“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

明治23年を超えられない

明治23年は明治維新から23年目にしてようやく議会が開設され本格的な民主主義

の端緒についた時です

明治維新で徳川幕府は倒れ天皇制に復帰し薩長を中心とした新政府ができ各官庁も

創設されましたが所謂『明治革命政府』であって選挙によって選ばれた政府では

ありませんし、現代のような議院内閣制でもありません

当初は首相と参与による少数の独裁的な政府で、のちに内閣制度が整備されましたが

現代の内閣制度とは異なるものでした

混乱からの脱却、新しい政府機関の創設、諸外国との交渉、富国強兵、財政基盤の

整備といった喫緊の課題が山積されていたので選挙による代議制や議会の開設は

後回しにして山積する課題の解決を優先させました

しかし西南戦争後明治も10年を経過する頃から自由民権運動が活発になり、主に

議会の開設が要求されることとなりようやく明治23年になって最初の帝国議会が

開かれました

もちろん非常に制約的な選挙によって選ばれた議会ではありましたが形式は整った

ものの議院内閣制ではなく、元老院の推挙に基づき天皇から大命降下されるという

形式でしたから議会の力は限定的でした

徳川幕府の時代から近代化を急速に進めなければならなかった当時の日本では

効率性と即効性、行政中心の施策による急速な改革が行われたため、様々な法律も

当初は行政府が一方的に立案し施行し、議会開設後も行政に必要な手続きを立法化

するということで議会が憲法に則り必要な法整備をするという議会制民主主義の

考え方とは異なっていました

戦後の新憲法下では選挙で選任された議員が立法し、行政はその法律に基づき施行

することになっているのですが現実はほとんどの法律が行政府そのものが立案し、

自らにやり易い法律が内閣を支持する与党の賛成で成立するということで、いまだに

明治時代の行政至上主義が残っています

つまり明治23年を超えていないという訳です

民主主義は不自由なものです

しかし、手続きと論理は重要であり国が成り立つ唯一の根拠である筈です

諸外国の議員の多くが法曹資格保持者であることと明確な差のある日本の議員との

違いは国民が求めていることの違いにあるのでしょう

「オラが町に新幹線を!」ではなく「新幹線はこのような考え方で整備を!」

となるかどうかがこれからの国の運命を決めてゆくのではないでしょうか