“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

数字で見えてくる世界

Social Distance (社会的距離)という訳語がしっくりしません

学問の世界で特定の意味を持つ言葉をそのまま一般用語として使用するので、この

ような違和感が出てきてしまいます

古くはベースボールを(野球)というような名訳があったのですが最近はカタカナ

ことばをそのまま使うために本来の意味がよくわからなくなり、それから派生する

行動も彷徨い始めてしまっています

会話の親密度と物理的距離ということを研修で習ったことがあります

親密度でもあり不安・恐怖に感じる、あるいは居心地の悪さを感じる距離といっても

良いのかもしれません。記憶によると日本人は見知らぬ人が1メートル以内に近づく

と不安を感じて無意識に距離を取ろうと離れるが、外国人は1メートル以内に近づか

ないと親しい関係を構築できないと感じるので握手の時には体を密着させる位に

近づくのが礼儀とも言われました

日本でよく見かけるような握手しながらお辞儀をするのは親密感よりも儀礼的という

捉え方をされてしまうとも教わりました

コロナ騒ぎで社会的距離を1メートルとか2メートル空けましょうというのは

親しい人同士でもこの程度は離れてくださいということです

日本では『濃厚接触』というと抱き合うようなイメージですが、Social Distance

観点から見ると1、2メートル以内に近くということになり随分意味合いが異なり

ます。逆に言うと日本では普段から『濃厚接触』するような付き合いが少ないので

コロナ感染者が爆発的には増加しなかったと考えると合点がゆきます

日本では普段からSocial Distanceが保たれているので敢えて社会的距離などという

意味不明な言葉を使わなくても良かったのかもしれません

一方で、日本の感染者が約1万5千人とすると無症状感染者が5万人以上いて

街中を歩き回っていると言うことになります

普段の生活で濃厚接触がなくても、通勤の電車内やライブハウス、飲み屋では

濃厚接触状態になっていますので、第二波も第三波も確実にやってくるでしょう

これを防ぐには徹底的なPCR検査の実施で無症状感染者が状況を把握し、行動の

自粛をすることが大切で無闇に全国民を対象とした自粛宣言をすることは効果的な

方法とは思えません

国民に意義も意味も伝えずに一方的に要請をし、行政府が合理的な施策を実行しない

のは百年来変わらない構図になっています