「日本人1位」という表現に違和感
最近の陸上競技の結果で「日本人1位」という表現がありますがとても違和感
があります
これは何を意味しているのでしょうか
陸上競技は勝負ですから、どこの国の人であれ優勝することが最大の目標です
5,000メートルやマラソンのようにアフリカ系の人たちが圧倒的な力を見せる
競技種目がありますが、世界陸上にせよオリンピックにせよこれらの選手に
勝たない限り表彰台には上がれませんから国内の代表選考会であっても同等に
戦える力があって初めて大舞台に出られる資格があります
代表選考会であればたまたま強い外国人選手がいて日本人の代表候補選手が
負けてしまったとしても僅差であれば代表になる資格がありますからこの
ような場合に日本人1位という表現があってもおかしくはありません
しかし国際大会でそれなりの成績を収めようとするのであれば僅差で負ける
ぐらいの力がないと国際大会に出場する意味がありません
先ほどの例で言えばマラソンではトップから2分以内とかトラック長距離でも
30~60秒以内という枠の設定は必要でその場合には「日本人1位」という
表現にも意味が出てきます
現実にはマラソンでトップから5分近く遅れ順位が6位ぐらいでも新聞では
優勝者より大きな見出しで「日本人一位は◯◯選手」という文字が踊りますが
優勝者の名前もタイムもよほど探さないと見つからない小さな扱いです
連盟もメディアも観客もそして選手も鎖国の中で暮らしているようで大いに
違和感がありますが、不思議なことにこのようなことを指摘するコメントも
ありません
日本は資源小国で知恵とモノ作りで世界に貢献し食糧と資源を輸入しなければ
ならないのですが、このような認識が薄くあたかも世界とのつながりが無く
ても生きて行けるという誤解があるようです
スポーツの世界では近年多様な経歴の人が活躍し始めたのに周囲の環境は
全く逆行しているようで大変心配です
偏見や差別の問題の根っこにはこのようなこともあるように思います