情に棹させば
東松山の少年殺害事件
どこの国でもこのような集団暴行事件はありますが、どうやったら防げるので
しょうか。 似たような構図としては、企業不祥事で(会社のためにやった)
と言う理由付けがよくあります
「私は貝になりたい」と言う番組の中でもありましたが、有罪判決の理由として
上官の命令であっても社会的規範かや判断してやってはいけないことであれば断る
べきである。 これに対して弁論としては、断れば自分が殺されるかもしれない
と言うことで悪いとは知りながら実行してしまったので、組織に属する以上止むを
えなかったというものです
宗教的規範の強い国では、このように正義のためには自己犠牲を払うべきである
と言う明確な考え方があり、日本人の感覚とは異なるものがあります
「個」の確立によって多数に従ってしまうという課題を克服することができると
思いますが、その道は長く辛いものになるでしょう
国際社会の中で暮らしてゆくためにも、国内のみで通用する論理は少しずつ変えて
ゆく必要があります
身近な例で言えば、食堂で4人が注文する時日本では一人目が注文したものを残りの
3人が“私も同じものを”と言うことが多いですが、海外ではそれぞれの人が自分なり
に注文するという違いを見てもわかります
どんなことにでも自分なりの考え方を明らかにすることは、とても大切なことですが
同時に表現の仕方、相手の立場を考えることも必要です
【智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の
世は住みにくい】と漱石も言うように簡単ではありませんが、“大人の社会”を
目指すことで成熟した社会、ソフトパワーのある社会が実現できると考えています