その220        2019/8/12に掲載

終戦の日を迎えて


本当は『敗戦の日』と呼ぶべきなのに『終戦の日』と言い、また負けた日を

記念するというのも世界中で珍しい現象です


実は国民の大部分が敗戦を覚悟し、且つ待ち望んでいたため『ホッとした』

というのが真実なのかもしれません


戦時中の報道管制にも関わらず、国民は戦争の帰趨を感じていたということで

ある意味では健全な意識だったのかもしれません


このような状態でギリギリまで本土決戦を主張し、あわやクーデターという

状況は何だったのでしょうか

軍人たちが状況を読み違えていたわけではなく、『面子』を保つため

本土決戦だったとしたらこれほどの悲劇はありません


その後、政府関係者や陸海軍幹部から『国民に対するお詫び』が無いことが

不思議でなりません


ポツダム宣言を当初期限であった731日までに受諾していれば、広島・長崎

の原爆投下もソ連軍の対日参戦とそれに続くシベリヤ抑留もありません

でした


たった2週間の判断の遅れが何十万人の犠牲を伴ってしまったという意味で

国民に対する謝罪があってしかるべきですが、聞いたことがありません


この様な精神構造は最近の日韓の緊張にも出ているのではないでしょうか

まるで子供の喧嘩の様に落としどころのない意地の張り合いからは何も

建設的な解決の方策は出てきません


東洋の国は『面子』を大切にすることが多いですが、意地の張り合いからは

建設的な道筋が見えないのも経験が教えるところです


戦争中にあったことは事実は事実として謝罪すべきではないでしょか

しかし、真犯人を探すことは無意味なことですし、ある意味では国民全体の

責任なのでしょう


『国』としての公式な意思を国内にも、海外にも表明することで区切りを

つけ、未来に向かって前進すべき時ではないでしょうか