三題噺 英米法とお上と忖度
新入管法を始めとした最近の法律を見ると、法律としての体裁が整っているのか
不安になることがあります
もともと、日本の法律は定義が曖昧で『xxx等』という表現が多く、『等』の
詳細については『省令』や『通達』で決めているので、実質的な抜け穴あるいは
拡大解釈の温床になっています
日本の法体系が所謂『英米法』であれば、ゆるい法律と判例で解釈を定着化するの
ですが、日本ではこのような裁判はほとんどありません。判例を求める裁判では
勝ち負けもさることながら法律の解釈を確認して定着させることがもう一つの大きな
目的ですが、日本では裁判は勝たなければならないという意識が強く、曖昧な案件は
裁判よりも示談、裁判官も判例を示すよりは示談を勧告し、自らの立場を強く主張
しないことを望みます
大陸法であれば法律に詳細な記述と定義があり、この段階で明確な定義をしています
現状では英米法的なゆるい法律と判例が無い世界になり、ここに忖度が入り込む
余地があるのです
更に、いにしえからの『お上』意識が加わると、議論より丸く収めることが重要で
またまた忖度が入ってくることになり責任も不明確です
それでもつい最近までは行政がそれなりに機能していて、極端なブレはなかった
のですが、『官邸主導』となってから各省庁の力が削がれ、どこで何が決まっている
のかわからなくなり『忖度満開』状態になってしまいました
民主主義も法体系も社会の在り方の中で存在するもので外形的に移入してもうまく
運用できないどころか、思いもよらないところに弊害が生じてしまいます
社会体制や意識を変えることは至難の技ですからせめて法律や行政の仕組みだけでも
我々の社会に適したものを作り上げてゆく努力が必要です
会社の運営も同様で、海外の『社外取締役』や『委員会制度』を導入しても『魂』が
なければうまく運用できませんし、会社規模に関わらず会社組織の在り方や会計基準
が会社の都合で選択可能な状態ではまともな比較もできず健全ではありません