“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

丁寧に説明するとはどういうこと?

最近の発言、特に政治家の間でこの言葉がよく使われます

丁寧に説明するとは一般的には詳細に説明すると同義語と考えられますし、当然

論理的で説明に筋道が立っていることが求められます

実際はどうでしょうか

丁寧に説明したから質問は受けません、どんな質問であれ直接的な回答ではなく

同じことを延々と説明するのであれば質問に答えたことにはなりません

説明責任が責任の所在を示すのではなく、説明の場を設けることとなりそこで所謂

丁寧な説明がなされるのでは結局何も語らず、責任の所在を明らかにせず、責任を

とらずになってしまっているのでは無いでしょうか

隠れ蓑としての丁寧な説明では会見する意味がありません

ちょうど大接戦だったアメリカ大統領選挙の結果がようやく出て民主党のバイデン

候補が次期大統領になることが確実になりました

トランプ大統領は訴訟に持ち込むと言っていますが訴えるべき不正の証拠が無く

順番が逆になっています。普通の論理思考では何らかの証拠がありそれに基づいて

訴訟を起こすのですがトランプ流では先に結論があって後付けで理由を探す事に

なることが多くあります

丁寧に説明とは対極にあるように見えますが、実際には同じような思考パターンに

なっています

事実の積み重ねから状況把握し、結論を導き出すのではなく結論ありき、しかも

その結論は絶対的に正しいという前提で判断がなされています

大変危険な思考方法で、事実がねじ曲げられてしまう危険をはらんでいます

バイデン次期大統領の演説にもあるように時として民主主義のプロセスは複雑で

忍耐を要することがありますので、簡単に結論にジャンプするような思考方法

からの脱却がますます求められこととなります