ガキ大将はどこに行った
絶滅危惧種と指定しても良いのかもしれませんが「ガキ大将」という存在が
古き良き時代にはありました
子供達がグループを作るとその中で身体が大きかったり声が大きかったり
あるいは度胸があり力が強い子供がそのグループのリーダーになり何でも
リーダーの言う通りに行動しほとんどの場合小さな悪さをすることで
仲間意識を育み、しかしそれなりに弱い者にも心をかけるということでした
そのようなことも昭和から平成、令和と時代が進むとほとんど見られなくなり
大人しくこじんまりして「良い子」が増えたようです
ところが最近ガキ大将的状況を再び見るようになり目を見張っています
どこに現れたかというと「国会」です
最近の放送法をめぐる議論を聞いているとどうしてもそのように感じられて
しまいます
そもそも放送法という名前があるように法律です
法の支配と三権分立いう概念からいうと法律違反をしたと考えられる場合の
対処は訴え、裁判所で黒白を判断する、その判断基準は明確で恣意的でない
ことが求められるわけでそれだからこそ判事は独立性が認めらているのです
翻って放送法に関する議論を聞くと「政治的公平性が保たれているか」という
ところに論点がありそれは政府が判断すると言っているのです
そもそも「政治的公平性」の定義が明確になっているのでしょうか
政府の主張を聞いていると政府に異議を唱えることが政治的公平性を阻害して
いると言っているようでこれでは戦争中に大本営発表を垂れ流していた反省
からできた放送法の本来的趣旨と全く異なります
このような論法はガキ大将が隣の庭の柿を採って食べ、その家のお爺さんに
怒鳴られた時の言い訳と同じではないでしょうか
道路にはみ出した柿の木の枝から自然に柿のみが落ちたので拾ったんだと
ガキ大将は子供でもあるので多少とも可愛さが残るのですが、政治の世界での
ガキ大将は可愛さも無くえげつなさと幼稚さが残ってしまいます
ドラえもんに出てくるジャイアンは憎めない存在なのですが生身の政治家では
可愛さが無いですね