“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

構想力はどこから来るのか

最近の社会状況、特に政治の世界で構想力の無さが明白になっています

理念に基づいた構想を提示することで共感を得られるものです

何故、こうなってしまったにでしょうか

理由は一つでは無いでしょうが大きな要素として戦後教育にあるのではないか

と考えられます

マルバツ、五者択一のように正解があることを前提とした教育では発想力や

論理思考は生まれません

ある時父親と話をしていた時びっくりしたことがあります

当時(昭和の初め)の帝大の入学試験は長文があり、そこから国語、英語、社会

の問題が出題され記述式の回答を求められていたとのことです

最近聞かれる言葉で言えば「様々な事柄を精査」しても正解は無いのです

記述式回答のメリットは今でも一つの議論の的ではありますが主観による

1点の差が本当に正しいのかという理由でほとんど導入されていません

しかし海外では広く導入されています

何故なのでしょうか

もともと学問に正解はありませんし、時代によって正解と思われることが

変化することもあります、例えば太陽系の惑星の数は我々の時代には九つ

でしたが今は八つです

要するに何を大切にするかということではないでしょうか

「効率的に正確に」ということにも勿論意義はありますが人の教育を企業の

生産性を同じ様に扱って良いものでしょうか

もしこのようなことで日本全体の実力が低下してしまうのであればそれこそ

大問題で却って長期的には生産性を阻害することになります

政治の世界に戻ると池田勇人、中曽根康弘、田中角栄といった世代は戦前の

教育で育った人たちで、中でも田中角栄はほとんど独学で上り詰めた人です

安倍晋三、菅義偉、岸田文雄といった面々は戦後教育を受けた世代です

理念、信念、想像力、構想力といった観点から見ると大きな断層があるように

見えます

イノベーションとは馬鹿なことを諦めずにやってみることから始まります

「憎まれっ子世に憚る」という言葉もありますのでもっと憎まれっ子に

なっても良いのでしょう