を

判断するのでとても子供を育てられないという感覚になります

 

さて実際はどうでしょうか


3年ほど前まである幼稚園の経営に関わっていましたが、子供3人の家庭も

珍しくなく逆に一人っ子は少なかったのは何故でしょうか

比較的学費の高い幼稚園でしたので、入園希望者家庭の収入も平均よりは

かなり高いことが類推されますので、将来の生活に対する不安感は少なく

結果的に子供の数が多くなっていたのではないかと考えられます

 

翻って自らの生活を考えると社会人になって早い時期に車を買い、遊びまわり

結婚して家を買いましたが将来に対しては『何とかなる』と楽観視していた

のも事実です、そして実際年収の10倍もする家を買っても何とかなったのです

 

石油ショックで物価は1年で30%も50%も上がりましたが1,2年遅れで収入も

同程度上がり生活感は変わらなかったように記憶しています

 

ここから得られる結論は最も効果的な対策は経済の活性化ということになり

30年も固定化された経済政治環境を打破するような大変革が求められているの

です