平和の代償
本来の意味は言うまでもなく平和を維持するためにはそれなりの準備が必要で
自国の平和を守るために「力」(防衛力)がなければ平和そのものが実現
できないと言うことで最近のウクライナの情勢を見てもその通りです
もう一つここで指摘したいのは平和ボケで政治が空洞化してしまうと守る力が
内側から崩れてしまい気がつくと奈落の底に向かって落ちていることがある
と言うことです
つまり外部からの力に対抗することと同じように内側からの力にも気を配る
必要があるのです
もっともこの場合は力ではなく「自らを冷静に見つめる力が無くなる」と言う
ことですから見えにくく気づき難いと言う特徴があります
そのためには何をすれば良いのでしょうか
話題は少し飛びますが毎週土曜日の夕方に「イタリアの小さな村」という番組
があります
イタリアの都会から離れた人口1000~2000人ぐらいの村での人々の生活を
紹介する番組ですが日本の同程度の規模の村での人々の生活と比較して驚く
ことがいくつかあります
その一つでびっくりしたのは大学はもちろん高校も卒業していない村人が
ダンテの「神曲」を読んで思索に耽っていることです
難解で大作の神曲を読むこと自体大変なことです
比喩をあげれば日本の小さな寒村に住みながら「嘆異抄」や「論語」を勉強
しているということでしょうか
明治維新とほぼ同時期に小国に分裂したイタリアが統一されたものの常に
少数政党が乱立し不安定な内閣と大きな産業がなく経済的不安定さが続く
国ですが一方で議論好きで小さなことでも各自がそれぞれの意見を持ち
欧州内での存在感を保っているのは個々の国民の力でこのようなエピソード
から伺えるようです
翻って日本の状況はどうでしょうか
個人の力はどれほどあるのでしょうか、周囲に流されて気がつくと取り返しの
つかない状況になっていないでしょうか