“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

判断基準は記録に残すことが民主主義

突然国葬が実施されることになりました

賛成、反対それぞれに意見があるでしょうが論点はそこではなくて判断基準

があるかないかにあります

法的には閣議決定で可能ということですが、だからと言って何でもできる訳

ではありません

なぜそのような判断をしたのかを明示し、国会で議論し、賛否を問い、記録に

残すことが大切でその積み重ねが民主主義になります

もし判断基準を示さないのであれば時の権力者によって異なる基準で判断し

実行することになり正に独裁と同じです、なぜならば過去の判断が次なる

行動の基礎とならず議論も深まらないので民主主義の基本である様々な意見が

議論で集約されという過程がとれなくなります

「問答無用」と同じで「切り捨て御免」ということですから議論の余地は

ありません

多数決というのでしょうが、採決前の議論が無いのであればローマの独裁者を

生んだ民衆の多数決と同じことになります

振り返って過去の経緯を見ると安保法制の変更や運用基準の見直し、学術会議

の任命拒否などに連なる判断基準を示さない伝統ができてしまったようです

歴史を振り返ってみると似たようなことがあり後世の検証が不可能なことが

多々行われてきて残念なことに日本の伝統のようになってしまいました

ナチスによるユダヤ人強制収用者数、死者数、ユダヤ人以外の強制収用者数

は正確な記録があるので把握できますし、没収した美術品等も記録があるので

戦後かなりの品目が返還されました

一方で日本の学徒出陣は記録がないので本当に何人の学生が招集され戦地に

赴いたのかもわからないそうですから、日韓で問題になっている戦時徴収に

ついても正確な記録がないのかもしれません

最近では桜を見る会の参加費支払いの領収書や費用総額も「記録がない」

森友学園の払い下げに関わる記録も公文書でありながら「保管されていない」

「記録がない」という言い訳がまかり通っています

やはり民主主義の基本は都合の悪いことでも正確な記録を残すことから

始まります