信条と信念
政治家に限らず、人間にとって大切なことの一つに心情と信念があります
その上で、信条を実現するための戦略がありますし、さらに戦略を実行する戦術が
あります
これらに統一性があることをINTEGRITYと呼び大変重要なことで、多くの国では
INTEGRITYのないことはその人の人格判断の大きな要素となっています
新渡戸稲造の『武士道』にも書かれていますが、この時代までは日本でも大切な
考え方、そして生きる上での指標となっていて別の言葉では『道徳』とも呼ばれて
いました
因みによく言われるアカウンタビリティーとは正にこのことです
自分の信条と照らして自分の行動を判断し、その結果を説明するということで
そこに差異があれば当然責任を伴います。説明責任とは事情の説明ではなく自分の
信条と照らしてどう考えるのか、その結果としてどのような責任を取るのかという
ことです
戦後の思想的混乱の中で失われた価値の一つかもしれませんが、本質的な考え方
なので本当は時代が変わってもなくなるものではありません
最近文科省が唱えている『道徳教育』とは全く異質なものです
バブル崩壊以降の低迷の中でますますこのように本質的な価値が失われてしまう
ことは悲しいことですが、同時にだからこそ世界の中で取り残されつつある国に
なってしまったのではないでしょうか
思想信条は外部から強制されるものではなく、各個人がそれぞれの環境と信念に
基づき自ら築き上げ、それを土台に議論をすることで個の確立と発想の展開が
見込めます
明治の開国以来、諸外国に追いつき追い越せが全ての土台になり、創意工夫と努力を
重ねてきたのですが1989年に追いついたと思った途端にバブルが弾け、次の展開を
考える余裕もなくまた追いつく対象が曖昧になってしまったことで喪失感があるの
かもしれません
もう一度原点に戻って外に目標を立てるのではなく自分自身の中に強固な目標を
打ち立てる努力をしようではありませんか