“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

小さくなる地球

いまやどの企業も常に地球規模での活動を考えていますが、個人の日常経済活動や国の経済政策もグローバルな面での影響を考慮せざるを得ないようになり、経済面での国境という概念はますます小さくなってきています。

小さくならない地球

しかしながら、経済には固定的な側面もあります。 例えば固定的な財の一例として土地があります。  農業のように基本的な生産財が土地で成り立っている場合、物理的に移動することは不可能ですから、国境を越えるということのみでなく国内においても地域を越えて移動することはできません。 経済的にみると、土地は動かせないので収穫物を移動させることで実質的な土地の流動化を図っていますが、これも冷凍技術や同一の作物を作れるという農業技術によるところがあり、ごく最近になって可能になりました。 しかし、土地が違えば、味や色、風味といった微妙ではあるが、食品にとっては重要な要素の違いを克服できないために一定の範囲内での二重価格が成立することになります。 例えば生産地を明確化することにより同じネギでも国内産と海外生産品とは価格差が生じ、最終的には消費者が選択をすることにより重要と供給のバランスが取れることになりますので、競争条件が複雑になったともいえます。 価格のほか海外まで含めた生産時期の調整と品質、かたちや色合いといった要素で競争をする必要が出てきました。 新生産地は基本的に価格戦略を取りますので(安いことを最大の売り物とする)、従来からの生産地は対抗上品質面の向上によって対抗する必要が出てきます。 しかし高品質、高価格ということになれば出荷数は減少することになります。 また、季節感が消滅するということによっても影響が出てきます。 トマトも海外で生産すれば日本の冬でも供給可能となり、消費者ニーズが変化する可能性が高くなります。  本来移動できない土地をあたかも動かしたかのように扱うために、これまでとは異質の対策を講じる必要性が生まれます。
土地のほかにも、人口構成や社会構造、歴史的な文化、伝統といった様々な要素については必ずしも世界共通になるものではなく、その国や地域の特徴として経済活動の基礎的な部分を規定しています。

グローバル化のみが解答ではない

さて、このように経済活動には国境を越えてグローバルに共通な部分とその国や地域に密接に結びついた部分がありますので、すべてをひとくくりにして議論することはできません。 いわゆる経営論と称するものや戦略と称するものにはこの差異を無視してあたかも全世界が同一であるかのごとき議論、あるいは全世界が同一とならなければならないという議論がありますが、やはり最終的にはそれぞれの社会状態にあったかたちに修正を加えて初めて成果が現れるのではないかと思います。 いってみればこれも競争のひとつで、理論化された戦略をいかに速くしかも適切なかたちで自らの組織に導入できるかということになります。 このためにはそれぞれの組織においては何が自分達の特徴であり長所であるのかという明確な認識ができていることが必要です。

 strong>現実を正視しよう

戦後の日本においても様々な経済理論、経営理論が紹介され、導入されてきましたがそれらが本当に定着したのかという疑問と、これだけ長い歴史と商習慣を積み重ねて来た日本において既に相当程度に洗練された経済の運営や経営のやり方があるのではないかという期待感があります。  実務を積み上げることにより実質的にあるかたちを作り上げることには長けていても、それらを普遍的なかたちで理論化するのが苦手な国民性があるとは思いますが、自らの経験を普遍化するということで世界に貢献できるようになれば、日本の存在価値も大きなものとなるでしょう。 大英帝国が新興のアメリカに経済的に抜かれ、一時は英国病とまで言われながらもしっかりと金融面での優位さを維持してきたことによって依然として存在感を有するように、これからの時代、中国を始めとしたBRICsとの競争においても、日本はその特徴を生かして存在意義を確立することが必要です。 “追いつき追い越せ” からいかにして次の世代に脱却するかといわれてから久しいわけですが、残念ながらいまだその解をしっかりと得ていないという状況だと思います。 これがいわゆる “閉塞感” の大きな要因になっているのではないでしょうか。

strong>機会の平等

選択と集中、個人の自立というスローガンはあってもその成果はまだ十分ではありません。 各自が無意識に避けている課題として“変革に伴う苦痛”と“結果としての優勝劣敗”という現実がありますが、苦痛なくして進歩はないという自覚が必要です。 “そんなに急いでどこに行く、狭い日本”という時代は終わりを告げ、日本はいやおうなしに国際的な荒波にもまれることになりました。  食料自給率ひとつをとっても自明なことです。
格差の問題も“結果の平等”を求めるのではなく“機会の平等”という視点が重要です。  結果はあくまでも各自がその過程でどれだけ努力をしたかによるからです。