“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

何故、日本人は哲学を持たなくなったのか

カント、デカルト、ヘーゲルを読めという話ではありません

私が学生だった頃までは友人の四畳半の下宿に上がり込み、サントリーの角を

(トリスでないところが多少金持ちだったのかも)飲みながら口角泡を飛ばして青臭い

書生論議をしたものです。 これが哲学かどうかはわかりませんが、議論のなかで

論理的な思考、合理的な考え方、相手を説得する論旨の確かさ等が磨かれていた

ことは間違いがありません。 さらに全共闘時代でしたから独特の論理に従った

議論もたくさんしたので、今でもどこで誰と議論しても負けないという自信があります

海外との取引を含め、真っ向から議論できたのはこのような下地があったからだと

考えています

翻って、最近の風潮を見るとあまりこのようなことをやっているという話を聞きません

政策を見ても、論旨が曖昧で法律も土台がしっかりしないものが多々あります

何日か前にフランスの少子化対策についての記事を読みました。 1970年代、

フランスでは人口減少に悩み出生率が低下していました。 この頃は日本でも

ヨーロッパでも学生運動華やかな頃でフランスでも連日のようにデモがありました

ドゴールが改革政策を導入し落ち着いてきたのですが、任命された文部大臣は

30歳代半ばの若手、大学改革では全国の大学を統一し門戸開放、その結果

パリのソルボンヌ大学という名前は消え第8大学となりました。 少子化対策も

このような時に導入されたようです。 池田首相の所得倍増計画を真似て

フランス版所得倍増計画もできました。 その結果、今では出生率も2.0にまで

回復しましたが、一方で結婚しないカップルも大幅に増加し全体の半数近くが

パートナーという形になっています。 それではどのような政策が取られたのか

というとシラク3原則と言って主として女性の権利保護と収入の安定、そして

保育施設の充実あるいは十分な保育補助ということだそうです

どこかの国で昔あった“産めよ増やせよ”ということではなく、しっかりとした哲学の

もとに環境の整備をしたということです。 考え方の基礎がしっかりしているから

信用もされるし皆で共有できるということでしょう

日本でも、企業にせよ政府にせよしっかりした考え方(私はこれを哲学と呼ん

います)に沿った施策を立案し、主張し、迷わず実行するようになることを望んで

止みません