チェコ事件とウクライナでの戦争
1968年に起きたチェコ事件は今回のウクライナ戦争とそっくりの構図です
当時のチェコではワルシャワ条約機構の構成員であったにもかかわらず
ドプチェック大統領の『ビロード革命』で民主化が起き始めこれに対し
旧ソ連がチェコに軍事介入しました
そしてソ連によるドプチェク大統領の拘束とその後の親ソ政権の樹立で結局
元通りにソ連圏での国家運営になりました
当時フランス人の学生団体と東京でセミナーを開いていたのですがこの
ニュースが流れた途端フランス人達はTVの前にかじりつき日本語のニュースを
通訳して欲しいと言われました
チェコの話なのに何故そんなに心配するのかと聞いたらプラハからフランス
国境まで300キロしかないので戦車がそのまま侵攻すれば半日も経ずに
フランス国境に達するから戦車がプラハで止まるかどうかはとても重要だと
いうのです
ヨーロッパ人の感覚を知った時でした
もちろん地図は頭に入っていましたが感覚的な距離感がなく鉄のカーテンの
あちら側とこちら側程度の認識で実際には300キロというのは東京:名古屋間
の距離であり置き換えて考えると感覚的にも納得できました
確かに後年ヨーロッパに出張した時も大陸内は飛行機よりも汽車や車で移動
することが多かったのですが不思議なことに国境を越えると家の形や色も
景色も異なることがありました
狭い地域でもそれぞれが異なる文化を持っていることがわかります
同じように日本と台湾や韓国、北朝鮮とは距離的には大変近く福岡とソウルは
東京より近いのですが海があるためか感覚的には遠い存在に感じられます
人類は長い間徒歩での移動が原則ですから海があれば余程のことがない限り
船を使って渡ることはありませんでした
だからこそジンギスカンの騎馬部隊が現在のドイツあたりまであっという間に
侵入したことにヨーロッパ人が大変驚いてしまったのもうなづけます
このような肌感覚の有無も世界で起きていることを正しく認識するために
重要なことでしょう