“覆水盆に返らず” は死語?
盆の水を流してしまえば元に戻せないという太公望の言葉ですが、言葉も一度口から
出てしまえば取り消しはできません
もちろん、言い間違いはありますがその場で訂正することはできても後から、特に
外部から指摘されてからの訂正はできません
政治家の場合はこのことが厳しく問われることになり、かつての大平首相は
「えー」「あー」という後にやっと言葉が出てくるので「讃岐の鈍牛」と呼ばれ
ましたが、本人曰く責任者の発言は多方面に影響があるので『あー』と言いながら
考えて、『うー』と言いながら文章を練って、それから言う癖がついてしまいました
とのことで、論理は明解で話した言葉がそのまま記事にできる話し方であったと
田中角栄首相が言っていました
中曽根首相も記者のインタビューを受ける時は日時を指定し、その間に周到な準備
をして対応し、発言がそのまま新聞の見出しになるような言葉だったという証言が
あります
当時の政治家は発言に対しこのぐらい慎重であり、熟慮し、意図を正確に伝えようと
していたと言うことで、それだけに政治的立場を超えて発言が重みを持っていました
これらと比較して最近の「事件」を考えると悲しいほど状況が劣化しています
某女性議員のように自らの発言を議事録を精査してみたらそのような発言があった
ので「ブログで訂正します」と言ったり、自らの著書に記述したことを質問されても
誰が書いたのか知りませんと言ったり言葉に出すことの意味を理解しているのか
疑わしくなります
発言したことを時間が経って非難されると「発言を撤回しお詫びします」と言ったり
「発言を訂正します」と言うのであれば、言いたい放題で責任は感じないと言う
ことなのでしょう
日本には俳句というたった17文字にあらゆる情景や感情を表現する文化があるの
ですが、このような熟考した言葉遣いが無くなってしまったようで悲しいことです
文化は経済がピークから落ち始めたときに栄えるという歴史があり、安土桃山文化
元禄文化といった歴史に残る時代がありましたが、文化が衰退するということは
経済のピークを過ぎて、さらに文化のピークも過ぎ、本当に没落の時代になって
しまったということなのでしょう
この停滞感を打破するのは若者ですが、最近の若者に元気がないのが心配です