“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

農産物の規格化

昔ながらの八百屋さんではなんでも好きな数だけ選んで買うことができましたが、

スーパーでは野菜や果物まで袋詰めされ、しかも中身はどれも同じ大きさで、

あたかも工業製品のように売っています。 消費者もそれに慣れてしまって野菜も

同じ大きさ、重さのものが当然と思うようになり、時々“大きさ不揃い”のパックが

安売りされています

考えてみると畑では様々な大きさのものができる訳で、規格外の商品は出荷されない

で農協の売店等で安く売られるか、場合によっては廃棄処分になっているのかも

しれません。 当然その分値段が高くなっています

昔アメリカで暮らしていた時には、スーパーの野菜、果物は全て量り売りになって

いて、各自形やお大きさを見ながら好きなだけ袋に詰めて備え付けの計量器で重さを

測ると値段が印刷されたラベルが出てきて、それを貼ってレジへ向かうというように

なっていましたので一個でも買えましたが、日本では袋に入った数量を買わざるを

えません

流通の効率化のため規格化された箱には一定の数量が入るようになっていて、規格外

のものは流通ルートに乗らず歩留まりは低くなります。 生産者は歩留まりを上げる

ために手間をかけるので当然のことながらコストは高くなります

ある種の回遊魚は集団で行動し、餌を取るためその集団の魚の大きさはほとんど

同じになります。 集団で種の保存を図りますので餌を食べるため集団の中側の

魚が外へ出て餌を食べ、食べ終わると集団の中に入り餌を食べる順番を譲るという

行動を繰り返しているので、結果的にその集団の中では餌を食べる量が一定になる

ことが原因です。 しかし自由に動けない畑の作物はそうはできないので自然と

大小や色付きに差が出ます

それを“選別”という形で形や重さをを揃えてしまう必要があるのでしょうか

自然のものは自然のままでという方が理にかなっているように思えます

自分の目を養い、工夫して生活コストを引き下げるのは先人の知恵で、町の八百屋

さんや魚屋さんは閉店近くなると売れ残りを値引きして処分しますので、顧客も

夕方近くに買い物に来ます。 少し遅れると物がないのでそれぞれの感を働かせる

必要もあり、また客が集中することで活気もできます

小さな努力と才覚が必要で、これに磨きをかけることで他の分野でも活躍できる

ようになります

『自己責任』が養われ、様々なことに対する感覚を研ぎ澄ますことになります