保守と革新
長らく日本の政治を語る際の提携語でしたが最近ではすっかり内容が伴わなく
なりました
自民一強とか弱い野党と言う語られかたになりました
しかし中身をよく見ると戦後長く続いた保守=自民党、革新=社会党(現立憲)
あるいは野党の総称という概念よりむしろ変化に対するアプローチという見方
の方が正しいようです
このように見ると実は自民党は変化を「是」とし野党は変化を「否」として
いるので政策はともかくとして国民は何かが変わるかも知れないという期待感
で自民党支持が崩れないのではないかと考えます
共産党を含む野党の主張の多くは「○○を守ろう」とか「○○に反対」という
主張が多く現状変革という形は見えません
つまり最も保守的なのが旧社会党左派、共産党で革新的なのが自民党主流派
ということになってしまいます
ジェンダーギャップ、マイノリティー擁護、人口減に応じた議員総数の削減
移民政策の抜本的改革で人口減に対処、産業の活性化、伝統的家族観に
よらない新しい家族やカップルのあり方といった積極的な提言が出てこない
野党への期待値は最低レベルで無党派層から見ると組織率が最低レベルにある
組合の代弁者としか映りませんので選挙での期待値は低空飛行のままです
そのような状況の中で「自分の生活の何かが変わるのではないか」という期待
から根強い自民党支持があり結果的に大きな国の方向性が国民の意思や期待と
離れた形で形成されてしまっているようです
コロナの第5類以降に伴いマスクの着用は「自己責任で=個人の判断で」と
いうことになりましたが対多数はマスク着用をしたままです
日本では学校教育、家庭教育を含め「みんな一緒に」が強く浸透しているので
突然「自己判断で」と言われても戸惑うばかりです
裏を返せば政府は責任放棄で再流行になっても「マスク着用が減ったから」
という理由付けをするでしょう
変化は責任を伴いますが、野党はひたすら責任を回避し「保守的な主張」を
標榜し議論なしで突然変化を求める政府は支持率を頼りに信任されているから
として責任を回避して議論も説明もしないで突っ走っています
これからどうなるか、我々自身の決断が求められています