柔らかい個人主義の誕生を読む その3
『何か面白いことないか』
というのは自己目的を探している証拠ですが、残念ながら簡単には見つかり
ません
70年代までのように人生の目標が明白であったときは生産性を高めることが
最優先されましたが、効率的な生き方から解放されると同時に如何にして
時間を消費するかが目標となってきます
目標に向かって進むのではなく,目標を見つける過程が大切になります
茶の湯,クルージングなどに一つの回答があります
消費は情報発信でもあります,だから消費をすることで個人の生きる目的が
明瞭になって来るのですが多くの人は消費が情報発信だとは考えていません
一方で70年代までと異なり国や組織に共通の目標は失われ各自で異なる目標を
持つようになりますので、国や会社といった組織は構成員を繋ぎ止める手段が
これまで以上に必要になってきます
最近のリモートワークやギグワークといったこともコロナ禍によるものでは
なく必然なのかもしれません
組織が共通の目標を共有していた時代と異なり現代の自由の前提は自分が
何を欲しているかを完全に知っていることなので,教育もそれに沿って行われ
るべきですが、相変わらず知識偏重すなわち共通の目標を覚えることから
進歩していません
ものを消耗する欲望には限界がありますがものを蓄積する欲望には限界がない
のでプロテスタンテイズムの禁欲的な生産至上主義によって金銭を含むものの
蓄積は進みましたが、このような前提が崩れると消費した結果としての他人の
目標を情報として得ることが必要になってきます
しかし消費には限界がありますので個人が目標設定するための情報の発信も
限界があり一層目標の設定が難しくなります
このように自我の確立は他人があって可能になるのですがその自我は他人に
対して誇示したり主張したりするときには力を失ってしまいます
自分でも気づいていないように見えるとき,強い説得力を持つようになります
ソフトパワーとはこのようなもので『スタイル』と称しても良いでしょう
それでは日本のスタイルとは何でしょうか
(次回に続く)