無責任の蔓延とその影響
企業人も政治家も自分の言動に対して責任をとる必要があることを強く意識する
ようなことが散見されます
最近話題になっている超一流企業での不正会計問題も、どこかで社内の雰囲気が
部門業績が最優先され、本来あるべき自己規制が働かなかったということでしょうが
関係者は心のどこかに“これで良いのか”という疑問を持っていたと思います
もう一つ政治の世界では、マスコミ批判をした政治家が話題になったものの結局は
責任がうやむやのうちに話題から消えてしまっています。 こちらはどこかに“正しい
と思うことを本音で話しているのだから問題になる方がおかしい”と考え、賛同する
人がいるから自然消滅してしまうのでしょう。 問題は何が正しいのかということで
本人が正しいと思ったから正しいのではなく、世の中の多くの人が賛同して初めて
正しいとされるのです。
先の例で言えば先進国では辞任が当然、それによって自からの言動に重みが出て
きますし、他人からも尊敬されます
辞任も党からの除名もされないのはマスコミにも責任がありますが、世の中全体に
“責任の曖昧さに対する甘さ”があるということです。 子供は大人の背中を見て育つ
と言いますが、企業でも政治でも潔さの欠落は心配です。 国会答弁でも企業の会見
でもたとえ話で言い逃れてしまうような体質には危機感を覚えます
切腹することが問題解決にならないのは承知ですが、腹を斬る覚悟の有る無しは
説得力に違いがあり、詭弁を弄して身の保全を考えるような体質の変革を望む
ものです