不作為の作為
学生時代の行政法の授業で初めて聞いた時にはとても新鮮に感じられましたが
残念ながら当時から主流派の意見ではありませんでした
不作為の作為とは何か
法律を適用しない「起訴しない」という行為は法律違反ではありませんが、その
判断には恣意的な意図が生じやすくなりますので、何もしない「起訴しない」こと
自体がが違法だという考え方です
法律があって該当するかどうかを検討するのではなく、まず事実がありその違法性を
立証するために適用できる法律を探して立件するという義務があり、何もしないこと
そのものが問題だという考え方で、行政の世界ではよくある「泣き寝入り」を防ごう
とするものと言っても良いでしょう
政策レベルに眼を転じると、もっと明確に見えてきます
例えば今、日本で根本的に考えなくてはならない課題がたくさんあります
すぐに問題が生じるわけではありませんが中長期的には大きな課題で、解決を
先延ばしするほど難しくなるような事態がたくさんあり、本来政府は対策を提示し
国民の理解を得る(政策提示による選挙)必要がありますが行われていません
これも「不作為の行為」です
Q. 参議院のあり方の提示ではなく、人口減少の中で定員増加という安直な選挙法改正
Q. 世界で最も早い人口構成の高年齢化に対する施策
Q. 人口の高齢化に伴う医療費等の増加に対する抜本的な対策の提示
Q. 急増する国債発行残高に対する償還方法とその影響
Q. 国の歳入比率を考慮すると避けられない消費税増税(欧州諸国では20%台)
Q. 時価総額の10%を超える公的資金の株式市場への投入に対し撤退時期とその影響
これらの課題に対して将来像を提示するのが政治の本来の役割ですが、残念ながら
何もできていません。 まさに不作為の作為なのです
議員内閣制度においてはどうしても行政の力が強くなってしまいます
三権分立の考え方から言えば、立法の意義が疑われる案件に対し憲法裁判所の
ような司法が介入する仕組みも必要かもしれません
また、行政府と一体化した与党が立法府を形骸化してしまうことに対するチュック
機能も必要でしょう
同じ議院内閣制の英国では党議拘束は限られた案件に絞られ、議会での与党と
政府の議論も活発に行われています
ほとんどの案件に党議拘束をかける日本の現状に対する見直し議論もあってしかる
べきですが
ここでも「不作為の作為」が働いています