翻訳の難しさ
開国前夜の幕末から明治の初期にかけてそれまでのオランダ語から英語や仏語が
一斉に入り始めましたが、ほとんどの言葉が日本語に訳された結果、一般庶民も
外国の知識や仕組みを知る機会が急激に増え、元々あった教育水準の高さと
相まって、近代化の強力な助けになったことは異論のないところです
1945年を境に今度はアメリカから様々な知識や考え方が導入されましたが、一つ
明治初年との違いは翻訳です
万国民法から野球に至るまで単なる直訳ではなく意訳で、しかも言葉の持つ本来の
ニュアンスもなるべく伝えられるような工夫がされ、翻訳者の熱意と真摯な態度が
見えるようなものでした。しかし戦後の翻訳には残念ながらこのような工夫が
少ないように思えます
最近よく聞かれる言葉の例を挙げてみます
Integrity:誠実さ
Compliance:法令遵守
Accountability:説明責任
となりますが言葉の持つ背景まで伝わっているのでしょうか
Integrityはむしろ:言行一致とか武士に二言は無いくらいの強い決意が必要です
Complianceは社会規範の遵守というように単に法律を守る以上の二ュアンスがあり
Accountabilityは責任所在の明確化であって単に説明をするだけでは無いのです
いずれの言葉にもその背景には“神の存在”があるのでは無いでしょうか
つまり人としての神との契約に基づき正しいことをしていますかという問いに対する
回答になっています。 契約の概念は人と人との契約ではなく、神と人との契約
という概念ですから誰も見ていないところでも神との契約を守ることは生死と
同じぐらいの重みがありますが、一神教でない日本の場合理解しにくい概念でも
あります
儒教に基づく概念に置き換えた方がわかりやすいかもしれません
武士の身の処し方にも一脈通じたところがあるように思います
最近は企業経営者も政治家も“武士に二言はないといって腹を斬るような”
肝の据わった人が少なくなったのは寂しい限りです