“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

TV5

我が家のケーブルTVではフランス語放送(TV5 Monde)が見えるのですが、先日

たまたま見た映画は目の不自由な夫妻の話でした。 妻は先天的、夫は何年か前に

事故で視力を失ったのですが、手術をすれば回復の望みがあるとのことで悩んだ末

手術を受け成功しました

その結果、ものの見える生活が戻り、逆にこれがきっかけで夫婦仲に微妙なズレが

生じ破滅に向かう一歩手前で夫が気付き、術後の治療をやめて再び目が見えない

生活に戻ろうとした直前で夫婦間の信頼が回復し幸せになるというストーリー

ですが、ここで取り上げたいのは、映画に出てくる様々な機器類と子供達と両親

との接しかた、周囲の人の接しかたについてです

一言で言うと、日本では“不自由で気の毒”が前提になっていますが、この映画の中

では“不便なところはあるが普通の人”として生きているという決定的な差が感じ

られます。 実際にストーリーの設定では妻はジャズピアニスト、夫は天文学者で

新しい惑星を発見しています。 複雑な天文学の数式も口述筆記で計算しています

ので不便なところを補えば、他は同等ということが徹底されています

そこで不便さを補う機器がいろいろ登場していましたが、技術的には日本企業でも

簡単にできるような商品で、例えば音で時間を知らせる腕時計、ボタンが大きく

触れば番号がわかる卓上電話機、音声認識機能つき携帯電話等。 幾つかの機能は

一般的になっていますが、不自由さを解消するように工夫した機器があるという

ことで、日本とは商品開発の意図が全く異なることに気づきました。 誰でも

普通に暮らすことができるようになることを前提に不便さを補う機能を付加する

という発想は日本ではないように思います

個人的な体験ですが年寄りに補聴器を買うことになり、調べてみると高級機種は

全て外国製。 パンフレットを見るとここでも普通に勤め、遊び、生活することを

目的に商品企画されているので、耳が遠くなった年寄り向けの補聴器という概念は

ありません。 値段も両耳で100万円もすることが珍しくないので個人では

買いにくいのですが、海外では保険等が適用されるのかもしれません

障害のある方に対する考え方が根本的に異なっているようで、自立して生活する

ためには何をすれば良いのかという疑問から出発しています。 そうすれば障害の

ない人と全く対等に生活できるということが根本にあるようで、保護しよう、介助

しようという発想ではない力強さが感じられます

Liberté, Egalité, Fraternité が今も正しく伝承されているように感じます