発言の取り消しとは何だろう
『覆水盆に返らず』という諺は無くなってしまったのでしょうか
最近は国会でも会社でもあちこちで『発言を取り消してお詫びします』ということが
頻繁に聞かれますが、お詫びはともかく発言を取り消すとはどういうことなの
だろうか
間違った発言をしたから訂正するのは理解できますが、一度出た言葉は取り消せない
のは自明の理で、公式記録から削除されたとしても人々の記憶には残るからであり、
記録がないと記憶も間違っていたのではないかという恐怖にとらわれてしまいます
旧日本軍の行動が記録に残されていないために、あることがあったのか無かったのか
で50年以上論争しているのは嘆かわしい限りで、記録があれば議論にならないこと
を認識すべきではないだろうか
ナチスドイツはドイツ人らしい几帳面さで全ての記録を詳細に残していたために歴史の
検証が正確になされていることと対比すると正確な記録の重要性が認識できます
最初の話題に戻れば、発言はあくまでもそのまま残し、訂正として錯誤や誤認識の
ため何月何日に訂正しましたという記録を残すべきでしょう
日本での議事録の書き方は定型的で、例えば第1号議案は原案通り賛成多数で可決
されましたという記述が一般的です。 一方、欧米では第1号議案は9対3で
可決されましたとし、さらに議論の詳細を誰がどのように発言したかを記録に残す
のが一般的で、これなら後刻検証が可能です
公文書の作成保存や会社内の会議や決裁記録をルールに従って残し、一定のルールに
従って閲覧できるようにすることは非常に大切です
このような記録をもとに必要があればマスコミは自ら検証して記事を書くべきで
記者クラブで配布された文書や、会社が発表用に配布した資料をそのまま記事にする
ようではマスコミの存在意義が疑われてしまいます
マスコミが自由に発言できない国は歪みが是正されないので国の発展も結局どこかで
止まってしまいますし、経済発展が歪になるのでGDP等で良い数字があっても
本当の意味での国民全体の満足度は低いものになってしまいます