田植え理論
私が入社した頃は田植えは手作業でした。今のように機械であれば少人数で
素早くできるのですが、手作業だと周囲の協力がないと田植えができません
また、雨が降れば延期されますし、突然晴れたら急に田植えになります
タイミングがありますからのんびりと決められた通りにやっていては全ての作業が
終わらなくなりますし、必要な準備も整えている必要があります
また、当時は今と違ってあちこちでストがありました。会社でも“◯◯闘争”
国鉄(JR)も“△△闘争”と言ってストを断行したものです
その時ある工場長曰く「田植え理論」と称してスト解消前から組合員と再開準備を
始めていました。24時間連操の電気炉を持っていた工場なのでスト解除から準備を
始めたのでは電気炉の温度上昇に半日はかかってしまいます
そこでスト解除の方向が見えて来ると組合幹部と交渉し電気炉のスイッチを入れ
監視担当者に張り付かせ、スト解除となったら直ちに操業に入るような体制を
組合と連携して進めていました
最近のコロナ対策の施策を見ていると全てが後手後手、対症療法、結果が出てから
対策を考えるので拙速、抜け穴だらけになってしまっていて田植え理論のような
準備ができていません
何をやるにも準備が必要で、その期間がどのくらい必要かというのはそれまでの
経験から十分に把握できますし、将来のことですから可能性のある事態をいくつか
シュミレーションしてそれぞれについて対策案を立案し、準備することが遅滞なく
次のステップに進める方策です
立派な学校を出てそれなりの経験があるにもかかわらずこのような準備ができない
のには二つのことが考えられます
一つは無駄なことはしない。可能性のあるオプションをいくつか考えるのではなく
結果が出ていることに対してだけ考えるという手抜き
二つ目は責任を取らない。複数のオプションを作成することの余計な予算と時間が
後で非難されないように事前準備をしないという手抜き
Time is Moneyという発想はありません
多くの国では必ずシュミレーションをしてその中から状況に合った最適解を見つける
ということをしていますので、コロナ対策で見られるような対症療法的アプローチ
では対外交渉で先手を取ることはできません
田植えの機械化で発想も貧困になってしまったのでしょうか