団塊の世代と大学闘争
大学紛争ではなく敢えて『大学闘争』としたのは本質を逃さないためです
1968年の大学闘争は東大医学部の『処分撤回運動』が発端です
ある事件によって学生が処分されましたが、事実認定に誤りがあり大学側もその誤り
を認めたのですが、処分は撤回されませんでした
これに対して処分撤回を求めたことから大きな運動になり、結局教授会の権威に
対する不信感、学問の進歩に対する疑問へと広がっていったのです
新しい学説を基にしてスポンサーからの援助を得て新しい講座が開ける欧米と異なり
日本では確定した講座をめぐるポスト争いなので、学説の独自性や優位性よりも先任
教授に対する従順性が優先され、学問の進歩が妨げられることもあります
またそのことにより教授の権限が強く、結果的に『教授のお気に入りしか次の教授
になれない』という学問の進歩を否定するような制度に対する疑問が生じたのです
学問のみでなく社会全体に普遍的に当てはまる疑問で、学生全体の共感を得たため
他学部にまで広がる学生運動になりました
その後、この動きに便乗して勢力拡大を狙った社会党、共産党系の外部団体が介入し
全共闘運動として『大学紛争』へと変質してしまったのです
教授の実績を超える実績を上げた人への評価と活躍の場をどのようにして与えるか
ということが本質で、似たような学生運動のあったフランスではド・ゴールが本質を
的確に捉えParticipationといって若干30歳台半ばの文部大臣を任命し大学の大改革を
実施しました。 わかりやすいところではエリート校であったソルボンヌ大学は
なくなり今ではパリ第3大学と呼ばれ、バカロレアに受かった学生はフランス全土
どこでも好きな大学に入れるようになったのです
日本の場合は何の改革もないままに今に至り、アカデミックな力が落ちていることが
明らかですし、ノーベル賞受賞者からも今後日本からノーベル賞を受賞できる成果は
期待できないという声が上がっています
半世紀も前の決断が今現実の結果となって現れています
為政者に限らず、経営者も学者も構想力が問われています