“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

ギリシャの民主主義

古代ギリシャの民主主義のことではなく、最近のギリシャ情勢を見ていてさすがに

長い伝統のある国だけに民意の表し方と、政権の運営そして国民の分別が見事に

一致知っているように思える


総選挙を国民投票のように使う

政府に対する要望とEUに対する交渉とは分けて考え、孤高最適な交渉ではどこまで

要求が通るのかという限度をわきまえている


一方で日本では

一年交代が3年続いた自民党政権を忌避して民主党政権が誕生したのち

事業仕分けのような学芸会をやるように政権準備のないまま、やはり3年で3人の

首相を擁立した民主党を見捨てて再び自民党政権を誕生させた総選挙では、

いずれも300議席を超えるワンサイドな結果を見ると民主主義の成熟度はまだまだ

低いと感じざるを得ない

過去数回のアメリカ大統領選挙でワシントンポストやニューヨークタイムズは社説で

民主、共和どちらの候補者を応援するかという記事の中で
“より悪くないのはどちら

の候補者か”という主張をしています。 本来なら“どちらが良い候補者か”という選択

ですが残念ながら“良い候補者はいない、しかしどちらかを選ばなくてはならない”、

そこでどちらがより悪くないかという基準になるというものです

最近の日本の選挙は“こちらが悪い、だからもう一方を選ぶ”という
忌避の選択

なっています。 より悪くない方を選択するという行動ができるようになれば成熟度は

高くなったと言えるでしょう

1968年

パリ革命、ドゴールの決断、若手登用、大学改革、その後のフランス版所得倍増計画

フランスは今でも国際的な交渉の場での発言圏を維持している

ドイツ、バーダーマインホフ騒乱、1990年の東独合併、節度ある財政政策

日本では大学改革はなされず(大学闘争の原点は東大医学部の前近代性への

告発と研究の自由)、東大滅亡の瀬戸際で妥協による解決、旧体制の維持となった

日本の大学での研究制度では新しい講座ができないと新しい教授は生まれない

研究者は教授の研究を越えられない(教授の学説への挑戦は自らの教授昇進を

諦めること)

今では、
藍は藍より出でて藍より青し、という状況は考えられないが、江戸時代まで

の方が自由な発想があったということなのか