大学入試の英語試験を考える
萩生田大臣の失言を契機に急に大学入試英語試験がクローズアップされ、実地直前に
なって突如延期が決定されました
失言がなくても異論のあった制度改革で、そもそも何を目的としているのか全く
理解できない制度でしたから延期見直しには大賛成ですが、制度設計者の責任は
問われるべきでしょう
提案された英語検定は海外で母国語の英語に対する理解度を測るものから日本で
開発され、主として日本人の英語理解度を測るものまで異質なものを並べて
どうやって比較しようとしたのかわかりません
英語的表現を借りれば “Apple to Orange”を比較するようなものですから『専門家』
がどのような判断で導入を決定したのか理解に苦しみます
苦しむといえば、最大の被害者は受験生です
受験生や将来の入学希望者に対してどのようにして謝罪し、今後の理解を求め
そして責任をとるのでしょうか
誰も責任をとらないと言う道筋が見え隠れしますが、責任をとってこそ初めて
謝罪になると言うことを十分に理解してもらいたいものです
最近の世相は責任を曖昧にすることが普通になってしまい、だからこそ軽い発言と
うわべだけの謝罪、皆様にご心配とご迷惑をおかけしましたと言う定例句、では
これからも同じようなことが続き、長い間に世の中のタガが外れてしまうでしょう
国民は怒ることにも疲れてしまったのかもしれませんが、怒りを鼓舞する役割は
マスコミではないかと考えます