道徳教育は必要だ
今回の関電の事件とその顛末、特に記者会見を見て道義的な責任ということが
欠落していて、それが違和感の原因になってます
まさにAccountability=結果責任そのものです
武士道を賛美するつもりはありませんが、強い倫理観に裏付けされた「芯の
通った精神」が感じられ、明治・大正時代にはそれらが色濃く残っていて法律
を超えた「戒律」のようなものとして社会の中でも認知され、守られていた
ように感じます
ところが最近の風潮は、法律違反をしていなければ責任はないといったことで
道義的責任という言葉も聞きません
特に政治家、官僚、官僚的な一部大会社では全く感じられませんが、不思議な
ことにこのような人にかぎって「道徳教育の必要性」を声高に叫んでいる
のです
もっとも、辞めない理由が辞められないからという事も考えられます
半官半民企業を含めて官僚の世界には、退職後の天下りルートが決まっている
ので途中退職すると、メリーゴーラウンドがうまく回らなくなってしまうの
です
だからこそ、岩盤規制を排除するためにもトップダウンで監督官庁からの強力
な指導が必要になります
そうすると当該の監督官庁担当者もメリーゴーラウンドから外されてしまう
ので実行できないのです
新渡戸稲造の「武士道」精神はどこへいってしまったのでしょうか
日本の良さの一つだと思いますので、このような観点から敢えて「道徳教育の
充実」を挙げてみました
小・中学生ではなく、まずは政治家・上級公務員試験を通った官僚に対して
行なってはどうでしょうか
ノブレスオブリージェという言葉は死語になってしまいましたが
授業の最後に切腹の作法も教えてみたらよいでしょう