“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

歳を取ると何故一年が早く過ぎるのか

ついこの間正月を迎えたと思ったら、もう12月になり新しい正月を迎えることに

なります

それでは何をしてきたかというと、特に新しいことはないように感じられますが

世の中では元号が変わり、新天皇が即位し、参議院選挙もあり、ワールドカップ

ラグビーでにわかファンが急増し、吉野さんがノーベル賞化学賞を受賞し、また

悲しい事件では京都アニメーションの凄惨な放火事件、たびたび起こる高年齢

運転者の高速道路逆走事故などなど様々なことがあり、春先のことは遠い昔のこと

のように感じられます

実際に起きていることと、自分は何をしたのだろうかというギャップが大きくなり

そのことが自分のことに関しては実際の時間軸よりも短く感じてしまう原因なの

でしょうか

簡単に言えば、一年365日で実行したことが年々少なくなっているということ

なのでしょう

生涯現役という言葉がありますが、現役であれば一年が短いと感じなくなるのかも

しれません

こんなことを考えながら年末の忙しい時期を過ごしているのですが、社会全体として

も皆が生涯現役でいられるようになれば素晴らしいことでしょう

ただ、現役というのは何も『仕事をする』ということに限らず、趣味の世界でも

自分を磨くことでも、ボランティア活動でも何でも良いのではないでしょうか

問題は、そのような場がどれだけ提供されているかということです

それぞれの人が、それぞれの体力や気力や興味の範囲内で自由に選択の幅が得られる

ということが大切になり60歳だからこれ、70歳だからこれといったお仕着せは

いけません

中曽根元首相が101歳で他界されましたが、まさに100歳まで現役で活動していた

ことが元気の源だったのではないでしょうか

ある新聞記者に聞いた話ですが、中曽根さんは若い頃から『そのまま新聞の見出し』

になるような話し方をしていて、インタビューがあると時間をかけて言葉の推敲を

重ねていたそうです

このような思考行動パターンが若さを保つ源だったのでしょう

老齢化社会を嘆く前に、このような生活態度を身につけたいものです

世界で孤立する日本の将来は?

毎年G7会議があり、さらにG20の会議も行われ、日本は当初から主要メンバーと

して参加しています

しかし、最近ではGDPでは中国に抜かれ、世界貿易に占めるシェアでも年々減少が

続いています

あまり新聞には出ませんが一人当たりGDPでは世界で26番目なのです

必ずしもGDPの大きさだけで主要国会議のメンバーが決まっている訳ではありま

せんが、世界の中での存在感は急速に小さくなっています

バブル崩壊前には世界経済を牽引する機関車としての位置付けが明確にあり、世界

経済の課題に対する各国からの期待感も強かったのです

それから徐々に存在感が薄れ始め、何よりも日本発の主張がないことで経済規模

以上に影が薄くなってきています

COP24への無策、石炭火力の増加に無策な一方、IWCから撤退しても捕鯨を進める

明確な意思、このちぐはぐさはどこから来るのでしょうか?

核兵器防止条約にも後ろ向きで、世界で唯一の被爆国であるにも関わらずです

イランでも、紛争が続く中近東でも政権側にとどまらず過激派の中でも

「ヒロシマ」、「ナガサキ」と言うのはとてもレスペクトされているそうです

このような立場を有効に使えば、もっと発言力を高め、高いイメージを保つことが

できるのにもったいない感じがします

もったいないと言えば、ラグビーワールドカプでの日本人観客のマナーの良さは

世界中で話題になりました

個人の力はあるのに、世界の中で政治も経済も存在感が薄れてきてしまったことは

大変残念です

組織になると、目先の利益には甘く、長期かつ複雑なことからは逃げまくる姿勢が

鮮明になってしまうのはリーダーシップの欠如のなせる技なのでしょうか

最近では、ゴーン事件に見られるように司法の特殊性も指摘され始めましたので

政治もビジネスも国際化しているので司法も国際化する必要がありそうです

普段の生活の中でも世界の中の日本を意識する必要がありますが、江戸時代に

世界でも類稀な経験を250年も続けてしまったので意識の変革は難しいのかも

しれません

江戸時代の経験というのは単に『鎖国』というだけでなく『自給自足経済』の

なかで経済成長と文化の興隆を実現したということで、世界でも稀な事例なのです

茹で上がりつつある茹でガエル

今の日本の状況は、ほど良い温度でゆったりと暮らしていたら、既に釜の中で

茹で上がりつつあるカエルのようです

関電、台風、大雨とこれまでに無いことが起き、根本的な解決策を考えなくては

ならない状況なのに何も議論もされず、世論も盛り上がらないのは正に茹で上がった

状況です

人は安きに流れる傾向があり、それ自体は特別非難されることはないのかも

しれませんが、状況判断は必要ですしその結果として警告を発する人が存在するか

どうかはとても大切なことです

安寧な時代に警告を発するのは誰かと言うことです

いつの時代にも、平和な時に好ましくないことを言うのは勇気が入りますし、場合に

よっては非難を浴びることも少なくありません

しかし、古今東西このように警告を発することの重要性を示す格言は多く存在します

古くはノアの方舟伝説も同様で、皆に馬鹿にされながら忠実に予言に従ったノアが

生き残ったと言うのは象徴的なことかもしれません

翻って、今の日本の課題は何なのでしょうか

誰でも承知していることとしては

*人口が減少している

*高齢化社会が急速に進行している

少し深く考察すると

*過去30年間GDPが増加していない

*技術革新力が弱体化し、日本発の新技術・新製品が減少している

さらに深く課題を探ると

*若者の歩くスピードが遅い

*与党支持率が若年層ほど高く、高年齢層ほど低い

これは何を表しているかと言うと、まさに茹で上がりつつあるカエルとなります

一言で言えば

情熱が欠如していると言うことでしょう

ラグビーワールドカップの盛り上がりを見ると情熱がない訳ではなく、情熱を燃やす

対象が見つからないと言うことでしょうが、それは各個人の努力で見付けるべきです 

瓢箪から駒で世界の潮流が変わる

ジョン万次郎が鳥島で救助されたのはアメリカの捕鯨船、この時代には太平洋のみ

ならず日本海側でも捕鯨が行われていましたが、もちろん鯨の肉を採るのではなく

鯨油の採取が目的でしたから、船上で搾油した後鯨肉は海に捨てていました

鯨油は石油が利用され始めても原潜で使われる潤滑油には最後まで鯨油が使われて

いました

通常型潜水艦より遥かに深いところまで潜航できる原潜には極低温でも使用できる

潤滑油が必要で、石油由来の代替品はなかなかできなかったからです

しかし、アメリカで高性能の合成潤滑油が完成した時に、鯨の保護を唱え、冷戦の

相手であるソ連が鯨油を入手できないようにしたのです

米軍やアメリカ政府が直接鯨の保護を訴えるのではなく、環境保護団体に援助する

ことで世界的な動きを作り上げたのです

似たようなことは禁煙にもあります

アメリカから始まった禁煙は、当初の目的は麻薬撲滅が主たる目的でした

マリファナはタバコのように吸えるので、職場や公共の場所でもタバコを吸うように

マリファナを吸うことが始まり、取締りが困難だったのです

そこで、タバコを含めた全面的禁煙活動を始めたのです

もっとも、その後アメリカを始めたとして禁煙は広まったものの、逆にマリファナは

嗜好品として認められるところが増えてしまいました

これらはまさに「瓢箪から駒」と言えるかもしれません

11月9日はベルリンの壁が崩壊した記念日ですが、これもきっかけはちょっとした

誤解からでした

東欧諸国では既に旅行制限の緩和が進んでおり、連日デモが続いていた東独でも

ホーネッカー議長が人気挽回を目指して東欧圏内の旅行の自由化を決めました

そのニュースを聞いた東ベルリンの市民が検問所を訪れ、いつから変更なのかを

問い合わせたところ、政府の担当者が政府の中枢に問い合わせることなく、決定した

なら今から有効と答えたために、多数の市民が西ベルリンへの検問所に押しかけ

守備隊は止めたら暴動になると感じ、通過を認めたために、東欧圏のみならず

西側への通過が既成事実としてしまったのです

元々、このような情報は東独内では流れることはなかったのですが、多くの市民が

西側の放送を聞いていたために起きたことです

やってみないと分からないことも沢山あると言うことですから、なんでも無理と

思わずにチャレンジすることが大切です

大学入試の英語試験を考える

萩生田大臣の失言を契機に急に大学入試英語試験がクローズアップされ、実地直前に

なって突如延期が決定されました

失言がなくても異論のあった制度改革で、そもそも何を目的としているのか全く

理解できない制度でしたから延期見直しには大賛成ですが、制度設計者の責任は

問われるべきでしょう

提案された英語検定は海外で母国語の英語に対する理解度を測るものから日本で

開発され、主として日本人の英語理解度を測るものまで異質なものを並べて

どうやって比較しようとしたのかわかりません

英語的表現を借りれば “Apple to Orange”を比較するようなものですから『専門家』

がどのような判断で導入を決定したのか理解に苦しみます

苦しむといえば、最大の被害者は受験生です

受験生や将来の入学希望者に対してどのようにして謝罪し、今後の理解を求め

そして責任をとるのでしょうか

誰も責任をとらないと言う道筋が見え隠れしますが、責任をとってこそ初めて

謝罪になると言うことを十分に理解してもらいたいものです

最近の世相は責任を曖昧にすることが普通になってしまい、だからこそ軽い発言と

うわべだけの謝罪、皆様にご心配とご迷惑をおかけしましたと言う定例句、では

これからも同じようなことが続き、長い間に世の中のタガが外れてしまうでしょう

国民は怒ることにも疲れてしまったのかもしれませんが、怒りを鼓舞する役割は

マスコミではないかと考えます 

ポリティカルシミュレーション

かつてのホワイトハウスでは政策決定の前に様々なシミュレーションを行い戦略を

立案していました

米中関係で言えば、ある政策の立案について検討する場合、どのような反応が

あるかを中国の専門家が示し、その影響を検討しながら複数の選択肢を対案として

考慮してそれぞれの予測結果を検討してから政策を実行していました

そのために政治家のみならず、数学者や心理学者など多様な専門家が集まった

チームを編成し、このようなテクニックが一般社会にも広まっていったのです

しかし、最近のホワイトハウスの政策はこのようなプロセスを経てきたとは

考えられず、むしろ北朝鮮の方が上手ではないかと見られる場面が多くあります

日本の官邸でこのようなシミュレーションをしているのかどうかは不明ですが

あまりなされていないように思えます

官邸のスタッフは各省庁からの寄せ集めで省益を超えた、あるいは省の権限範囲を

超えるような活動はしないからです

最近の台風に対する対策でも総合的な施策が見えないのはこのためでしょう

このように日米とも政策が成り行きまかせとなり、大変危険な状況になりつつ

あります

このように漂流する世界情勢はますます昭和初期に似てきたように見えます

仮想敵国ロシアに対する防衛線としての中国東北部(満州)の権益にこだわり

結果的に対中関係が悪化してしまい、中国に対する肩入れで欧米の対日関係が

悪化し、最終的に対米戦争に突入してしまいました

今では仮想敵国の概念は国民の間では共有されていませんが、対中、対韓感情の

悪化には恐ろしさを感じます

今こそ、国民そのものが冷静になり、大人の対応をすることで危機を未然に防ぐ

ことが大切です

ラグビーワールドカップ

サッカー人気から遠く離れ、開催直前までほとんど街中の話題にならなかった

ラグビーのワールドカップですが、日本の活躍で一気に話題のトップになり

多くの「にわかファン」ができました

若い女性もルールを知らなくても競技場やパブリックビューイングの場に

ユニフォーム姿で観戦し、興奮し、感動していました

スポーツの素晴らしさだと思います

一方で、TVインタビューでも「日本チームといっても外人ばかり」と言う

意見も少なからずありました

同様のことは相撲の世界でもかなり昔から言われ「日本人横綱」とか

「日本人大関」が話題になっていました

私の知り合いでも、相撲はモンゴル人ばかりだから見にゆかないと言う人が

高年齢層の方々に多くあります

しかし、これだけラグビーでの躍進があり、外国出身と言っても皆綺麗な

日本語を話し、多分メンタリティーは日本人以上に日本人らしいかも

しれません

このようなことが様々な場面で起き、スポーツに限らずビジネスの世界でも

文化の世界でも「日本に住み、自分は日本人だと思っている人が」増えること

そして若い人が違和感なく多様性を受容することで徐々に状況が変化する

ことを期待しています

唯一、気になるのが政治家の後進性です

本来積極的に国の方向を示すべき政治家が最も遅れていることが、政治不審

につながっているのではないでしょうか

J.ナイ教授の唱える『ソフトパワーを強くする』ことがこれからの日本の

将来を決めるのではないでしょうか 

何故、企業に余剰資金があるのか

金利を下げても景気が回復しないのは、そもそも資金需要が少ないからです

それでは何故資金需要が少ないかといえば二つのことが考えらえます

まず、企業は余剰資金、いわゆる未処分利益、を抱え込んでいること

二つ目は投資先がないということ

戦後長く続いた景気拡大局面では常に資金不足状態にあったので、金利が

低下して借りやすくなると各企業とも借り入れを増やし、投資を実行し

その結果売上が増大し利益を享受し、借入金を返済しつつ、更なる資金で

企業活動拡大のための投資を実行しました

ところが韓国、そして中国の台頭で輸出産業を中心とした製造業に大きな

構造変化が起き、安価=>安価で高品質=>新技術による新製品というサイクルが

回らなくなりましたが、企業戦略も政府の政策も旧態依然とした戦後成長期

の戦略のままですから、世界の動きに対処できていません

ようやく企業買収によって世界規模の競争に参加し始めましたが、グローバル

な企業統治のノウハウがないまま十分な効果を表さないどころか、場合に

よっては重荷になってしまっています

グローバルな視点で企業戦略を考える人材が日本企業内では十分活躍できて

いないということです

その結果、円安と過去の遺産で収益は確保しているものの、余剰資金を

投資する戦略が不在のまま資金を積み上げている状況です

これでは景気は良くならないばかりか世界の潮流から取り残されてしまいます

グローバルに活躍できる人材の思い切った登用と、改善でなく改革を実施

する勇気と、それらを後押しする政策が必要です 

道徳教育は必要だ

今回の関電の事件とその顛末、特に記者会見を見て道義的な責任ということが

欠落していて、それが違和感の原因になってます

まさにAccountability=結果責任そのものです

武士道を賛美するつもりはありませんが、強い倫理観に裏付けされた「芯の

通った精神」が感じられ、明治・大正時代にはそれらが色濃く残っていて法律

を超えた「戒律」のようなものとして社会の中でも認知され、守られていた

ように感じます

ところが最近の風潮は、法律違反をしていなければ責任はないといったことで

道義的責任という言葉も聞きません

特に政治家、官僚、官僚的な一部大会社では全く感じられませんが、不思議な

ことにこのような人にかぎって「道徳教育の必要性」を声高に叫んでいる

のです

もっとも、辞めない理由が辞められないからという事も考えられます

半官半民企業を含めて官僚の世界には、退職後の天下りルートが決まっている

ので途中退職すると、メリーゴーラウンドがうまく回らなくなってしまう

です

だからこそ、岩盤規制を排除するためにもトップダウンで監督官庁からの強力

な指導が必要になります

そうすると当該の監督官庁担当者もメリーゴーラウンドから外されてしまう

ので実行できないのです

新渡戸稲造の「武士道」精神はどこへいってしまったのでしょうか

日本の良さの一つだと思いますので、このような観点から敢えて「道徳教育の

充実」を挙げてみました

小・中学生ではなく、まずは政治家・上級公務員試験を通った官僚に対して

行なってはどうでしょうか

ノブレスオブリージェという言葉は死語になってしまいましたが

授業の最後に切腹の作法も教えてみたらよいでしょう

責任と結果責任

Responsibility『責任』は組織として誰に判断や決定の責任があるかということ

Accountabilityは『説明責任』と訳されていますが、これは誤訳で本当は『結果責任』

とすべきでしょう

つまり組織上の責任権限にかかわらず、『起きてしまったことに対して誰かが責任を

取らなければならない』とうことです

東電の福島原発の事故について地裁の判断が出て、無罪ということになりました

2011年以前に地鎮研究者を除いて大多数の国民は貞観地鎮のことも知りませんし、

これだけの津波が800年後に起こるとは想像していませんでした

地震発生後には1000年単位で天変地異が起きるという認識になりましたが、東北地震

発生前にはそのような認識は共有されていなかったといって良いでしょう

このような観点から見ると責任(法律上の運営責任)の観点からは無罪という判断も

あり得ることです

しかし、Accountability=結果責任という意味では誰かが責任を取る必要があります

必ずしも刑法犯である必要はありませんが、社会的な制裁、社会的な補償は当然に

求められます

東電のみならず、県や国の責任も重大ですが議論は広がっていません

却って行政は東電に責任を押し付けているようにも見えますが、基本的に半官半民の

組織で国の原子力行政に基づいて事業を行なっていたのですから国にも結果責任が

あります

しかし、誰も言及していませんし、責任も取っていません

法的責任ではなく、Accountabilityにもっと注目すべきで、これによって将来に

対する改善がなされるのではないでしょうか 

携帯料金と災害とどちらが大切?

千葉を襲った台風15号による大規模長期停電は最近にない被害で、電気が止まる

ことで水も出ず、通信もできずと大きな被害になりましたが、国や県の初動が

遅かったことは見逃せません

台風一過をTVで見ただけでも送電線の大きな鉄塔が倒れたり素人目にも復旧は

大変という印象でしたが、国が体制を作ったのが4日後、官房長官は遅くはなかった

と強弁していますが、被害を受けた方々はどのように感じたのでしょうか

一方で携帯の料金については大手携帯会社がプランを発表するたびにコメントを

出し規制を強化し、まるで市場原理はないが如くに社会主義国並みの指導を繰り返し

ています

前述の災害救援は内閣改造と重なっていたことがどの程度影響されたのかと

疑わしく感じます

政治は人気取りでなく、十年先を見越した政策と緊急時の素早い対応です

これができていないにも関わらず、内閣支持率が高いことは主権者である国民にも

責任があるといえます

みんなで真剣に将来のことを考える必要がありそうです 

いつまで札束の上に寝ていられるのか?

世界中の金融緩和で札束は舞っているが実需に基づく投資があるのか疑問です

7年前のアベノミクスの時にもコメントしましたが、本丸はやはり生産性の

改善ですが、こちらは全く進んでいません

これに対してアメリカも金融緩和が続いていますが、実際の投資も行われて

おり、また相変わらずベンチャーの企業は継続しておりその中から多くの

ユニコーン企業が誕生していますので日本とは大分様子が異なります

振り返れば1990年代にハドソン研究所がWorkforce 2000という論文を発表し

その中で、技術の進歩、アメリカの人口構成の変化、アジア企業の世界進出を

見越して、アメリカはIT産業へのシフトを大胆に進めるべきである

そのために市民大学や職業訓練校を含めて第二次産業から第三次産業への

大胆な変革を担う人材の再教育に積極的に投資すべきだというのが提言内容で

実際アメリカ政府はそのための投資と積極的な職種転換を進めた結果が

今になって成果を挙げているのです

それから20年してその効果が経済に現れています

それでは日本版 Workforce 2000 はできるのでしょうか?

このような基本ポリシーが欠如したままでの金融緩和は単に札束のベッドを

提供しているようなもので将来に対する期待感はゼロです

現金が動かせる一部の人間が株式投資と不動産投資で利益を享受している

のですがこの夢はいつか崩れるのは必至です

192910月は再来するのでしょうか

魔女はいたのか?

何を馬鹿なことをと思うでしょうが、現代の魔女狩りは本当にないので

しょうか

魔女の話は中世にキリスト教が世俗世界も支配していた時代背景で考え

なければなりません

現代のイスラム教による政教一致体制や宗教優位の国家運営と同じ状況だと

考えると少しわかりやすくなるかもしれません

政教分離は近代になってから西欧で確立した思想で、それまではローマ教皇が

各国の国王も実施的に支配していた時代で、これに反発したのが宗教革命で

あり、絶対王政でした

きっかけは宗教に名を借りた世俗的な支配と教会内部の腐敗等が原因で

宗教改革が起こり、ローマ教皇の力が弱まったことで国王が絶対王政を

確立し始めたのです

政教一致時代の最後に魔女が出現していることに注目してみましょう

もちろんこの時代でも魔女は存在しないと考えている人が多かったと考え

られますが多くの人の意識の中に魔女は存在していたのではないでしょうか

それは、異端や服従しない人々等を意識的に排除するための道具でもあったし

存在を信じない人にも暗黙の服従を強いて支配の道具として使われていました

現代に通じることは何でしょうか

魔女という言葉は使いませんが、暗黙の服従を強いるための手段としては

似たようなことが現代でも起きています

体制に従わない人々にレッテルを貼ることで、少数意見を封じ込める

やり方で、独裁国家に多くみられる現象です

効率の観点から見れば、民主主義というのは非常に手間とコストのかかる

方法ですが、多くの意見が表明され、結果的に少数意見が一定程度保証される

システムです

我々の判断基準はコストと効率のみの追求か少数意見に耳を傾けより良い

方策を模索することなのか一人一人が考える必要があります

自分たちの心の中に『魔女』がいないかどうか確かめてみる必要があります

マネジメントとは

管理と訳すから硬いイメージとなりますが、実際には暖かなものです

マネジメントとは複雑な連立方程式を解くようなもので多面的な要求を理解し

最大公約数的な解を見つけ、関係者全員の同意を取り付けるプロセスということ

になりますので、対人関係が最も重要なポイントになります

ものごとの本質を理解し、あるべき姿の提示と複雑な利害を調整し説得する能力で

MBAスクールで教えるのは正にこのことですが、日本ではせっかくの能力を発揮する

場所がないのが実情です

企業も官公庁もMBAを使いこなせないのは基本的なコンセプトを理解していない

からでもったいない限りですし、成長の止まったように見える日本の経済環境でも

まだまだ伸びしろがあるということです

世の中で決断しなければならない場合、ほとんどの事は51vs49.いや50.5vs49.5

かも知れないのに、最近の風潮はイチかゼロというように単純化されてしまっています

現代の複雑で利害の絡まった世界ではイチかゼロのように単縦な解答はありません

米中貿易摩擦もトランプ大統領がいうような単純なものではありません

現代の経済は企業が国境を超えて最適解を見つけているので、国単位で見た場合

多国間で利害は複雑に絡み合っていますので関税を上げるような単純な図式では

なくなっているのです

イチゼロの議論では話し合いは始まりませんし、少数派が声を上げることもなくなり

柔軟性を失った国が自滅の道を歩み始めることになってしまいます

イチかゼロの社会には民主主義が育たないことを認識すべきですし、冷静な分析と

緻密な議論が求められます 

内定辞退率を購入? 販売?

報道では個人情報保護法の観点から学生個人に対しての説明が不明瞭な部分が

あったということですがこの説明には非常に違和感があリますし、あまりに

表面的です

情報提供側の過去類似事例に基づく予測ないし確率の提供であって、本人の意思を

確かめたものではありません

これは企業にとっては採用判断の放棄に他なりません

企業は自己責任で判断すべきであり、採用担当者はそのための実力を養成すべきで

あって人間を確率で論じるという姿勢そのものが社員をどう見ているかを表して

います

内定辞退が多いのであれば、企業が十分に魅力を伝えられていないということで

安易に統計的類推での数合わせ的な方策に頼るべきではないと感じます

採用は本人が当該企業で実力を発揮できるのかどうかを見極めることであって

確率論ではありません

金を払って、統計データを買っているようではノーベル賞並みの発明や

画期的な商品開発をしてくれる人を惹きつけることはできないでしょうし

そのことに気づくべきではないでしょうか

この情報を購入していた企業は一様に『採用判断には使っていない』と

言っていますが、それでは何に利用しようとしていたのかという説明責任

あります

AIITだとやたら計算ロジックに頼る時代になりましたが、人間の魅力は

もっと違うことにあります

要するに採用担当者の自信のなさの表れではないでしょうか

辞退どころか、断るのに苦労するような魅力のある職場を作ることが先決で

テクニックに走り、本質を忘れているような企業がグローバルな競争に

勝てるとは思えません

大企業の安定した職場を求める学生を何百人集めても魅力のある企業には

ならないことを肝に銘ずべきではないでしょうか

このような本質論でなく、個人情報保護という形式論で議論がなされ、メディアも

追求しないことに現代の課題が明確に出ているのではないでしょうか

学生こそ、声を上げて両方の企業を非難すべきです

終戦の日を迎えて

本当は『敗戦の日』と呼ぶべきなのに『終戦の日』と言い、また負けた日を

記念するというのも世界中で珍しい現象です

実は国民の大部分が敗戦を覚悟し、且つ待ち望んでいたため『ホッとした』

というのが真実なのかもしれません

戦時中の報道管制にも関わらず、国民は戦争の帰趨を感じていたということで

ある意味では健全な意識だったのかもしれません

このような状態でギリギリまで本土決戦を主張し、あわやクーデターという

状況は何だったのでしょうか

軍人たちが状況を読み違えていたわけではなく、『面子』を保つため

本土決戦だったとしたらこれほどの悲劇はありません

その後、政府関係者や陸海軍幹部から『国民に対するお詫び』が無いことが

不思議でなりません

ポツダム宣言を当初期限であった731日までに受諾していれば、広島・長崎

の原爆投下もソ連軍の対日参戦とそれに続くシベリヤ抑留もありません

でした

たった2週間の判断の遅れが何十万人の犠牲を伴ってしまったという意味で

国民に対する謝罪があってしかるべきですが、聞いたことがありません

この様な精神構造は最近の日韓の緊張にも出ているのではないでしょうか

まるで子供の喧嘩の様に落としどころのない意地の張り合いからは何も

建設的な解決の方策は出てきません

東洋の国は『面子』を大切にすることが多いですが、意地の張り合いからは

建設的な道筋が見えないのも経験が教えるところです

戦争中にあったことは事実は事実として謝罪すべきではないでしょか

しかし、真犯人を探すことは無意味なことですし、ある意味では国民全体の

責任なのでしょう

『国』としての公式な意思を国内にも、海外にも表明することで区切りを

つけ、未来に向かって前進すべき時ではないでしょうか

英語教育の重要性

日本の英語教育に対する見直しが始まっており、小学校から英語教育をという

流れになっていますが、根本的な発想が違うのではないかと感じます

明治大正までの海外からの情報取得を目的とした文法と読解力重視から未だに

抜け出せていません

現代ではSNSを含めた情報発信、会話での意見交換が最も重要になっています

ので、文法より聴く力。話す力が大切です

私の好きなカントリー音楽ではShe don’t cryという表現は普通で、文法的

に正しい『She doesn’t cry』とは言いません

このような慣用的な話し方やリズム、イントネーションが重要で、リズムが

悪いと文法的に正しくても全く言葉が通じないことがあります

残念ながら日本の英語教育は相手に通じる英語よりも一人でじっくり読む

ことに力点をお置いてきたので、学校でもネイティブではない先生が教えて

いますのでリズムやイントネーションをつかむことは困難です

スピードラーニングの活用を考えても良いのかもしれません

もっとも、話す内容がなければ外国語のみならず、日本語でも会話は成立

しません

まずはディベートの機会を増やし、自分の意見をしっかり持ちそれを表現

することの練習が重要ではないでしょうか

選挙年齢が18歳に下がった時、投票のやり方(つまりテクニック)を教える

ような教育がありましたが、本来はA君とBさんが異なる意見を持っている時

どちらに投票するのか、その時の判断材料は何か、事前にどのような質問を

A,B両君にするのかという考え方を教えるのがことが本当の教育なのです

A君は『皆におまんじゅうを配り、お小遣いを千円あげますが、基本方針は

自分の考えに従ってもらいます』

Bさんは『みなさんから百円ずつもらいますが、みなさんの希望が実現

できるように話し合いを十分して基本方針を決めます』と言っている時

何を基準にするのか、自分の信条と差異があるのかを確かめることが必要です

『人間は考える葦』という言葉がありましたが、今の日本ではほとんど死語

になってしまったようです 

常識はずれの発想に突破口はある

『有志連合』という聴き慣れて、少し危うい感じのする話題が新聞に踊って

います

ホルムズ海峡の安全確保という名目ですがうまくできるのでしょうか

一歩下がって見てみるとアメリカも即座に呼応したイギリスもホルムズ海峡

からは遠く離れた国ですが、一方で古くから湾岸地域の石油利権で潤った

国でもあります

この海峡は湾岸諸国とイランが近隣諸国であり、またこれらの国にとって

石油は重要な資源です

このように考えると日本は友好関係を保っているイランに対しホルムズ海峡の

安全確保を依頼するという考え方ができます

イランにとっても拒否すればアメリカの主張するようにこの地域の脅威だ

ということになり、また賛成すれば革命防衛隊をはじめとする跳ね上がり

分子を抑圧せざるを得ません

結果的に軍事力なしで安全確保ができます

もう一つ、日本はこの海上ルートに大きく依存している中国や韓国、インド

にも声をかけ共同で働きかけることで日中、日韓の話し合いの糸口にも

なります

中国にとっても一帯一路構想でこの地域は重要な拠点になります

ヨーロッパ諸国も反対する理由がありませんし、これらをきっかけに

イラン核合意の再構築を図ればより安全性は増し、日本は外交上の得点を得

イランは石油の再輸出ができるようになります

実現には大きなハードルがありますが、半世紀前に日章丸が国営化した

イラン原油を買い付けることで大きな役割を果たし、またイランの日本に

対する友好的な絆の端緒にもなったという前例があります

この時は反対したのはアメリカではなくイギリスを中心とした石油メジャー

でしたが、結果的には成功したのです

日本外交の独自性を発揮する良い機会ではないでしょうか

日本企業はどこで間違ったのか その2

産業政策という点から見ると日本の現実を把握し、最適の戦略を立てることが

重要ですが、戦後の発展期とそれに続く『追いつき、追い越せ』の発想から

転換できなかった点がポイントとなります

現実は常に変化し、国内の状況だけでなく外国の状況にも大きく左右されるので

常に情報を取得し先読みをすることが大切となりますが、日本語訳された情報で判断

すると、翻訳分だけ遅くなり、また全く新しい考え方や理論は翻訳されないという

課題にも直面します

一方で企業側も組織が大きくなるほど動きが遅くなるのは巨大タンカーとレジャー用

モーターボートとの違いを見れば明らかなように、舵を切っても俊敏な動きは

できません

動きが遅くなること自体は自然のことなのでどの程度変わるのかを認識することが

大事になりますが、時間をかけて少しずつ変化したことはなかなか気がつき難い

ものです

もちろん早く動ける組織を作る努力は必要になりますが、むしろ周囲の変化と

自己の変貌をどうやって把握するかが最も大切なこととなります

この点で企業努力が足りなかったのではないか、現状の成功に安心してしまったと

いうことが無いのでしょうか

『茹でガエル』現象という言葉もあるとおり、よほど注意しないと変化を見過ごして

しまいます

IT産業もAIのような最新の動向もあっという間に古くなってしまう可能性があるので

最先端の変化に対する感覚を研ぎ澄ますことがますます重要になります

最近は安定を求める風潮が強くなっていますが、今は逆に変化を求める必要

あるように感じられます 

日本企業はどこで間違ったのか

産業政策というより企業戦略の間違いということになります

地球規模での変化を捉えられずに、国内での競争関係から得られた戦略に

拘ってしまったとも言えます

一つの例をソニーにとりましょう

ソニーは戦後にできた会社で、製品のユニークさ、高い品質とデザインで

他社と比較して1〜2割高くても利益を確保しながら成長してきました

狙いはマーケットシェアではなく市場の上位5%を顧客層としてきたからです

最近の例で言えばJR九州の『ななつ星列車』のようなもので、シェアでは

なく内容で勝負、列車本数は限られますのでそれほど多くの顧客は必要

ありませんが高価格は維持できます

ソニーに話を戻すと、ある時点からシェアを意識するようになり価格競争

巻き込まれてしまい、利益が取れずに徐々にジリ貧になってしまったのです

過去にはカシオとシャープの激しい価格競争を見て電卓から撤退したのとは

相当に違った経営判断でした

新しい商品カテゴリーを開発し、開発者利益を得た後は市場のトップ5%を

狙った戦略に特化して利益を確保、その間に次の新商品カテゴリーを開発する

という流れから逸脱したところからおかしくなりました

台湾、韓国、中国企業との価格競争では勝てません

特にデジタル製品は中心となるICチップと基幹部品を使えば性能差はほとんど

ありませんのでどうしても価格競争になり、ボリュームゾーンでの品質競争は

難しくなります

デジタル化が進んだ1990年代はじめの時点で戦略転換すべきでした

先週書いた過去の税収最大であった1990年と一致します

アップルはMacから始まりiPod,iPhoneそしてiTuneと新しいカテゴリーを作り

技術的には最高ではなくともデザインと品質の高さで高価格を維持しています

半導体の世界でもIntelはロジックICに特化し独占的な地位を築きましたが

東芝をはじめとした日本勢は価格競争に巻き込まれてしまったメモリーに

しがみついた結果その地位を失いました

企業戦略の差は明らかです

大きな地図を見られる企業トップの出現が望まれます