本質を見抜く力を養おう
明治以来の教育、特に戦後の教育方針の根本的な転換が必要とされています
どこかの幼稚園のように教育勅語を諳んじるというのではなく、物事の本質を
極める意思を育むことが必要だと思います
暗記から発想へ
江戸時代の寺子屋教育では一般的だった“白文素読”のような考えも導入する価値が
あるように感じます。四書五経のような難解な文章も100回読むうちに内容が
頭に入り、その意味することを感じ取れるようになるという勉強法です
自分の頭で考える力がつきます
英国の算数は○+△=10ですが、日本では8+2=○です
違いは何か? 日本式では正解はひとつですから誰かが答えてしまえば終わり
じっくり考えている人にチャンスは巡って来ません
英国式であれば30人のクラスであれば30通りの回答があります
アメリカの小学校ではクラスで一番はクラスの人数だけいます
勉強の成績が一番は一人ですが、走るのが早い人、歌が上手い人、とんちの効く人
のように自分は何で一番になれるかを考えさせられます
このような教育方針では“考える力”がつきます
本質を見抜く力というのもこのような多様な考え方が併存する中で鍛えられる
もので、目指すところは一つ、正解も一つという社会では一人の成功者と多くの
落伍者を出す結果となります
残念ながら今の日本では公務員のシステムも、それを倣った企業のシステムも
このとおりになっているのです
正解が沢山あり、多くの成功者と極めて少ない落伍者という社会を目指す
ところに繁栄があります