言葉の定義のない議論は不毛
最近、言葉の定義が不明確なまま色々な議論が進んでいます
一例が『かかりつけ医』です,新聞によってはGP(General Practitioner)という
言い方もしていますが、問題なのは誰が患者にとってのかかりつけ医なのか
いつも通っている医者なのか、それとも医者がこの患者さんは私がかかりつけ
医ですと認識することなのかが不明なことです
元々GP制度はイギリスの制度で、地域毎に複数のGPが地域の患者を担当する
制度で休日や休診日には担当地域の他の医者が代行しますので、当然診療に
必要な情報は共有化されています
GPは専門医ではなくファミリードクターですが専門的又は精密な検査が
必要な場合は地域の病院を紹介し病院はGPからの紹介が無いと受診できません
更にGPには技術や経験に応じて診療報酬が支払われ、高い腕前を有する医者
ほどそれに比例した十分な報酬が支払われます
このような定義があって議論するなら良いのですが、今新聞等マスコミや政府
関係者から聞かれる議論は何を根拠にしているのか全く不明です
日本語特有の問題でもありますが不毛な議論になり、結局何を根拠に何が
決まったのかがわからなくなります
最近話題になっているデジタル化:DXでも定義は最も大切な要素です
コロナ感染患者の重症者数をとってみましょう
東京都と全国の数字では重症者の定義が異なりますので単純に合算するのは
英語の表現で言えば「オレンジとリンゴを一緒くたに足している」という状態
ですからオレンジの数もリンゴの数も分かりません
デジタル化とはこのようにデータの定義を明確化することから始まりますが
長くアナログで生活をしていた人たちにとってみると当初はデジタル化で仕事
が増えることになります
このように視点を変えるトレーニングもいわゆるリスキリングの重要な
一面で、リスキリングとは単に新しい分野の勉強をしましょうということに
限らず、発想の転換が最も重要になります
「デジタル化」という言葉に踊らされることなく、本当に求められていること
から目を離さないことが重要です