“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

チェコ事件その2

まず訂正があります

1968年の事件は「プラハの春」と呼ばれ「ビロード革命」は1989年のソ連邦

からの離脱でした。訂正してお詫びします

さて、この件に少しこだわるのは1967年にプラハを訪問しその一年後に起きた

ことだからです

その時はモスクワから汽車で丸一日かけワルシャワ経由でプラハに入り

「ヨーロッパに来た」という印象が強烈でした

モスクワからワルシャワまでは広軌、ワルシャワから西側は標準軌(新幹線と

同一)なのでワルシャワで客車を持ち上げ台車を交換して運行するという

経験もしましたし、その間駅前で戦後25年経過しているのにいまだに銃弾の

跡が生々しい街も見ました

つまりワルシャワまではヨーロッパと直接つながっているという事実です

プラハでは有名なプラハ城も破壊されずにあり、朝市も開催され楽しみ

ましたので仲間内では「ディスコがあれば西ヨーロッパと同じ」と言って

いました

しかし翌年ソ連介入の直前に逆ルート、西側からプラハ経由でモスクワに

入った人たちの印象は全く異なりプラハに入った途端にソ連圏に入り息詰まる

ような感じを持ったということです

チェコスロバキアも西側のチェコ人と東側のスロバキア人は民族も言葉も

異なり1989年以降二つの国に分裂しました

ウクライナは訪問したことはありませんがロシアに近くロシア語を話す東部

とウクライナ語の西部では文化的な差があるのかもしれません

ユーゴスラビアがチトー以降分裂したようにヨーロッパは狭い地域で民族が

複雑に入り混じり民族国家を目指すと多数の小国が乱立することになり、逆に

国民国家を形成すると政治の舵取りが非常に難しくなります

日本にいるとなかなか理解しにくいですが、このようは前提条件を理解した

上で考えないと複雑な国際情勢には対処できません

若い時から積極的に海外で様々な体験をすることで肌感覚を身につけることは

大変重要になります

次回のテーマは「内閣支持率」です