“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

議論のできる組織とできない組織

民主主義の根底は議論にあります

それは国でも企業でも或いは家庭でも同じです

このような基準で考えた時、我々は今どこにいるのでしょうか?

残念ながら議論がなく「皆が同じ」になっていますが一方で「十人十色」と

いう言葉もありますから日本でも必ずしも皆が同じことが求められていたわけ

ではないでしょう

しかし周囲をよく観察すると「同調圧力」が強くあることが見出されます

最近の例を挙げればマスクの着用があります

屋外で混雑していなかればマスクは不必要と政府が言っても皆マスクをして

いますし、マスクを外すと非難するような視線を感じることもあります

先日ハワイ旅行をしましたが現地ではマスク着用は各自の判断に任され

レストランの従業員もマスク着用者がいる反面つけていない人もいるしそれに

対する客側の反応も特にありません

筆者自身はとてもComfortable(ぴったりの日本語が無いので)でした

やはり同調圧力が無いからですが、逆に言うと自分の意見を持たないと暮らし

にくい社会だとも言えます

つまり日本では世の中の流れに従っていれば突き詰めて考えなくとも生活が

できるということですが本当にこれで良いのでしょうか

企業という不断の競争にさらされている集団が単に流れに委ねて業界の中でも

目立たない、業界秩序を乱さないということだけで世界のマーケットで生き

延びられるのでしょうか?

近年、日本が埋没しつつある原因は実はこのような集団的同調圧力にある

かもしれません

一時代前には一匹狼的企業が沢山ありその刺激が活力を与えていたように

思えます

ホンダやソニー、その前には出光や川鉄のような異端児が沢山ありそれらが

産業界ひいては社会全体に活力を提供していたと考えられます

殻を破る人材よ出よ、でも「出る杭は叩かれますよ」

半世紀前のソニーの新聞での募集広告は「出る杭を求む」でした

殻を破るのは脱皮だとすると成長できない人が増えてしでしたまったということですね