“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

報道の自由とその背景にあるもの

高校時代に英語の受験勉強としてNew York Timesの日曜版を毎週読んで長文読解の

一助にしようとしていた時代がありました

発行人でもあったSultzberger Sr.J.Restonが一面のコラムを書いており、難解で

長文の記事に悩まされていたのですが、一つだけ今でも覚えている驚くような記事が

ありました

Timesの一面にベトナムで生首をかざす米軍兵士写真があったのです

ベトナム戦争が泥沼化しベトコンのゲリラに手こずっていた1960年代後半の記事で

正確な内容は覚えていませんが、写真のような行為やベトコンの死体から耳を切り

取り収集している兵士がいるというような内容で無意味な戦争で米軍兵士の心が

苛まれているという反戦記事だったように記憶しています

同時に日本の新聞ではこのような記事やまして写真は出ないだろうと感じました

ベトナム戦争ではR.Capaの撮った裸で道路を歩くベトナム人少女の写真が有名

ですが報道の自由とは主義主張が背景にあって初めて許されるものだということを

強く思った次第です

最近の日本で言われる報道の自由にはこのような信念があるのでしょうか

官邸や省庁の記者クラブで配布される発表文をほとんどそのまま掲載するだけで

独自の調査や視点、真実に迫る論理的主張のない記事を書きながら一方で報道の

自由を振りかざすことに違和感を覚えます

卑近な例を一つ

菅内閣になってから話題になる携帯電話料金です

楽天モバイルが他社より安い料金を発表したとして、比較表を乗せていました

それによると20Gまでの料金が突出して安く、それより小容量の価格は20G料金より

最大で2倍も高いのです

しかし、報道ではどこにも価格の逆転現象や20Gの価格のみ安く、他は高いとか

なぜ歪な価格体型になっているのかという深掘りした説明や疑問はありません

話題になったことを発表文のまま記事にするのではなく、各社それぞれの主張や

疑問、深掘り、参考文献や事例があって初めて報道の自由が主張できるのでは

ないでしょうか

テレビも新聞もワイドショー化してしまい情けない限りです