“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

日本本社の設立はできるか

世界のグローバル企業を見ると、いわゆるHQは必ずしも本来の創業地にはないこと

が多くあります。 税制面の優遇措置を求めている面もありますが、人材の採用と

処遇、コミュニケーションや移動の容易さ、規制の多寡などの理由で最適地に立地

していることが多いのです

翻って日本企業を考えて見るとHQの立地のみならず、組織的にもワールドHQ

日本本社の機能が分離されず一体化している企業が圧倒的に多くなります

このため、ワールドHQ機能についても日本人中心で使われる言語も日本語となって

いますので、海外の優秀な人材を登用することが難しくなっています

さらに、処遇面でも日本国内オペレーションを担当するスタッフと同一の処遇体系を

維持しているためにグローバルスタンダードから見るとかなり低い水準になって

います

日本企業でトップの報酬が5億円を超えることは珍しいですが、世界に目を向けると

10億円どころか100億円という水準も珍しくなく、人材確保という面から見ても

苦戦を強いられるのは必至です

私の出身母体でもあるソニーでも盛田会長時代に何度かニューヨークにHQを設立

しようという計画が出ましたが、結局実施できずに終わりました

創立地の国籍にとらわれない組織運営ができる仕組み作りが難しい点もありますが

同時に日本国内の経済団体や政官界とのつながりを維持しないとマスコミをはじめ

とする圧力に耐えられないという実態もあるのでしょう

これからの日本の立ち位置を考えると日本のオペレーションを統括する日本本社と

グローバルな活動を統括するグローバルHQの分離は必要です

また、企業買収についても日本企業は規模の拡大が主流ですが、海外の場合は

『時間を買う』ことが主題です。つまり自ら開発するよりベンチャーで開発した

技術を買う、新規分野への参入もゼロからの出発ではなく既に基盤を持った企業を

買収して参入するということで、このような発想は日本の中にいては難しい点も

あります

最近の好業績企業の収益は海外比率が高くなっており、また企業買収も進めて

いますので早急な組織の整備と人材育成、全世界からの人材採用と維持ということが

喫緊の課題でしょう 

再び身分制度を考える

働き方改革 その5

組織運営の見直しとそのための法的整備、社会全体の見直しが必要だと考えます

今だに、入社時の成績と学歴で一生を支配するような労働慣行が残っているところが

ありますが、大正時代ではあるまいし、戦後民主主義とは何だったのだろうか

典型的な例は国家公務員、名前こそ違え上級公務員試験という身分制度が残り

エリートとそれ以外、実はこの内に専門職が含まれている、が明確に差別され

グラスシーリングではなく鉄板のような壁が存在し、実務から育った人はチャレンジ

する機会もない一方、試験で高得点を取った人はその後40年間勉強しないでも

一定の地位までの昇進が保証されるという点に疑問が残ります

民間企業でも似たような制度を今でも継続している企業があり、この根本概念が

変化しない限り正規・非正規の問題も、長時間労働を誘発する全人格的労働慣行も

解決しないでしょう

以下引用になりますが、

1970年代初頭、米国ノースカロライナ州で示唆に富む社会実験が行なわれました

この実験では0歳の子供が5歳まで成長する過程で、「大人が子を手厚くケアする」

グループと、しないグループに分け、40年後の学歴や健康などを追跡調査しました

結果は、幼児期のケアの重要性を示すもので、手厚いケア群が大学を卒業する確率

は、手厚いケアをしなかった群より4倍も高く、健康度も高いことがわかったのです

Frances A. et al. “Adult Outcomes as aFunction of an Early Childhood Educational Program”

日本ではこれらの社会実験を「優秀な子を育てる英才教育」とみる傾向がりますが、

実際にはそうではありません。確かに小学低学年までのIQは高まっていますが、

その後効果は持続していないのです

一方、学校を卒業するまで学び続ける力、企業などで働き続ける力、賃金を得る力

などの、いわゆる「生きる力」は5歳まで、どれだけ大人に手厚いケアを受けたかで

大きく変わります

このように困難を乗り越えるたくましさ、市場経済の競争に破れたときの打たれ強さ

健康に暮す力、などが大変重要で、後天的に得られたいわゆるIQ的な点数は

「国を成長させ、社会を豊かにする力」には大きな要素ではないことを示しています

最初に書いたように、後天的に得られる点数で身分的な固定化を図るような慣行が

改善され、有能な人材が自由に活躍できる社会の実現を目指そうではありませんか 

NHK受信料

最高裁の判決が確定し、テレビの設置時に受信料契約が成立するということに

なりました

法律的には妥当な判断ですが、一方でスッキリしないことも確かです

ちなみに日本と同様な受信料制度をとる英国ではBBCに対する支払いが必要ですが

こちらは契約というより事前手続きが必要で、支払いをして初めてテレビが設置

できるというものでタダ乗りを認めない日本よりも厳しい制度です

さて、NHKの公共放送としての受信料はある程度納得できますが、民放と競合する

お笑い番組に対しても費用負担の必要性があるのかについては疑問です

コマーシャル収入のない、ある意味では競争原理の働かない仕組みでどれだけコスト

削減の努力がなされているのか。 また、NHKが得意とする(筈の)海外のニュース

に関しても他国のニュースをそのまま流していて、莫大な費用がかかっている特派員

によるタイムリーな報道は少ないのは何故なのでしょうか。 BBCCNNもあるいは

米国3大ネット局には報道番組のベテランがいて世界的にも名前が知られ、質の高い

分析やタイムリーな報道を現地からインタビューや解説を交えて行なっていますが

NHKからはこのような報道は非常に少なく、しかも一日経ってからということが

珍しくありません

個人的にはCNNBBCから情報を得ており、NHKの費用を負担する意義をそれほど

感じていません

そこで提案なのですが、NHK1NHK2に分け、それぞれに受信料を設定し、

1は義務、2は任意とすることはできないのでしょうか

競争原理の導入で番組の質の向上が図れるますし、コスト削減にもつながります

現状では、コスト削減のインセンティブがありませんし、消費者が受信料の水準に

対して意思を示す手段がありません

テレビを持てば受信料の支払いが義務となるのであれば、予算、人事、番組内容に

対して意思を表明する機会があるべきではないでしょうか 

もっと楽観的になろう

生き物は将来に希望を持った時繁殖力が増加し、数が増えます

逆に死滅しかける時に種の保存のために急激に繁殖力が増加することもあります

前者の例はたくさんありますが、人類の歴史を見ても発展段階にある集団は人口が

増加しています。古くは全盛時のローマ帝国、中世の暗黒時代のあとの

ルネッサンス期ヨーロッパ、そして近年では植民地解放後のアフリカ諸国での人口

増加があります

後者の例ではイナゴやネズミの異常繁殖が挙げられます

一般的には食糧事情が改善し、また衛生状態が改善したから死亡率、特に幼少期の

死亡率が低下したから人口が増加したという説明がありますが、詳細にみると

経済状態や環境衛生面での改善の前に人口は増加しています

さて、日本の状況ですが出生率の低下はいつから始まったのでしょうか

合計特殊出生率2.14が人口維持のマジックナンバーですが、この数値が2以下に

なったのは1970年代後半です。この時期に何があったのでしょうか

戦後の高度成長期が終わり、第一次・第二次石油ショックがあり、経済成長率も

10%近かったところから3%に落ちた時代です

つまり、先行きに不安を感じた頃と出生率の低下は同期しているのです

人々がなんとなく不安を感じると、子供達の将来が必ずしもバラ色ではないと感じ

様々なことに関して悲観的な見方が支配的になり、結果的に晩婚、少子化、節約

といった価値観が上位となります

今は、デフレだという言葉に惑わされていますが、物価が上がらないのは必ずしも

悪いことではありません。生活設計ができますし、年金生活者にとって収入が一定

なら物価は上がらない方が良いのです

しかし、新聞を始めあちこちでデフレ撲滅と言われると将来の不安が増してしまい

ます。なぜなら収入がそれほど増えないと感じるとデフレの撲滅は実質可処分所得

の減少となるからです

ここで大切なのは、皆がもっと楽観的になり、給料が上がらないなら起業するなり

副業をするなり創造性を働かせて自ら困難を打破することではないでしょうか

Boys be Ambitious ! (現代的に言えば We all be Ambitious!)

仕事に必要な六つの資質

歴史と生物は暗記科目で人気がない、だから用語の数を減らす、という記事が新聞

に載っていましたがこれは的外れだと思います

試験問題を用語を知る、知らないという記憶力を問うのではなく課題に対する記述

にすれば良く、場合によっては参考書持ち込み可とすれば良いでしょう

試験の目的は記憶力を問うのではなく課題の理解力、解決力を問い、どれだけ合理的

論理的に物事を説明できるかを問うのが本来のあり方だからです

アメリカの大学入試には必ずエッセイがあります。日本はマルバツ式で記憶力の勝負

になってしまていて試験の本来の目的から外れ『順番をつける』あるいは『落とす』

ことが目的になってしまっています。このような必要性もありますが入試も入社試験

も一発勝負ではなくそのあとの長い時間でどれだけ成長できるか、あるいは組織に

貢献できるかを問うのであって一時期の試験成績を唯一の物差しにしてしまうことは

将来の成長を無視しているとしか思えません

アメリカでのビジネスマンに対する調査で六つの資質を挙げ、何が重要かを訪ねた

ものがあり、トップはブロ意識、以下信頼感などで知識は6項目中最低の6番目でした

ちなみに六つの資質とは重要度の上から順に

Professionalism プロ意識

Reliability 信頼感

Leadership 指導力

Friendliness 包容力

Confidence 自信

Intelligence 知性

東大卒が中枢を占める日本社会ではこの順番が相当に異なっていますし、巷で

言われているよりも人格や人間性に重点が置かれていることがわかります

またテストでは計測できない資質が多いこともわかります

東大は全科目平均的に得点を取れば70点で合格できますが、どこにもプロに匹敵する

資質がない場合が多いのです

みんながそれぞれの守備範囲の中で最大限にプロ意識を発揮すればもっと良い

社会になると思いますので自分なりのプロを目指して頑張りましょう 

プロのコーチの存在感

女子スピードスケートの小平選手はオランダで訓練した結果飛躍的に強くなりました

要因の一つが『試合に対する意識』ということで、当時、はるか上にいるオランダ

選手に対してもひるまないで挑戦する気持ちを肌で感じたことが、コーチの自信を

持てという言葉とともにしっかりと自分のものにできたことが強くなった原因だと

本人が語っていました

先日サッカーの日本代表がブラジルと対戦しました。ハリルホジッチ監督がいつも

言う『相手をリスペクトし過ぎない』ことができずに完敗

一方で、女子バトミントンも韓国人コーチのもと急速に強くなっています

つまり選手としての素質をどのように引き出すかと言う点で日本人コーチの力が

試されているのではないだろうか

外国人コーチを起用した各協会の決断も素晴らしいですが、せっかく結果が出ている

のに日本人コーチが育たないのも『外国人コーチをリスペクトし過ぎている』ため

なのだろうか

翻って、スポーツに限らず学校でも会社でも良いコーチがいればもっと学生も社員も

潜在的な能力を発揮できるのではないだろうか

秋田県立大学の人気の秘密は発想、行動力、語学力そして論理的な思考にあります

環境を整えつつ、一方で厳しい課題を課し日本の大学では珍しく落第率が高いという

教育理念はまさにコーチングそのもので結果が出ています

さて、会社の中でこのようなコーチングができているのだろうか

コーチは誰なのか?

そのようなコーチを雇い、依頼し、育てるのは誰なのか?

これこそが『会社経営』だと考えられますが、残念ながらこのような発想を持った

企業は少ないのです

このことが今の低迷する経済を象徴しているように思えるのは私の理解不足なの

だろうか 

経済学の当てはまらない時代

ベトナム戦争直後に世界的な不景気から回復できない時期に石油ショックによる

大幅なインンフレーションが発生し、スタグフレーションという言葉ができました

経済学では景気が悪いと需給均衡点が下がるので物価は下がり、再び需要が回復

するので景気が回復すると教えられますが、スタグフレーションの時代には物価は

上昇し続け、その結果景気はますます落ち込むということがありました

最近のように景気が良くても物価が上がらない状態はちょうどその反対にあります

貿易の自由化と新興国での生産拡大、世界的規模での最適地生産が行われ、また

品質管理技術と生産技術の向上で世界中どこで生産しても一定の品質が保持される

ようになり、Maid in OOOO』という価値が下がることにより相対的に物価水準

の低い国の製品が次々と供給されることで先進国での物価は低下したままです

このような状況では一国の産業政策や中央銀行による金融政策の有効性は大幅に

制限されます

アメリカは大きなGDPと自国通貨が基準決済通貨であることでドルを印刷することで

比較的自由な政策が可能です

ヨーロッパ諸国はEUとユーロで広範な地域での共通経済政策で一定の政策の有効性

を維持しています

中国は巨大な市場を内包し、しかも大きな需要があるので高い成長率を維持すること

が可能です

さて、日本はどうでしょうか

輸出を基本としたこれまでのあり方は、アジア諸国の追い上げで価格競争力が低下

していますし、今後とも価格競争で勝ち抜くことは難しい状況です

国内では人口の高齢化、絶対人口の減少に直面し国内市場のみでは市場規模が小さく

国内生産の競争力は低下していますので、海外での生産や企業活動で利益を得る

構造になり、国内の雇用を維持することが困難になってきています

これからは価格競争ではない競争力を維持できるような新しい産業、新しい市場創造

が求められるのですが、経済政策も、産業構造も、教育体系もこのような要求に

答えられるようにはなっていません

単にインフレ2%を目標にしていてはますます厳しい時代が来てしまいます

スタグフレーションの時代に経済理論での解決策がなかった時と同様に、新しい

発想で困難を乗り切ることが必要です

21世紀に入る前にハドソン研究所がアメリカ政府の要求でまとめた

Workforce 2000』は日本にとっても大変参考になる政策提言です

日産、スバルの完成検査

無資格検査員が検査した車がなぜリコールになるのか?

部品の安全性や排ガス規制のごまかしといった車の基本性能に関する事項であれば

リコールして修理することは当然だが、完成検査の実施が無資格者であったから

という理由でリコールすることに対しては理解ができない

もちろん、決められていたことを守るのは当然ではあるものの、無資格者による

完成検査の問題の本質は別のところにあるのではないか

本来は車検場に持ち込んで実施すべきことを各社に委託しているのであれば、

管理監督責任は国交省にある

定期的にフォローアップをしていたのであれば30年も40年も継続できる訳が

ないので、各社の問題であるとともに委託した国交省の問題でもあるのに、その点の

説明がないのはどうしたことか、また報道機関もこのような事情を論理立てて記事に

すべきで、騒ぎ立てるだけでは報道機関の役割を果たしているとは考えられず、

単に役所の下請けになっているのではないか

報道によれば、資格取得の条件は各社で異なっており、一律的な基準がないとのこと

もしそうであれば、国交省は何を民間委託しているのだろうか

自動車会社も自社製品の品質維持のために社内基準としての完成検査基準がある筈で

一般的に言えば社内基準は国の基準より厳しい、あるいは最低でも同じ水準に

なっている筈

とすれば、形式的な完成検査とはなんなんだろうか

資格の有無にかかわらず、社内の完成検査基準は維持されるわけで国交省は

事後的に抜き取りや抜き打ちで基準が維持されているかどうかを確認すれば良い

メーカーが部品等を調達するときの品質基準維持の手法と同様であり、資格の有無は

あまり意味がない

ここまで考えると、この問題は国交相の『面子』の問題に矮小化されてしまうのか

映画 ドリーム

久しぶりに『ドリーム』という映画を見ました

1960年代のアメリカ、舞台はNASAです

人工衛星や有人飛行の初期にはまだ手計算で軌道計算をしていたという驚きもあり

ますが、この時代はまだ公民権法が成立しておらずワシントンDC郊外でも白人男性

があらゆる場面で優位な立場にあり女性や非白人の職場進出は制限されていたという

こともあります

バージニア州は先日のリー将軍銅像事件でも話題になりましたが、南部に属します

公民権法の成立は1964年、マイノリティーの保護はもっと後になります

日本ではあまり知られていませんがマイノリティーとは

男性でなく

白人でなく

年齢が40歳以上の人です

ですから人数的には圧倒的に多数です

そのような環境の中で実力によって仕事を勝ち取り、周囲から信頼される存在に

なっていく過程を描いた作品で少し背景を知らないと理解しにくい面もあります

1962年にJohn Glennの有人衛星打ち上げが行われていた時にはIBM大型計算機が

ようやく導入された頃ということは初めて知りました

私が赴任した1978年から見るとほんの15年ほど前のことで、南部に旅した時には

まだ名残が残っていてたことが思い出されます

南部をドライブしていた時にトイレに入るため、広大な林の中の一本道に面した

小さなコーヒーショップに入った時に店の中の人全員に奇異な目で見られた経験は

鮮烈でした。『どうしてここに入ったの?』という無言のメッセージです

その時初めて気がついたのですが元々Colored』の店だったのです

すぐに気がつきましたが出るわけにもいかず、トイレを借りて外を観察したら

止まっている車は古いものばかり

ちょと先には綺麗な車が停まっている綺麗な店がありこちらが『白人用』の店です

法律はできても、生活は変わらないし、意識も変わらないということです

IBMの大型機ですが、1960年代後半にはすでに東大に導入され、プログラミングの

授業がありました

世界の潮流に遅れていなかったのですが、当時はそのような感覚ありませんでした

きちっと世界の潮流を見極めている人がおり、予算もついたということです

今はどうでしょうか

日本沈没

堺屋太一の本の題名ではありません

今回の選挙は日本が長期的に没落してゆくきっかけになったものとして永く記憶に

残されてゆくでしょう

◎ 北朝鮮問題がなぜ選挙のテーマになるのか

◎ ムードだけで実績のない新人を擁立しても勝てない新党

◎ 戦後二番目の低い投票率は何を意味するのか

◎ 小選挙区で落選しても比例で復活するのであれば小選挙区の意味は何か

前にも書いたように憲法7条の天皇の国事行為である衆議院の解散を法的根拠の

ないままに首相が助言することも再考する余地があります

『アベノミクス』の成果と言われますが、簡単に言えば世界経済が好調なため

言っても差し支えなく、アベノミクスが日本経済の基礎を強めているとは考えられ

ません。 企業業績が好調なのに内部留保や企業の現預金が積み上がり、投資に

回っていない、賃金が上昇しない、デフレは継続している、節約志向はますます

強く、というのは国内の業績が良くなく国内での投資先もないということの表れ

です

高齢化に対して何をなすべきか、財政赤字をどうするべきか、国内産業育成を

どうすべきかという長期的な課題に対しては何も対策が取られず、目先の瑣末な

状況に振り回されているようでは長期的な日本の国力回復は見込まれません

これが『日本沈没』と言った理由です

1920年代から1930年代の歴史を振り返ると今の状況との類似点に驚かされます

大正デモクラシー後の虚脱感、関東大震災、戦争のきな臭い匂い、政治の混乱と

劣化、国民の政治への不信感とあきらめ

これらがどこに向かったのかはすでに明らかになっています

今こそ各個人それぞれが責任を持って現状を正しく捉え、将来を考え、できる範囲で

行動を起こす時です

政治とは本来『政治屋』に任せるものではなく『政策を基礎に政治家に委ねる』

ものです

そのためにはあらゆる事柄に対して各個人がそれぞれの立場で『自分の意見を』を

持ち、その意見との対比で委ねる人を選ぶことが必要です

低い投票率が何を意味するのかは分析が必要ですが、行動してこそ改善があり

行動なしには何も起こらないことを心にとどめるべきでしょう

部長が多すぎる

20世紀後半までは高度成長+人口増加で多くの企業がピラミッド型の組織を維持

することが可能で、年功による昇進、昇給も行われていました

21世紀になり成長が止まるとともに人口も減少し始め各企業は生き残り競争に

突入しました。 対応策の一つが人員の削減で主として欧米から輸入された手法を

使ったリストラが進行した結果、組織はピラミッド型からフラット型へ構造変化

した筈ですが実際には『ずんどう型』になってしまいました

本来なら経営トップを含め上位管理者を削減し、組織の下位者に権限を移譲し、

コスト削減と経営のスピードアップを図るべきところ、『日本的な温情さ』と

『外部からの圧力:社外取締役や株主総会の希薄さ』のため部長以上の職務が温存

され皺寄せが課長や第一線の担当者に押し付けられてしまいました

担当レベルの仕事に熟知した課長レベルによる素早い判断と経験を生かした指導や

教育が重要であるのにかかわらず、このレベルを薄くした上に『判断:決裁』を

実務に疎い部長に残してしまったために決断スピードの遅延と無理難題が下位者に

押し付けられた結果『うつ病』『過労死』『自殺』というようなことが顕在化した

というのは言い過ぎでしょうか

部長職というのは『判断+決裁』が主たる役割ですから優秀な課長レベルが存在

すれば多くの課長を抱えていても業務遂行はできます、一方課長職は『実務に基づく

判断と担当者とのコミュニケーション』や様々な『相談』に対処することが主たる

役割なので実務に精通していることも必要ですし、それほど多くの人を配下に

持つことは困難です。 それでも判断や決裁の範囲が広がれば対応はできますが

現実には少ない決裁権限と多くの人の面倒を見なくてはならないようなリストラの

結果、組織全体の業務遂行力が低下してしまいました

最近の社会的な現象『過労・精神的病』の増加、組織的な企業不祥事を見ると

上記のような誤ったリストラの結果がようやく顕在化してきたのではないでしょうか

さて、それでは解決策は何でしょうか?

部長を減らし課長を増やす、それに伴い大幅な権限移譲を行いながら結果責任は

あくまで経営トップが取る覚悟を内外に示すということではないでしょうか

もう一つ組織レベルを削減し情報がスムーズに流れるようにすることも大切です

組織レベルを削減すれば、誰が何に対して責任を持つのかが明確になり、各自の

判断能力の向上が求められることでそれぞれのレベルで成長が図られます

行政レベルの規制緩和は困難ですが、このような企業内での規制緩和はトップの

決断ですぐに実行可能で、経営のスピードは高まり、経営の質も高まります

現場に近い人たちが生き生きとする環境整備が求められています

日本のバーニー・サンダース出でよ

バーニー・サンダース(76)、ジェレミー・コービン(68)の登場は何が背景に

あったのでしょう。 いずれも当初は泡沫候補、あるいは極端過ぎて党首失格と

言われていたのがもう一歩で民主党の大統領候補に、または労働党の復活を担う

党首として期待を集めるようになりました

社会主義2.0とも呼ばれるように相当にリベラルな主張で特に若者からの支持を

多く集めています

今月は日本でも総選挙が有りますがこのようなリーダーは現れていません

保守とリベラルという新聞のレッテル付けですが、日本のリベラルは保守そのもの

で、何かを守ろう、〇〇改正反対と言ったスローガンで、改革を主張していません

これでは若者は付いて来ません

サンダースやコービンの主張は破壊的な改革を主張し,エスタブリッシュメントに

対するアンチテーゼとしての存在になっています

翻ってみると現在70歳前後の世代は1960年代後半の学生運動最盛期にちょうど学生

だった世代です。 アメリカではベトナム反戦運動に始まるヒッピーの拡がり、

ドイツではバーダーマインホッフの過激な活動、フランスではパリを中心とした

大規模デモ、そして日本では東大闘争から始まり新宿騒乱事件に至る全学連運動の

最盛期でした

各国で対応策は異なりましたが大きな改革のなかったアメリカはその後長い

スタグフレーションを経験し、『レーガン改革』で徹底した市場経済主義を展開

した結果今の状況があります。 サッチャー政権下のイギリスと同じく経済的

には成功したものの社会の格差が広がり不安定になってしまいました

同じく改革のなかった日本は石油ショックとその後のバブル崩壊を経験しました

フランスではド・ゴールが『パルティシパシオン』を唱え30代半ばの文部大臣を

任命し大規模な大学改革を行いました

徹底した市場主義に対するアンチテーゼが『社会主義2.0』であるとすれば

大きな改革をしてこなかった日本で『社会主義国2.0』が出てこないのも当然かも

しれません

また、若者の支持を集められるような魅力的な主張、何かを守るだけという保守

ではなく『何かを作るための改革』という主張がなければ熱狂的な指示は集まらない

でしょう

大学闘争世代の私としては『尖った主張を続けざるを得ない』というところです

働き方改革 その5

前回、働き方改革は「働かせ方改革」だと述べました

もう一歩突っ込んで「なぜ働き方を変えなければならないのか」を考えましょう

究極の目的は「生産性の向上」にありますが、「人はそれぞれの特徴がある」

いうことが前提がなくてはいけません

もし、平等というのが「人は皆同じ」ということであれば生産性の向上は性能、

を高める、つまり「もっと頑張る」ことでしか実現できません。 機械で例えれば

同じような機械が並んでいるのであれば、個々の性能が上がらない限り全体の

生産性は向上しません

しかし、人は「十人十色」でそれぞれの特徴を持っていますので、組み合わせを

変えることで最終結果に大きな差が出てくるのです

共産主義社会でのコルホーズの生産性が上がらなかったことを思い出してください

平等というのは「皆が同じことをやる」ということではありません

「各自がそれぞれの特徴を生かして協力し合う」ということが本当の意味での平等

です

昔、週ごとに生産必要数が変化せざるを得ないある生産工場で次のようなことが

ありました。 通常は1日の生産必要数を勤務時間で配分し時間当たりの生産数を

決めますがこのやり方では週ごと、月ごとに生産スピードに差があり、早まった

時にはきつく感じ遅くなった時にはホッとして不良発生率がかえって高まったり

します

そこで、スピードを一定にして生産必要数が少ない時には「早く帰る」ということを

行いました。 工場長からは「とんでもない、タイムカードはどうするのだ」

人事からは「とんでもない、勤務しないのに給料を払うのか」という文句が来ました

これに対し「早く終われば、工場のエネルギーコストが節約できる」「必要なもの

を作ればいたずらに残っている必要はない」と言って実行してもらいました

最近の言い方では「時間に対してではなく、成果に対して評価する」ということです

結果は、それまでの生産性をはるかに上回るスピードを実現し、改善提案も沢山

出て来ました。 早く帰れることが大きなインセンティブになって皆で協力して

生産性の向上に自主的に取り組んだ結果で、半年で生産性は倍増しました

生産ラインですから一人が頑張っても全体は良くなりませんからチームワークも

改善されました

「働かせ改革」の一例ですが、現在取りざたされている「働き方改革」は単なる

残業削減の掛け声のように聞こえてしまいます

物事の本質を明確に捉え、そのために必要な施策を工夫する、その際常識を打破

することが大切です 

規制、補助金、入札

再び三題噺を考えました

企業の活性化と生産性向上を阻むものは規制、補助金、入札制度です

生産性が低くても存続する、競争原理が働かないといった低位安定状況が長く続く

ことによって企業の革新性が失われてしまい気がついてみたら世界でも収益生産性

が非常に低い社会が出来上がってしまいました

日本企業の従業員一人当たり収益生産性は優良企業でも他国のトップクラスと比較

すると実に10分の一、あるいは20分の一しかありません

これでは新規分野への投資や新規事業へのチャレンジはできません

規制の範囲内で補助金を受けながら入札で同業者と仲良くビジネスを続けていれば

無理に危険を冒す必要もないし、業界の秩序破りという非難を受けなくて済みます

川鉄千葉ぺんぺん草事件、2兆円の借金でボーダフォンを買収したソフトバンク

のような将来を見据えた投資行動がこれからも求められるますし、そのような

経営判断がなされるような経営体制の確立がもっと望まれます

社外取締役制度や監査役の充実といったガバナンス改善が企業の積極性を削ぐような

ことになっては全く逆効果です

欧米の企業も同じようなガバナンス制度がありますが投資活動は積極的で活発です

もともと競争意欲が旺盛な企業に対する客観的な判断基準の導入という目的の

ガバナンス制度は日本のように秩序と安定を求める企業に対しては活用価値が低い

のかもしれません。 むしろ積極性を促すような仕組みを導入するべきではないか

と考えます

例えば入札制度を全て競争入札とし、上位3社とか5社で二次選考を行う、この際

発注側の希望条件(発注目的、期待する投資効果等)に基づいた提案を行い、その後

受発注サイド双方の意見、アイデア交換で費用の削減を図り最終決定する

つまり一般の企業で実施されている購入プロセス時の費用削減の意見交換、条件変更

を入札制度の補完的プロセスとして導入する。 選考過程を事後に公開することで

透明性を確保すると同時に発注側の意図と費用削減の工夫を明らかにして次回以降の

さらなる費用削減につなげる

公的予算の大幅な削減が実現でき、受注企業も提案力が増加し、様々な工夫が採用

される余地が大幅に向上し生産性が増加する

簡単ですが効果の大きい提案だと考えています

カッシーニ土星へ突入

1997年に打ち上げられ2004年に土星周回軌道に投入された探索機カッシーニが

最後の役目として土星に突入しそのミッションを終えました

最後の瞬間のニュースではプロジェクトチームの責任者がインタビューを受けて

いましたが、画面から見る印象では60歳台ではないかと思われます

ここで感じたことは、20年に及ぶプロケクトを交代することなく担当したという

ことで日本のプロジェクトであれば途中で定年のため交代ということになっていた

のではないかということと、かなり若い時にプロジェクトの責任あるポジションに

就いていたということです

打ち上げから20年、計画段階から見ると25年以上の年月が経っているという

ことは、30歳台でスタートしても現在は60歳近い年齢ということになります

日本ではこのようなプロジェクトであれば責任者は若くても40歳台でしょうから

プロジェクト終了時には70歳近くになります。当然定年で最後まで担当できない

ということになります

科学技術の世界では若くて斬新な発想も必要ですが、他方宇宙探索のように長い

時間をかけて研究する分野もありますので、その場合には若手を登用し、最後まで

担当させるという考え方も必要です。そのためには若い人をきちっと評価し

プロジェクトを任せても良いかどうかを決断することが不可欠で、この点で日本の

状況には不安があります

前にも話題にした『時期尚早』が適用されればこのような思い切りができなくなり

活力と同時に成果物も得られなくなってしまいます

『若手に任せると』いうことと『役職定年のように一定の年齢で一線を退く』こと

は同義語ではありません

メリハリをつけた運用が大切です

中小企業の力

先日、ある中小企業の社葬に参列しました。 少しユニークな構成でまず、

アンサンブルの演奏があり、その後喪主の挨拶、さらに故人のビデオメッセージ

が流れ、最後に献花で終了しました

生前に個人とお話をしたことはなかったのですが、ビデオで流された会社の設立

経緯、そして事業や従業員に対する考え方が素晴らしく感銘を受けました

業界内ではそれなりの地位を築いている企業でしょうが、世の中一般には無名の

企業であっても経営哲学や従業員に対する考え方は素晴らしいものでした

このような企業が多くあれば、日本全体の活性化はもっと早く実現できていたと

思うと同時に教育の大切さを痛切に感じました

中国からの復員に始まり、食べるために起業し、90歳を超えるまで現役で活躍した

経緯と考え方を述べていたのですが、大きな時代の変化の中で自分を見失わず

変化するものと変化しないものを見極め、一つの哲学を確立したことが分かりました

世の中に共通して存在する哲学、『こだわり』という言葉で表現していましたが、

そして人に接する時に大事なもの『誠実さと謙虚さ』を常に持つこと

海外の企業との技術提携も短期的でなく長く信頼関係を築くことで強い絆を保つ

ことができたということでした

自分の言葉で自信を持って語っている姿がとても印象的で、不祥事等で記者会見

する際に誰かが書いた原稿を読むだけの大企業のトップとは雲泥の差があると感じ

ました

中小企業であってもこのような企業に多くの人材が集まり、育ち、発展するような

仕組みと社会全体からの尊敬が集まるような環境が整えば、もっと暮らし易い

世の中になると信じます

優柔不断と時期尚早

現実直視の回避という心理状態があるからではないでしょうか

最近の企業決算発表を見ていると大本営発表に通じるものが感じられ、不安な面が

あります。 第三四半期で累計の計画進捗率が100%近いのに期末業績予想を変え

ない、また決算見通しを直前に上方修正するにも拘らず市場からの反応が薄いことに

危機感を覚えるのは私だけでしょうか。 決算数字が出るまで、社内で見込みが

できなかったとしたら社内統治に問題があるのではないでしょうか

物事を決めるときに時期尚早だからもう少し待ってという理由で決断しないことが

あります。 この場合明確な理由が提示されることは少なく、従ってどのような

条件になれば実行できるかがわかりません

結局、そのままお蔵入りということも珍しくないどころか、ほとんどのケースで

そのまま据え置かれしばらくして消え去るということが起っています

言葉を置き換えると優柔不断ということになりますが、語感としては時期尚早の方が

柔らかい雰囲気ですから大きな議論になりにくいと思われます

ビジネスの世界でも社会現象でも現在は猛烈なスピードで変革が起き、しかも

当事者も気がつかないあるいは気が付いたときには手遅れになっているということが

多々あります

このような状況を踏まえると、時期尚早ということであれば少なくとも条件提示を

明確にして何が変化すれば実行できるのかというプロセスを明確にすることが大切

ですし、他の事例、先行者の失敗等を参考にすることも大切です

最近の例で言えば、太陽光発電があります。 散々議論した挙句ようやく実施したの

ですが先行したドイツで電気料金の高騰という失敗がすでに顕在化したにも拘らず

そのまま実行し、そして同じ轍を踏んでいます

最近盛んに言われるようになった在宅勤務、テレワークと横文字になってきています

が、アメリカのIT企業ではオフィスで皆が顔をあわせるスタイルに回帰し始めて

います。 人と人とのコミュニケーションの重要性を再認識した結果ですが、日本

ではこれから普及させようとしています

他者を見習うこと、そのための情報蒐集の大切さ、適確な分析というのはどんな時

でも必要ですが、我々の周りでは少しこのような活動が低下しているように感じ

ます

もっと感性を磨き、謙虚になると同時に決断力を高めることがますます求められます 

サムライジャパンのユニフォーム

今週木曜日、31日は運命のW杯最終予選のオーストラリア戦があり、勝てば6大会

連続の出場が決まり、もし負ければ予選突破がかなり難しくなります

勝敗はともかく、ここ数年気になっていることがあります。 それはユニフォームの

色とデザインです

年々、素材や機能面での進化があるので新しいユニフォームが必要になるので

しょうが毎回色合いが変わっていることが気になっています

サッカーの世界ではセレソンは黄色とブルー、イタリアはアズーレ、濃い青

デンマークは赤、フランスはシャツ・パンツ・ストッキングでトリコロール

そしてアルゼンチンはライトブルーと白の縦シマとどの国も国旗の色を基本にした

組み合わせで基本的に色合いは変わりません。 勿論今回の対戦相手オーストラリア

はワラビー(黄色と緑)となります

そのため、ユニフォームを見ればどのチームがプレーしているのかが一目瞭然ですし

ユニフォームに対する愛着も湧いてきます。 ちなみにどの国もナショナルチームの

ユニフォームは競技種目に関係なく基本的に同一ですから見ただけでどの国の選手

かがわかります

ここ数年の日本チームは微妙にデザインや色合いがW杯ごとに異なり、統一性が

ありません。 ユニフォーム提供会社の陰謀ではないかと思われるような変更は

違和感を覚えますし他国の観客に対するアピールでも損をしているのではないかと

思います

ナショナルチームというのは国を代表して戦うので相手に対してもその存在価値を

認めてもらうことは大切ですから、大会ごとに色合いやデザインが変わってしまう

のは自分たちのアイデンティティーに対する感覚が薄いのではないかと疑われて

しまいますし、ユニフォームの存在感が薄まってしまいます

他の事柄も似たようなことがあるのですが、日本の場合『自分たちの都合』で物事を

考え『他者からどのように見られているか』という視点が欠けているように思われ

ます。 結果的に存在感が薄まり、自らの主張が受け入れられ難いことになって

いるのではないかと感じます

世の中は自分たちだけで存在しているのではなく、あくまでも他者との相互関係の

もとに存在しているということが意識されていないという危惧があります

ビジネスの世界でも同様で自分たちのぶれない主張をどれだけ守れるかということが

大切だと思います 

国民皆保険

アメリカでのオバマケア(ACA)撤廃の動きを見ていると日本の国民保険制度

というのは非常に進んだ制度であることがわかりますが、一方で高齢化に伴う

費用負担も問題になり始めています

ちょっとした風邪でも大病院に行くようになった結果、費用がかかる上に本当に

大病院で治療が必要な患者さんに対するサービスが低下してしまっているのでは

ないかということで、大病院を受診する際の紹介状の義務付けとか、フリーアクセス

の制限や自己負担の増額という議論がなされています

その議論の中で、海外では大病院の受診はかかりつけ医の紹介状が不可欠など

受診制限があるが、日本では患者さんが自由に医療機関を受診できるフリーアクセス

が認められているのが問題だという意見があります

海外がどの国を指すのか不明ですが、イギリスではこれに似たようなことが行われて

います。ただし、受診制限ではなくかかりつけ医(GPと呼ばれる)専門医との

間の役割分担というのが正しい認識です

通常は近所にあり、病歴等のデータが揃っているGPに行き、GPでは処置が困難な

難病や手術あるいは専門的な治療が必要な場合にGPが大病院を紹介するもので

受診制限とは全く趣旨が異なります

そもそも日本ではGPのような制度が存在しないのに『紹介』ということのみ

取り出して議論することは正しい議論ではありません

ちなみにイギリスではGPについても病院での受診、治療についても全て保険で

カバーされています。一方でGPについては経験や判断の良否等によって報酬が

一律ではなく『実力主義』になっていて、医療活動の質に応じて報酬が変動する

インセンティブもあるのです

日本では他国の制度を紹介して類似の制度を作ろうとすることが多いのですが、

そもそも他国の事例をその背景や趣旨、意図を正確に理解しないで、外形的な制度

のみを持ち込むために結局うまく運用できないことがあります

制度設計は、まず何を目指しているのかという本質的なことから議論を始め、運用

や影響を十分に確かめてから作り上げないと効果がないばかりでなく、逆効果に

なることもあります

『追いつき、追い越せ』と言った発想で海外での考え方を導入することも悪くは

ありませんが、そろそろ『現状を把握し、自ら考える』ことが必要です

中島春雄さん

中島さんといってもすぐにピンとくる人はほとんどいないでしょうが8月7日に

亡くなるとBBCCNNを初めとして海外メディアはトップニュースの一つとして

報道し、初期のゴジラは重たくて暑かったというようなエピソードも紹介して

いました

日本では死亡記事欄に簡単な紹介があっただけで、特に記事にはなりませんでした

この差は何なのでしょう

改めて紹介しますと、中島さんは初代ゴジラ役としてぬいぐるみの中で演技をした

役者さんです。 高度成長期前のまだ物資の少ない時代にゴムやプラスチックでは

なく何とコンクリート製で重さは100kgもあったそうです

小生はひょんなきっかけで中島さんと一度直接お目にかかったことがあり、暑くて

重く、さらに前が見えないので演技が大変だったという話も聞きましたし、それが

原因で年を取ってからは腰痛に悩まされましたということでした

さて、何故海外メディアが取り上げたかということです

勿論、映画としてのゴジラの人気もあるのでしょうがぬいぐるみを使った特撮が

世界でもほとんどなく、その独創性、そしてその後の映画界に与えた影響の大きさ

に対して敬意を払ったのではないかと思います

新しいことにチャレンジするということに対して海外ではどれだけ敬意を払って

いるかを如実に表しています

GDPは小さくても、物質的な豊かさはまだなくても、アイデアと進取の気性は

いつでもどこでも可能です。 社会が豊かになるに従ってこのような気概が少なく

なってしまうことは残念です

現象面では街を歩く人のスピードでわかります

ロンドンのシティー、ニューヨークのウォール街では皆、早足で歩いています

最近、兜町界隈はあまり行きませんが、どうでしょうか? 早足で歩いているで

しょうか。 丸の内はどうでしょうか? それほど早足で歩いている光景は

見かけません

物事の評価も世界標準で考えないといけないということがよくわかる記事の扱い

でした