日本の停滞はインテリが闘わなくなったから
建築家の安藤忠雄さんの言葉です
さらに「前に進むこと」とは、「問題を起こすこと」とも言っています
全く同感です
世の中が平和で問題を起こす人がいないことは必ずしも良いことではなく、進歩が
止まっていることと同義語なのかもしれません
Black Lives Matterデモの吹き荒れるアメリカは問題を沢山かかえながら、前に
進んでいてその歪みが様々現れているのですが、混乱の中から解決策を見つけて
前進、後退を繰り返しながら少しずつ前に進む努力をしているのではないでしょうか
一方、平和で混乱の無い日本は前進も後退もない状況です
1968年の大学闘争を経験した身から考えると、やはりその時の解決方法が間違って
いたということになります
大学闘争の発端となった東大医学部闘争の本質は暴力や混乱が目的ではなく
「真実の追求」と「社会の枠組みへの挑戦」「不都合な真実との対面」だったの
ですが、それを利用した思想集団の介入による闘争の変化、さらに曖昧で現状維持
を最大の目標とした妥協による解決がその後の停滞を招いたことは疑いありません
まさしくインテリが闘わなかったのです
人民裁判のような過激で長時間に亘る吊し上げに近い集団団交もありましたが
教授側からの論理的な反論は少なく、議論を闘わせる場とはならず報道を観た
外部の人からは力による強制だと思われました、しかし40年以上経過した最近の
教授達の回想による本音は「あの時もっと論理的に議論すべきであった」という
反省でした
インテリである学生に対し、インテリである教授が堂々と議論することなく、逃げ
回ったということになりこのような経緯は最近の政治家にも見られるのではないで
しょうか
不都合な真実に向き合わず、身を切る改革を実践しなかったことが今の低迷と混乱
そして現状維持のぬるま湯体質を育んでしまったと言っても過言ではありません
人間の集団には絶対的な真実はありません、いつも49.5%対50.5%というギリギリの
決断を迫られながら逃げることなくどのようにして49.5%の人達にも納得してもらう
ことができるのかというギリギリの選択を続けざるを得ないのです
その結果として一歩一歩前進できるのです