3回目の四半世紀
日本では記念日の数え方が10年単位ですが、欧米では数の数え方が十進法よりも
分数で考えることが多いので75年目は3/4世紀になります
四半世紀の3回目という目で観てみるとそれなりの重みがあるようです
当時の20歳、30歳という働き盛りの世代はとうの昔に引退し、現在の20.30歳代は
孫の世代になり経験は薄れてしまっていますので何かを残そうとすればそれなりの
努力が必要です
このような風化を防ぐために一般的には教育が大切ですが、戦後の教育は知識の記憶
が中心となり複雑な状況を把握して論理的な思考で最適解を探すような思考方法は
苦手です
ユダヤ人が約2600年前のバビロンの捕囚を今でも語り伝え、イスラエルとパレスチナ
の対立の原因となっているように解釈を許さない知識というのは複雑な物事の解決
には時として障害となる事があります
このような事と比較すると75年というのはあっという間の出来事ですが、それでも
風化現象が見られることに対しどのような考えるべきでしょうか
人は過去の感傷に浸ることはありますが未来に対して感傷に浸ることはありません
逆に将来を憂うことはありますが過去に対して憂いても事実は変わりません
将来に希望を持ちたければそれを達成するための道筋を考え、一歩一歩実現に向けて
努力する事が必要で、過去の感傷に浸り過去を憂いても前進はありません
終戦時から3世代目がこれからの未来を築くとなれば、これらの世代に対して
正確な知識と未来に対する複雑な解決の道筋を示してあげ、教育する事が2世代目の
役割ではないでしょうか
実体験を持つ第1世代が高齢化する中で、少なくとも実体験を持つ世代から直接
経験を受け継いだ我々第2世代の役割は重要です
最近の番組を見ていると戦争の悲惨さを強調した番組が多いですが、これでは本当の
歴史は伝わらないと思います
何故ならそのような政党、政府、軍隊を作ってきたのも市民なのですから、本当に
伝えなければならないことはいつ、どこで、どうして判断を誤ったのか、その誤り
に気づいたときに修正する事が何故できなかったのかということを正確に伝える
べきでしょう
悪い結果を憂うだけでなく、自らの責任範囲で何を間違ったのかに向き合う事が
辛いですが必要な事です