“明日は何を新しく始めますか?”
これができれば目標管理は間違いなく成功する

不作為の作為

学生時代に行政法の時間に習った言葉です

普通は何かやるから結果が出て、場合によっては責任が生じます

しかし、不作為であればそこからは何も出てこないので一見責任は無いように

見えますが「何もしないことで本来なら避けられる結果が生じた場合は何も

やらないことそのものに責任があるという考え方です」

何故、行政法でこのような授業があったのかというと「行政が結果を恐れて

やらなければならないことをやらない」ことにも責任があるということです

身近な例を挙げると少子化対策があります

最近でこそ「異次元の少子化対策」との声がありますが出生数の減少は30

も前から起きていたのにそれから何もしてこなかった結果が今にあるます

より深刻なのは異次元の少子化対策が目覚ましい成果を上げたとしても

少なくともこれから20年間は人口減少が続くということです

若年層の人口減少は今起きているので出生率が多少上がっても母数が減少して

いますから出生者数の絶対値は高齢者の死亡者数を超えないのです

なぜこのようなことになってしまったのでしょうか

まさにこれが「不作為の作為」なのです

人口統計は出生数と死亡率で決まりますので難しい統計手法は要りません

しかし結果が出るまで長い時間がかかるので遅滞なく政策を実行することが

必要でした

似たようなことがごく最近にも見られました

日銀の長期に亘る金融緩和政策です、10年継続しても景気が変わらない

どころか市場機能が喪失し将来の金融政策の自由度が極端に減っている上

太陽のETF購入で作られた一見好調な株式相場もETF売却に動けば大暴落の

可能性があります

本当の原因はどこにあるのでしょうか

行政法で不作為の作為という言葉が出たように官僚の習性が生み出した状況

でしょう、民間企業であれば不作為はほとんど仕事放棄とみなされますが

官僚の世界では責任を取る可能性のある作為より短期的に責任のない不作為

の方が好まれるからです

そう言えば最近の政治家も官僚や労組出身者が幅を利かせていますね